第1324回 石垣づくりの奥義と、未来の可能性。

 

 岐阜県中津川の苗木城あたりは、日本三大ペグマタイトの地、つまり宝石の産地。

 ペグマタイトは、主に花崗岩地帯に生じるが、中津川は、花崗岩の奇岩がゴロゴロしている。

 巨石とか大樹は、古くから信仰の対象だが、神籬(ひもろぎ)など神を迎えるための依り代となる前、縄文時代は、おそらくこれ自体が「神」だった。

 造形的にも人間の心を深く揺さぶる巨岩や大樹を、古代人は、ふだん目に見えない神が顕現化したものと実感していただろうが、それらは視覚的に圧倒的な存在感があるだけでなく、実際にエネルギーも発している。現代人は、こうしたエネルギーに対して鈍感になっているが、古代人は、鋭敏にそれを感じていた。

 

 

 岐阜県は、日本で最も自然放射線が強い場所だ。2011年の東北大震災の時の原発事故で、ガイガーカウンターによる放射線測量が各地で行われて、こんなところにも原発事故の影響がと不安になった人もいたが、もともと日本各地の古代からの聖域の多くは自然放射線がとても強くて、ガイガーカウンターに反応する。

 といっても原発事故のような害があるわけではなく、むしろ、良いエネルギーと言える。だから、ラジウム温泉が古代から湯治場になっている。

 地下深くから発せられている放射線や、放射線を浴びた水や気体は、人体に害はない。問題となるのは、放射線を帯びている微粒子であり、これが体内に入り込むと内部被曝を起こし、癌などの原因になる。

 アメリカ先住民の聖域がウラン鉱の上にあり、「決して地面を掘り起こすな、もし掘り起こしたら災いが起こる」と、古老たちが言い伝えてきたのも同じ理由だ。

 岐阜県瑞浪にも日本最大級のウラン鉱脈がある。廃坑になったウラン採掘鉱が、核のゴミの最終処分場に適しているかどうか研究が重ねられてきたが、断念された。

 恩恵と災いは、常に逆転の可能性がある。日本人は、「禍福は糾える縄のごとし」を人生の教えとしてきた。

 神社のしめ縄のように世界の構造は捻れている。捻れが、銀河宇宙のような秩序を形作っている。生物のDNAもまた同じだ。

 綺麗なものと汚いもの、真と偽、正解と間違い、物事は0か1に分断されたままではなく、時に応じて、0が1になり、1が0になる。

 近年、人工知能が人間を凌駕するのではないかという議論が盛んだが、量子コンピューターならともかく、古典コンピュータをベースにした人工知能に、0と1の捻れが、理解できるかどうか。

 巷で人気のCHAT GPTが作り出す文章の気色悪さは、テレビキャスターが発する言葉とも似ているのだが、世間的な正しさの典型を、淀みなく惑いなく伝えることを優秀さの証としているところだ。

 正しさだけでなく、面白さや、新しさや、賢さといった基準が典型的なものに固定されていく傾向が、ここ数十年、顕著になっているが、AIは、その傾向を加速させるだけなのか、それとも、捻れの可能性の幅を広げてくれるツールなのか。

 表現界においても、捻れのないものの方が世間に受け入れられやすいが、捻れの弱いものは、記憶からも消えやすい。

 世界の実態や本質から離れてしまっていることを、人間の無意識が察知しているからだろう。

 古典コンピュータは、エンジニアリング的発想の産物だが、400年以上の歳月を経てもビクともしない石垣は、古典コンピュータ(AIも含む)では作れない。

 多種多様な大きさや形の石材を寄せ集めて組み合わせる石垣づくりの奥義ことが、ブリコラージュだ。

 エンジニアリング的発想を基にした近代合理主義の行き詰まりからの出口は、必要に応じた寄せ集めによって0になるか1になるかが変わってくるブリコラージュ的発想であり、次の時代のコンピューターである量子コンピュータには、それが可能かもしれない。

 5月20日(土)、21日(日)に京都で行う「日本を深く掘り下げるためのワークショップセミナー」では、地理や地質的な側面からも、アプローチします。(2日に分けてではなく、同じ内容を両日とも行います)。

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第1323回 写真をわかるとは?

 写真表現に深く関わるところで仕事をしてきた一人として、写真について評論や解説をしている、とりあえずプロの写真家や言論関係の人の言葉で、「写真のこと、まったくわかっていない」と嘆きたくなる言葉がある。

 それは、写真を語る時に、たとえばモノクロ写真であると、濃淡とか、モノクロであれカラーであれ、ディティールの再現性とか切り取り方のセンスとか、そういうことしか語れていないケースだ。

 それらの写真には、いろいろな場所で出会った人々や、事物や風景が写っている。

 写真に映し出された人々や事物や風景について何も語られず、ディティールがどうのこうの、濃淡がどうのこうのという言葉しか出てこない場合、たとえ、言葉を尽くしてその写真を褒めていても、その写真家の仕事を褒めていることになるのだろうか?

 もし、それが、その写真家の仕事を褒めているとすれば、その写真家は、いったい何のために、人や事物や風景にカメラを向けているというのか?

 写真家が被写体にカメラを向けるのは、その被写体に対して何かしら心動かされるものがあるからではないのか? それとも、自分の写真の腕を試すには好都合だと思い、その技を誇示するためにシャッターを切っているだけなのか?

 もしも、その写真家が被写体に心を動かされてシャッターを切る、つまり被写体の中に潜む魅力を引き出したい、そしてそれを伝えないという思いならば、自分の写真のディティールの再現性や構図が云々よりも、その被写体に対して鑑賞者の心が動かされた時に、自分の写真はうまくいったと思えるのではないだろうか。

 「写真がわかる」というのは、構図がどうのこうの、ディティールの再現性がどうのこうの、というのを、もっともらしく説明することではない。それこそ、そういうテクニックは、もはや、AIに任せれば上手にやってくれる時代になってきている。

 「写真がわかる」というのは、写真の中に秘められている撮影者と被写体の心の動きや、関係性や、写真の背後に隠れている何かが、写真を通して現れていることを、きっちり察知できるということだ。

 だから「写真がわかる」ならば、それらの言うに言われぬ何かを、より浮かび上がらせるように写真を組み上げることができる。

 写真がわからない人は、そうした組み合わせができない。だから、写真集を組んだり写真展の展示で、鑑賞者の心が動いたり、写真の背後にある何かに思いをはせるような構成ができない。

 写真がわからない人は、カテゴリーやジャンルや状況設定や時系列で組んでしまったりする。つまりそれは、説明的な配置にすぎない。

 写真というのは、言うに言われぬものを掬い取って、それを、言うに言われぬ感覚のまま伝えることができる表現だ。

 簡単に説明できるようなこと、言葉で伝えた方がいいようなケースは、わざわざ写真にする必要はなく、言葉の方が誤解が生まれない。

 言葉に置き換えることが難しい微妙な味わいや気配などは、写真でこそ伝えられるから、それがうまく伝えられている写真は、優れた写真と言える。

 たとえば、鬼海弘雄さんの「ペルソナ」や、森永純さんの「波」などは、その代表だと思う。他の表現方法では到達できないものを写真が示している。

 これらの優れた写真を言葉で説明する時、ディティールの再現性が素晴らしいなどと、写真家のテクニックを褒めるような言葉を用いるだろうか?

 おそらく、そうではなく、被写体のなんとも言えない味わい深さや奥深さに唸ることになり、よくもまあ、そういう被写体の魅力を引き出せたなあと感嘆する。

 そのように被写体に秘められた力を写真で引き出せているということを的確な言葉で写真家に伝えられれば、その写真家の仕事を讃えているということになるだろうが、被写体については触れずに、写真のディティールや構図などで写真の価値を説明している人は、この時代の写真家のミッションじたいをわかっていない。写真の素人が、あれこれ論じるのは害が少ないが、専門家と称して、写真関係の媒体で論じたり、写真学校やワークショップの類で、そういう教えを広めている人がいる。

 写真学校って、悲しくなるほど高額な授業料だと誰かに聞いた時、そんな大金を払って本当の写真力を伸ばすことにつながらない教えを受けるくらいならば、そのお金で旅に出て、いろいろと魅力あるものに触れて、心動かされて、実際に写真を撮り続けた方がよっぽどマシだろうにと思った。

 こういうことを書くと、写真学校で給与をもらっている人は怒るだろうけれど、表現って、それぞれが現場で学ぶものだろうし、現場での出会いの方が、表現力を高めるうえで大事だということは、その人たちもわかるはず。

 写真について説明する時に、構図だとかディティールの再現性などの言葉しか出ない人は、”出会い”の大切さ、”出会い”が自分の運命を変えることがあり、出会いこそが写真の生命線ということがわかっていないのかもしれない。

 写真の魅力は、”出会い”によって、その”出会い”を呼び込み、それをかけがえのないものに昇華させる表現者の作法によって、ほぼ90%以上が決まってしまう。

 

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第1322回  CHAT GPTの先の未来

 CHAT GPTを子供に使わせるべきかどうか? とか、大学生が、これを使って論文を書くようになってしまうのではないか、とか、どうでもいいような議論がなされている。

 仮に大学生が、CHAT GPTで論文を書いたとしても、問題になってくるのは、それを評価する側に、論文をきちんと評価できる能力が備わっているかどうかということ。

 CHAT GPTは、それを使うかどうか、使わせるかどうか、という議論ばかりになっているが、そもそも、CHAT GPTで代用できる内容のものに価値があるかどうかという問題がある。

 それは、他の誰がやっても同じ内容になるという類のものだ。

 これまでの社会での成績評価は、畢竟、他の誰がやっても同じ内容になるものを、どれだけたくさん、どれだけ速く、どれだけ間違いなくできるかどうかで競われていた。

 難関とされる東大入試に勝利する者は、その能力に秀でていたにすぎない。

 だから結局、そうした難関大学の先の職業分野である官僚的特性の強い組織に属する人たちがアウトプットするものの内容は、他の誰がやってもあまり変わらない。

 この仕組みの中で重視される価値観は、「計算通り」ということ。「物事がうまくいく」というのは、「計算通りになる」ということでしかない。

 CHAT GPTのような新しい機械は、「計算通りになる」ことが、そんなに価値のあることではない、という現実を突きつけてくるわけで、「計算通りになる」ことが重視される世界で幅をきかせていた人たちが、優位性を失う。そして、「計算通りになる」ことを目指す仕組みの中に歯車のように組み込まれていた人たちが、そういう仕事を失う。

 ならば、「計算通り」でないことが、「自由気まま」なのかというと、そういうことではない。

 スティーブ・ジョブスは、なぜ、あれほどまで人の心を惹きつけたのか?

 ジョブスが創造した「Ipad」などは、使われている部品にアップル社のオリジナルはなく、どこか他の会社が作っている部品(日本製が多いと言われていた。今はどうかわからない)を組み合わせることで、Ipadという、これまでにない製品が生み出された。

 ジョブスは、「計算通り」の物には何の価値も感じていなかっただろうし、そのアイデアは、極めてオリジナルだった。だからといって「自由気まま」だったわけではない。

 彼は、編集能力に優れていたのだ。別の言い方だと、ブリコラージュだ。

 ブリコラージュに対立する言葉はエンジニアリングで、これは設計思想。つまり、計算通りを目指している。1+1が2になる世界。

 ブリコラージュは、寄せ集め、組み合わせ次第で、1+1が、3にも4にもなる世界。

 これまで、ブリコラージュについて説明する時に私が例えにしているのは、石工のつくる石垣の世界だ。形や大きさがバラバラの石を巧みに組み合わせることで、強固な石垣になる。

 ブリコラージュは、無から有を産み出すのではなく、すでに存在しているものの力を、最大限に発揮させることに自分の能力を使う。その奥義は、物事は何一つ単独で存在するのではなく、「縁」、つまり関係性の中で存在意義を発揮するようにできていることを覚ること。

 ならば、CHAT GPTにしても、どんな機械にしても、使い方次第だということだ。それらに従属させられるのではなく、それらをブリコラージュする立場に立つことが大事。

 そして、そのためには、大局を見る力が必要になる。

 大学生が、CHAT GPTで論文を書くようになることで本当に問われてくるのは、大学教授の側に、大局を見て判断する能力があるかどうかだ。

 大学現場だけでなく、あらゆる現場で、そのことが問われるようになる。そして、そうした状況に対応するために、その後の教育がどう変わっていくかが、最も大事なことになる。

 これまでの教育は、「計算通り」の人間を多く育てることに貢献した。これからは、そういうわけにはいかない。ただそれだけのことにすぎない。

 

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第1321回 試しながら修正をくわえて最適をめざすこと

 スティーブ・ジョブスの日本文化への関心はよく知られており、彼は、来日のたびに、京都の苔寺西芳寺)を訪れていた。

 スティーブ・ジョブスは、次のように言っている。

 「カスタマーエクスペリエンス(顧客体験)をもとに、テクノロジーを構築していくことが肝要だと常に考えてきました。

 テクノロジーありきで、それをどこに売り込もうかと思いめぐらすのではダメなんです。

 今日お集まりの皆さんの誰よりも、私自身がたくさんこの間違いを犯してきました。それによってたくさん代償も払ってきました。」

 ジョブスのこの言葉と通じる課題として、今年になって「現代と古代のコスモロジー」という趣旨で、ワークショプセミナーを行っている。コスモロジーという言葉を敢えて使っているのは、「歴史のお勉強」には興味がないからだ。

 また、同時に写真のポートフォリオレビューも行っており、これは、写真集という形にすることを目指しているが、コスモロジーの問題とも関係している。

 歴史の中で、コスモロジーの転換が何度も起きていて、現代もまた同じ。そのコスモロジーを構築するプロセスは、エンジニアリングとブリコラージュの二つの違いに分けることができる。

 エンジニアリングは、設計思想。ブリコラージュは、寄せ集めなどと説明されるけれど、単なる寄せ集めではなく、石工の石垣作りや宮大工の仕事のように、対象に耳をすませて、それを生かすように組み合わせの最適解を求めていくこと。

 エンジニアリングというのは、自分の計画や設計図に合わせて、対象を選び、切りそろえて組み合わせて作る。

 この二つの違いは、自分の仮説から宇宙を分析して論理を組み立てるコスモロジー(エンジニアリング)と、対象の側の様々な関係性に配慮して、その関係性のなかに宇宙の摂理を見出していくコスモロジー(ブリコラージュ)の違いであり、学問や研究や表現のスタンスの違いにもなる。

 古典的コンピューターは、AIも含めてエンジニアリング的発想でつくられているが、現在、開発中の量子コンピューターは、ブリコラージュ的な発想に基づいており、古典的コンピューターが苦手とする組み合わせ最適解の分野での活用が期待されている。

 おそらく、現在話題の AI技術を取り込んだ CHAT GPTが、エンジニアリング的発想(自己本位)の古典コンピュータの矛盾と問題を極限まで示すことになり、 それが量子コンピュータの開発を加速させることになるかもしれない。

 20世紀の中旬までに、文化人類学舎のレヴィ=ストロースは、近代文明の問題が、エンジニアリング的なスタンスにあるということを看破して、ブリコラージュこそが、生命原理であるとした。

 レヴィ=ストロースは、幼少の頃、父の影響で日本文化に深く触れて、それが自分の精神形成に深い影響を与えたと言っているが、明治維新以前の日本文化というのは、まさに、ブリコラージュに基礎を置いていた。

 そして、冒頭のスティーブ・ジョブスの言葉、

 「カスタマーエクスペリエンス(顧客体験)をもとに、テクノロジーを構築していくことが肝要だと常に考えてきました。テクノロジーありきで、それをどこに売り込もうかと思いめぐらすのではダメなんです。」は、まさに、エンジニアリングではなく、ブリコラージュでなければならないという意味のことを言っている。製品作りにおいて、ジョブスは、この考えが一貫していた。

 しかし、「顧客本位」という言葉を使う時、日本の多くの企業でも同じように顧客本位という言葉を使っているわけで、それらと、どう違うのか考えなければいけない。

 まず、「顧客本位」を旗印にして、そのうえで計画設計をしてはダメだということ。また、顧客に対して丁寧というだけのステレオタイプの対応(ファーストフード店のマニュアルのように)でなく、相手の出方次第で対応を変えられる臨機応変さがあってこそ、ブリコラージュ。 

 アップルの製品は、説明書がいらない。同じ時期に発売されていた日本の電気メーカーの商品は、説明が膨大にあって、それをまず読んでから商品を使え、というスタンスだった。これが、エンジニアリング的発想に支配された頭がやること。

 顧客のためになる技術やサービスだからと押し付け、顧客にとって本当の最適さがわからなくなっている企業は、衰退していくしかない。

 アップルの製品は、触りながら、確かめながら、これは違うなとやり直しながら、すぐにコツを掴んで使えるようになる。だから、子供は、その習得がとても早い。この使い方自体、アップル製品は、ブリコラージュに基づいていた。

 「触りながら、確かめながら、これは違うなとやり直しながら、すぐにコツを掴んで使えるようになる」というプロセスこそは、小さな失敗が、成功がなんであるか(つまり使い方を知る)を体得するプロセスと同じ。

 ビジネスのスタンスにおいても同じだというのが、ジョブスの考えだ。

 考えを完璧にしようとして、ずっと考え続けているのではなく、少しずつの実践を繰り返しながら、これはちょっと違うなと修正をしていきながら、コツを掴めばいい、ということ。

 私が、現在行っている写真集を作るためのポートフォリオレビューでも、同じことを実践している。

 やって来る人には、あまり厳密に自分でセレクトせずに、1000点になってもかまわないから、できるだけたくさん写真を持ってくるように言っている。

 自分では使えないと思い込んでいる写真が、他との関係で生きてくることがある。そうした感覚は、実際に写真を組んでいかなければ気づかない。私は、モニター上で、その関係性を高速で見せて、彼ら自身にも、それがわかるようにしている。

 もともと、日本人の物作りは、こうしたブリコラージュに基づいていた。

 しかし、いつしかエンジニアリング的発想の、計画重視、設計重視、技術重視の陥穽に落ちてしまった。動く前に、あれこれ、これが正しいとか間違っているかを考えるばかりで、いざ作ろうとすると、その考えをできるだけたくさん詰め込もうとするので、複雑なものになる。その商品は、非常に使いにくいものになる。 

 顧客が喜ぶだろうと押し付けがましく最新技術を盛り込むことが、日本の顧客重視になっている。

 日本の衰退は、技術大国と持ち上げられたことによって、エンジニアリング的な方法こそがベストだと錯覚するようになったところにある。

 失敗を恐れて、「まずは試してみろよ」という気楽な感覚が薄れてしまった。試しを一つするだけなのに、稟議書その他、膨大なエネルギーと時間が必要になってしまった。

 やってみなければわからないのに、それが少しでも違っていたら、そのことが責められる雰囲気になり、萎縮してしまった。

 ソニーの黎明期のウォークマンなどにしても、「技術ありき」ではなかった。

 大事なことは、試してみて、ちょっと違うなと思えばすぐに修正して、あれこれ試行錯誤しながら修正をくわえ、最適解を見つけ出していく”ノリ”の良さだ。

 そのようにコスモロジーの転換が起こらなければ、日本は、ますます萎縮した頭でっかちの国になって衰退していくことだろう。

 そのように硬直したコスモロジーで、ポジショニングを固めて幅を利かせるのが、官僚的な体質なのだ。政治や産業分野だけでなく、学問や表現界においても同じだ。

 官僚的体質になっている業界が評価するものは、まさに、エンジニアリング的な発想に基づく頭でっかちなものになっており、それこそが、このコスモロジーの末期的な症状だ。

 先入観にとらわらず、素直な心で向き合って、「なんでこんなのが評価されるのかよくわからない」と思う場合は、その素直な心の方が正しい導きになっている。

 きちんと整えられてまとめられていることよりも、多少の粗さや大胆さがすぎるとしても、新しい何かを感じさせるものが少しでもあるかどうかが大事なのだ。

 

 

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第1320回 社会的な馴れ合いに埋没しない深瀬昌久の私写真

東京都写真美術館深瀬昌久展が開かれている。

深瀬昌久という写真家は、世間ではあまり知られていないが、「写真」という表現行為と、「視ること」の関係を深く考えるうえで、欠かせない写真家だと思う。

 人は、視るという行為について、とくに深く考えてはいない。目に見えているのだから、それは自分が見ていること、だと思っている。

 そして社会的に共有されている概念の上にあぐらをかいて、身の周りのことを日記風に撮っているだけのことを、「私写真」と呼び、その類のものが、私たちの周りに溢れている。 

 多くの人は、自分の目で世界をありのまま見ていると思っているが、実際は、社会の中で習慣化されている様々な概念の枠組みのなかで、視覚処理をしているだけのことが多い。

 人間の目は、日々、膨大な情報を知覚しているが、人間はそれらの情報量を整理して減らすことを無意識のうちに行っている。そうしないと脳に負荷がかかりすぎる。物事を記号化して情報処理することで、一瞬一瞬に戸惑うことなく生きることができる。そして、世界そのものに対してある程度鈍感になった方が、ストレスを感じずにすむ。

 その程度の緩い感覚で世界と向き合うことが、「私」や「世界」に対して誠実であると思っている自己満足的な写真表現者が多いが、深瀬昌久の「私」や「世界」への誠実は、そんな生易しいものではなかった。 

 深瀬という異様な写真表現者は、社会の慣習という麻酔で鈍麻した「私」ではなく、「私」そのものの眼に成り切って、自分の生と死の現場にダイレクトに通じようとした。

 その現場とは、家族であり夫婦だ。「家族」とか「夫婦」という社会的な意味や記号とは無関係に、ただそれらが自分の身体感覚と直接的につながっているという手応えだけを拠り所に、深瀬は写真を撮っていた。そのため、それらの写真は、世間の習慣化された常識の枠組みをはみ出す。しかし、深瀬の写真のなかで、彼の共犯者である妻は、血にまみれた屠殺場で労働者の前でパントマイムをしたり、洗面器に顔をうずめて嘔吐したり、しかめ面を見せていようが、はじける笑顔であろうが関係なく、生き生きと輝く実態となり、その丸ごと全体が、異様なほど魅力的に感じられる。

 社会が共有する”素敵さ”だけを切り取って、それを当人の魅力だと示す陳腐な写真演出は、インスタの中に氾濫しているが、そういう演出で受け取った、気楽な「いいね!」の代償として、隠された部分はずっと隠し通さなければならないという窮屈な状況になる。

 全てを洗いざらい見せて、それでも魅力的であれば、世間の眼という檻の外で、ありのままの「私」でいいのだから、それこそが幸福なこととも言えるが、徹底的に深瀬の眼で追い続けられた妻には、相当な負荷がかかっていただろう。付き合いが深くなって互いの関係が深くなると、眼を閉じて感じあえることに身を預けたくなるのが世間では常だが、深瀬は、世間的に普通ではないから、彼の結婚生活は破綻せざるを得ない。

 深瀬が行った徹底的に視覚を追求する写真は、社会の普通の人にとっては理解しがたい不気味なものになる。だから彼は、社会では人気者にならなかったし、多くの人は、その名前すら知らない。しかし、深瀬のような表現者がいたからこそ、見えてくる真理がある。一人の人間の「生」の丸ごと全部が発する輝きや、「社会」の枠組みとは関係のないところでの「私」の人生の陰影や奥行きが浮かび上がる。

 深瀬昌久の『父の記憶』という異様な写真集がある。ソフトカバーで小さな写真集だが、部数が少なすぎるためか、今では写真集としては桁違いの高値になっている。

 実父の元気な頃の生活シーンにおける色々な表情から、老いて特別養護老人ホームに入所してからん生活や表情、そして亡くなる直前、死の瞬間、その後、火葬されて骨になるまでに深瀬自身が立会い、その眼で見たものが、しつこいくらい写真に撮られている。まさに、人間の生老病死、喜怒哀楽が、丸ごと収まっている。

 この写真集では、一人の人間として、人に語りたい部分と、できれば誰にも知られたくないような光景が、一切の分別なく、ありのままの事実として示されている。

 ここに示されているのは、家族の記録という私的なことであるが、身内としての分別操作がいっさい行われていないので、「一人の人間のあからさまな生と死」が、深瀬の写真によって、他の人々にも共有され、記憶されるようになっている。

 生きて老いて死にゆくことは、こういうことであるという当たり前の真理を伝えてくる写真だが、眼を背けたいという気持ちにはなれない。 

 「死を思え」などという観念操作は必要なく、死は当たり前の事実として、いつでも私たちの身の上にある。その死は、大きな流れの中で自然に全うされる一つの節目にすぎないという感覚が、深瀬の写真から伝わってくる。

 深瀬は、被写体としての父に、肉親としての私情をさしはさまず、「眼」に徹し切って、長期間にわたって密着して、その事実だけを丹念に映し出した。

 その異様なほどの「眼」への徹し方が、彼の写真家としての宿業だ。

 そこまで被写体そのものを視ることに徹している写真を見ていると、深瀬の表現であるという感覚は薄れて、撮られている「父」の脳裏の光景が伝わってくるような気がしてくる。

 他人に話さないこと、わざわざ話す必要もないこと、話したくないことも含めて、一人の胸の中にしまい込んである奥行きのある人生の記憶が、深瀬の写真によって、視覚化されている。

 つまり、「父の記憶」というタイトルは、世間的な意味では、「父についての私の記憶」ということになるが、この場合はそうではなく、「父の脳裏にある人生の記憶」ということになる。

 人間は、社会の中の慣習や常識や見栄や駆け引きによって、自分が見たり感じたりしたことの多くを、自分の中に閉じ込めている。世間の人に見せている「幸福そうな姿」や、「悲しそうな姿」は、その一部の断片に多少の世間的操作が加わっている。

 しかし、多くの人には見せておらず共有されていない私的なことのなかに、一人の人生の核心があり、その記憶の総体は、簡単に言葉で説明することもできず、だからこそ、他にとりかえがきかない、「私」だけのものだ。

 深瀬の写真を見ていると、その真理が、深瀬ではなく被写体の父によって、静かに語りかけられているような気がしてくる。

 息絶えて、眼を閉じて横たわり、身体を清められ、胸の上にドライアイスを置かれた状態でも、また火葬場で焼かれた後、白い頭蓋骨になった状態でも、それじたいが語りかけてくる不思議な実感がある。

 人々がよく口にする「私を大切にする」というのは、社会的に共有されている概念に馴れ合って、その枠組みのなかで自分を心地よい状態にするという意味でしかないが、深瀬にとっては、そういう社会的な馴れ合いに「私」を埋没させないことが、「私を大切にする」ことだった。

 しかし、それを実践する深瀬には、自分の感覚を麻痺させて順応するという逃げ道はなく、「私」に起こる事実を全て、ありのままの事実として独りで受け止めていくしかない。

 そこまで徹しきっていたからこそ、深瀬の「私写真」は他に類例がないものとなったが、世間の眼を気にして自分に都合の良い操作が加わった「私的ポーズの写真」は、どれも似たようなものばかりとなっている。

 

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第1319回 今年の土門拳賞と、写真表現の行く末について

昨日は、船尾修さんの土門拳賞の授賞式で、協賛企業や来賓の人のスピーチの後に、他の人があまり認識していない彼のこれまでの活動の軌跡についてスピーチをするのが私の役割だと船尾さんから言われていて、自分もそのつもりだった。

 しかし、選考委員の大石芳野さんによる総評の時に、今回の船尾さんの受賞作品について、他の選考委員から「ただのスナップ写真のようだ」と反対する意見もあったが、大石さん自身は強く推したという話が出て、その話が心に引っかかってしまい、スピーチの内容を少し修正して、船尾さんの表現が、ただのスナップ写真とは真逆のものであることを強調するという、友人代表としてはおかしなスピーチをすることになってしまった。

 もちろん、写真の見方は、人それぞれでかまわない。しかし、今回の船尾さんの満州の写真を、スナップ写真のようだからと否定する人が土門拳賞の審査員の中にいるというのは、写真界の将来を考えても非常に憂慮すべきことだと思う。

 というのは、作為が感じられない船尾さんの満州の建造物の写真を「ただのスナップ写真のよう」と判断する人の目は、写真に対する素人の目と同じで、敢えて人の目をそこに向けるような強調とか、敢えて人の心が強い反応を示しそうなシーンを切り取ったものが、写真として面白くて新しいと判断してしまう目だからだ。

 その面白い写真というのは、物だけでなく人の心さえ消費財のように扱う消費社会では受けの良い「自己表現のために対象を利用する写真」のことである。

 しかし、そうした「自己表現のための写真」というのは、現在では、フォトショップをいじったり、人に気づかれないように望遠レンズで狙ったり、相手の心に土足で踏み込んだりすることで、素人でも簡単に作れる。そんな写真は、素人写真も含めて、ネット上に氾濫している。その中には、強い印象を与えて、いいね!という支持を多数受けているものがあるだろうが、何度もじっくりと見返せば飽きてしまうものばかりで、見るたびに、その前は見えなかったものが見えてくるような写真ではない。

 素人の目で受賞作を決めるというのは、人気投票のようなもので、本を売りたいメディアにとっては都合が良く、各種の賞の選考委員の人選も、そういう傾向が強くなってきているが、それが、表現界の未来にとって、健全なことかどうかという問題がある。

 さらに、土門拳賞の選考の過程で、「なぜ今さら満州なのか」といった意見も出たという話を聞いて、愕然とした。

 これは、私が取り組んでいる日本の古代のことにしても同じなのだが、圧倒的多数の人たちは、現代の現象を追いかけることが現代および未来を考えることだと思ってしまっている。

 日本とは何なのか? 日本人とはどういう特性があるのか? 歴史とは何なのか? という問題としっかりと向き合うことなく手を伸ばそうとする未来は、実は未来ではなく、現代の際限のない焼き直しにすぎないことがわかっていない。

 ファッションブランドメーカーが次々と新しいファッションを作っても、未来に向かって進んでいるわけではなく、同じ現代の価値観の中で、目先を変え続けているだけのこと。

 かつての表現者、とくに詩人は、預言者として、そうした現代の終焉と未来の到来を同時に告げる存在だった。そして、そうした預言を受け取る準備ができている表現者も多くいて、彼らは、本当の意味で新しい詩人の到来を待ち望み、だから、その登場において即時に反応でき、次々と異なる表現ジャンルで、連鎖が起きた。

 現代、言葉の力の低下もあり、詩人が、かつての預言者のような役割を果たすことは難しくなっているが、現代社会に新たに作り出された写真は、現代の預言的役割を果たす可能性がある。

 私は、21世紀に入ってから風の旅人を作り続けていた時、ずっとそう考えていたし、今でもその考えは変わらない。

 しかし、預言的役割を果たす可能性のあるものは、同時に、その時代の矛盾が凝縮したものとなる。

 たとえば2500年前、その時代の預言者であるソクラテスは、無知の知という言葉を表すが、その時代は、その言葉とは真逆のソフィスト(詭弁家)が跋扈する時代だった。

 歴史とはそういうものなのだ。

 現代の写真は、たとえばパパラッチなどが典型だが、人間の尊厳を著しく損なう暴力になるが、それは、人間の尊厳を貶める方向に働く力が、この時代に浸透していることの裏返しでもある。だって、パパラッチの仕事を面白おかしく喜ぶ人が多くなければ、そして、そこに便乗してお金儲けを企むメディアがなければ、パパラッチの活動は意味をなさないのだから。

 2003年に、鬼海弘雄さんの大判写真集「PERSONA」が出た時、ポーランドの映画監督のアンジェイ・ワイダや、種村季弘さんが寄稿している。

 種村季弘さんは、“二十世紀の日本の人文科学が世界に誇るべき「知の無限迷宮」の怪人”と評される人のようだが、それはともかく、鬼海さんの「PERSONA」に対して、「21世紀芸術の幕が切って落とされた」という言葉を添えている。

 実に鋭い批評の目であり、的確な言葉だ。預言者としての表現者が現れ、それに気づく人もいるという環境が、21世紀初頭には僅かながら残っていた。

 鬼海さんの写真は、上に述べたような、「表現のために対象を利用する写真」とは真逆である。

 つまり、そうした時代からの脱却を、鬼海さんの表現は、指し示していた。

 2020年10月に鬼海さんは癌で他界してしまい、私は個人的にもつながりが深かったので、鬼海さんがいない空白が心に重くのしかかるが、写真表現界においても、当時、鬼海さんは土門拳賞の審査員だったので、鬼海さんの不在の影響は非常に深刻だと思う。

 船尾さんの話に戻るが、船尾さんは、広大な満州の各地にかろうじて残っている100年近い前の壮大な建築物を、400ページにわたる分厚い本の中に、収めている。

 これは建築物のカタログでもないし、当然ながらスナップショットではない。事前の周到な調査を行い、思索を重ね、自分の足で対象を探し回り、出会った場所で三脚を立て、大きなカメラでブローニーフィルムを使い、建物の壁の傷にも深い意味を感じながら、丁寧に撮影していった。

 明治維新後の短期間のうちに猪突猛進で邁進していった日本人の異様な精神が、「満州」という場所に凝縮している。満州は、単なる植民地でなく、島国の日本が、アメリカなどの列強と対等になろうとして、なれると信じて、大陸の中に築き上げようとした正真正銘の国家だった。その青写真を、短い期間のあいだに、これだけ形にできてしまうことが驚きであり、国民の意識を一方向に導けば、私たち個人の想像には及ばない大事業ができてしまう。

 そして、その分、悲劇性も、個人の想像が及ばないものとなる。

 人間の歴史を、個人の想像の枠内におさめることは、とても難しいが、だからといって、その努力をせずに未来を考えているなどというのは、欺瞞にすぎない。

 もしも、船尾さんが、これらの満州の建造物を、自己表現のための材料にしてしまうと、人間の歴史の記録が歪められる。

 写真の切り取り方の面白さとか迫り方の独特さとか現代人の無聊の慰めのための操作で人気を得ることと、まもなく地上から消えてしまうだろう建造物について、100年後の人たちに歴史の記憶として送り届けることの、どちらに価値を置くかの問題だ。

 過去から現在に至るまで、歴史に残る表現というのは、その時代に人気だった表現ではない。どちらかといえば、その時代には理解されなかった。しかし、後の時代に評価されているのは、その表現が、歴史をつなぐ役割を果たしているからだ。

 本当は、土門拳賞などは、そうした希少な預言的表現を発見する場であってほしい。

 現在、写真は誰でも手軽に撮れる。誰でも撮れる写真の中で、上手とか、独特とか、斬新が競われ、その競争のなかで少し勝っている人が、もてはやされ、目標にされ、なかにはアイドル的になったりする。

 しかし、その種のものは、10年、20年も立てば、色褪せるどころか、記憶にまったく残らないものになる。

 写真表現は、百花繚乱かもしれないが、写真表現の歴史的意義は地盤沈下し続けている。

 写真の価値や意義を、消費経済のなかに求める人たちがいることは、その経済の中で食べて生きている人も大勢いるわけだから、社会の現状として、やむを得ないところもある。

 しかし、写真の歴史的意義に向き合う場がなくなっていくと、写真は、ますます、歴史的意義のない表現になっていくだろう。

 賞の受賞を写真界の成功の証とすることはくだらない考えだけれど、賞は、これから表現を目指す人たちの羅針盤にもなりうるもので、だからこそ、その羅針盤が、歴史的意義に対して目が曇ったものであると、これからの表現の方向性も、当然ながら歪んだものになっていく。

 行くところまで行かないと人間は気づかない。それもまた人間の歴史ということが、反省もなく繰り返されているだけかもしれない。

 

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第1318回 写真表現の行く末

 朝早くから、船尾修さんの「満州国の近代建築遺産」と、新田樹さんの「Sakhalin」の写真集を見ていて、心洗われるような気持ちになった。

 船尾さんは土門拳賞、新田さんは木村伊兵衛賞と、長い歴史のある写真界の賞を今年度受賞したわけだが、この二つの賞の同年度の作品が、自分の手元にあるのは、写真界に近いところで20年以上仕事をしているが、今年度が初めてのことだ。

 現在、出版社の販売促進とか業界内の活性化を目的とする賞も無数にあり、その人の仕事の価値を賞で判断することは難しくなっているが、後に振り返って優れた仕事をした人が多く受賞していると感じる賞は、同じ分野での活躍を目指す若い人たちにとって、一つの羅針盤になる要素でもある。

 そういう意味で、未来の写真界にとっても、今年度、この二人が土門拳賞と木村伊兵衛英賞を受賞したことは、とても意義深いものだと思う。なによりも、裸の王様心理で「いいね!」と言いながら、内心では「この程度のことで」と感じさせる多くのものと違って、二人の仕事は、強い納得感とともに、その仕事のハードルの高さを感じさせるものであることが重要だと思う。

 現在は、高性能カメラを持っていれば、誰でもそれなりに写真を上手く撮れる。なので、写真家に求められるのは、表面的なテクニックではない。

 船尾さんも、新田さんも、撮影において最も心がけていることは、対象への敬意であり、写真の力によって、表面を写し取ることではなく、対象に秘められたものを浮かび上がらせるに精力を傾けている。

 この二人の写真を見る時に、鑑賞者は、写真の中に写っているものと静かに対話するような気持ちになる。

 しかし、「対象に秘められたものを浮かび上がらせる」と口にするのは簡単だが、その秘技は、簡単に人が真似できることではない。

 写真というのは、対象を前にしてシャッターを切りさえすれば写る。絵を描くことに比べて、なんとも安直極まりない行為であり、それで、対象の切り方のセンスを競ったところで、ファッションの着こなしのセンスを競うようなもの。それなりの経験があれば上手くなるだろうが、ようするに、自分の感性をどれだけアピールできるかの競争にすぎない。

 船尾さんも、新田さんも、被写体を前にする以前の、思考と、調査に膨大な時間をかけている。

 彼らが最も恐れているのは、自分の無神経さや無配慮によって、被写体を損なったり、その本質を歪めてしまうことだからだ。

 誰でも簡単に写真が撮れる時代、写真によって被写体を自分に都合よく改変しないというモラルを示すことは、写真家を名乗る者が持たなければいけない信念であり、矜持ではないかと思う。

 ファッションブランドを着飾っただけの人は、同じものを着続けていると、内面の浅さが透けて見えるので、着るものを次々と取り替え続けて、ごまかそうとする。

 それと同じことで、対象との向かい合い方の浅い写真は、見た目の新しさで「いいね!」と言ってもらえたとしても、すぐに消費される。

 船尾さんや新田さんの写真は、1度目よりも2度目、3度目と、見れば見るほど、味が出てくる。おそらく、10年、20年と時を超えていく力は、そうしたものに宿っている。被写体の魂もまた、写真とともに歳月を超えていくわけであり、彼らは、写真の力によって、被写体の魂を救っていることにもなる。

 彼らのような仕事は、根気と時間がかかる。だから、簡単に真似ができない。もっと手っ取り早く世の中に出て認められたいなどという邪な心を持つ表現者気取りは、見向きもしないだろう。

 しかし、写真家だけではないが、音楽家であれ画家であれ、その時代に必要な表現者は、いつの時代でも、そんなに数多くは存在しない。ほとんどのものは、無聊の慰めや、飽きたら他に取替えできる刹那的な飾り物にすぎないわけで、そうした数が多ければ表現界が活性化すると考えて、業界が、賞を乱発し、メディアに働きかけ、盛り上げようとすればするほど、浅はかなものになっていき、結果的に、世の中にとって、その表現界は、ほとんど意味のないものになっていく。

 船尾さんや新田さんの背中を見て仕事をする写真家が、100人でもいれば、その時代の写真界は、かなり充実したものとして後世に伝わるのではないだろうか。

 船尾さんが取り組んだ「満州」は、400ページにもなる分厚い本だが、ここに掲載されている歴史の生き証人である膨大な建築物は、50年後には消えてなくなってしまうが、建物や、その記憶だけでなく、「明治維新以降の日本とは何だったのだ?」という、決して目を逸らしてはならない問いが、おぼろになってしまうことの方が深刻な問題だ。

 船尾さんは、広大な満州の地で、それらの建造物を発見し、撮影をすることで、歴史からの忘却を防ごうとしている。

 そして、新田さんが取り組んだ「Sakhalin」の、祖国に帰ることのできなかった人々は、新田さんが取材中にも、一人ひとり亡くなっていくわけで、新田さんは、彼らの記憶をつなぐことに精力を傾け続けた。

 二人の背中を見て、同じように丁寧な仕事を100人だけでも行えば、それこそ、その集合は、「ホメロス叙事詩」のように、歴史を語り継ぐ力となるだろう。

 数千、数万という時代の消費財よりも、その100人を目覚めさせるのが、預言者的な役割を持つ表現者なのだろうと思う。

 表現における時代の先端というのは、流行の先端という意味ではなく、次にあるべき時代の羅針盤となることだ。

 

 

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