第1518回 京都の三本鳥居の謎について

宇多天皇が創建した仁和寺で平寿夫さんの「熊野」に関する写真展を見た後、帰り道にある太秦蚕の社へ。
 宇多天皇は、日本で最初の法皇だが、熊野は、出家した宇多天皇が、たびたび修行のために訪問した場所である。
 宇多天皇が、なぜ出家したのか? 様々な説があるが、私は、様々な制約のある天皇の身分を離れることで、改革を、より推進しやすい立場になろうとしたのだと思う。(宇多天皇は、平安末期の白河上皇などの院政の先駆けである)。
 京都の太秦に鎮座する蚕の社は、日本では珍しい三本の鳥居で知られている。
 この三本の鳥居が何を意味しているのか? どこを向いているのか? と色々な議論がある。
 蚕の社は、秦氏関係の神社だとされるので、京都の秦氏関係の聖域、西の松尾大社と東の伏見稲荷大社、そして、北は、秦氏のものだとされる古墳のある双ヶ丘を指していると指摘している人たちが多い。たぶん、ネットで検索したら、そのように説明されているだろう。
 しかし実際に線を引いてみるとわかるが、東は伏見稲荷大社ではない。 

 蚕の社から冬至の日に太陽が沈む方向に松尾大社が鎮座しているが、その松尾大社の真東で、蚕の社から冬至の日に太陽が昇る方向にラインを伸ばすと、現在は、壬生寺が存在している。
 しかし壬生寺の創建は10世紀の後半で、それ以前、このあたりは朱雀院があった。
 朱雀院というのは、天皇法皇となった後に居住していた御所であり、日本初の法皇である宇多天皇が、ここを整備して、居住していた。
 宇多天皇は、菅原道真を重用したことは、よく知られている。その道真が太宰府に流されて亡くなった後、宇多天皇法皇として、道真がやり残した改革を行っている。
 その改革とは、人頭税を廃止して、土地そのものに税を課するもので、律令体制の終焉を意味する。 
 当然ながら、既得権組(人頭税だからこそ潤った荘園経営の貴族たち)は反対するのだが、地方豪族化していった勢力は、この改革を後押しした。なぜなら、土地の計測や収穫を管理する地方豪族者の権限が高まるからだ。この改革の流れから、武士が生まれることになる。
 宇多天皇というのは、もともと源氏の身分であり、天皇になる予定がない人だったが、急に抜擢された。おそらく、その背景には、改革を推進したい勢力がいたことだろう。
 宇多天皇というのは、母親が、班子女王という渡来系の当宗氏の血を引く女性だった。
当宗氏というのは、桓武天皇の時に将軍として活躍した坂上田村麻呂坂上氏の系統とされるが、坂上氏は、渡来系の東漢氏である。
 そして桓武天皇もまた、母親の高野新笠が、土師氏の母と、百済系渡来人の和氏とのあいだの娘だった。
 土師氏は、渡来系の秦氏と同じだとする説もあるが、このあたりは詳しくはわからない。しかし、宇多天皇が重用した菅原道真は、土師氏の末裔である。
 こうした背景を踏まえて、蚕の社の3本鳥居の位置を改めて見直すと、北には秦氏関係の双ヶ丘があるが、その北に、宇多天皇が創建した仁和寺があり、さらにその北に宇多天皇の大内山陵がある。
 そして仁和寺の真東が、菅原道真を祀る北野天満宮である。
 つまり、蚕の社の3本鳥居が示している方向の西の松尾大社と北の双ヶ丘が秦氏関係であるが、東の壬生の朱雀院は、宇多天皇法皇となった後、改革を継続するために指揮を執った場所であり、北には、宇多天皇の陵と、宇多天皇ゆかりの仁和寺がある。
 明らかに、宇多天皇が、かなり深く関係しているように思われるのだ。
 なぜそうなのかと考えると、おそらく、10世紀、菅原道真を重用して改革を進めようとした宇多天皇の背後に、東漢氏秦氏など渡来系勢力がいたからだと思われる。
 これらの渡来帰化人は、東漢氏系の坂上氏が、摂津の多田に拠点を置いた清和源氏の武力の要となっているし、秦氏の後裔である惟宗氏も、地方を統括する郡司などに多くの名が見えるが、後に、島津氏や安芸氏や宗氏などの武士勢力となっている。
 その転換期が、10世紀の宇多天皇菅原道真の怨霊騒ぎの時代であり、太秦蚕の社の三本鳥居がいつ作られたかは謎なのだが、その位置関係からして、その変革と無関係ではないだろう。
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第1517回 トランプ氏に象徴されるアメリカの今

 アメリカ大統領にトランプ氏が当確という結果に、トランプ嫌いの人は失望しているだろうが、私は、個人的に、バイデン氏やハリス氏より、この方が良いのではないかと思っている。
 私だってトランプ氏が好きなわけではないが、トランプ氏は、表の顔も裏の顔もあまり変わらないような気がするが、バイデン氏やハリス氏は、その差が大きいという印象が強いのだ。
 大統領ともなれば、裏の顔というのは、自分個人の顔だけでなく、そこに利権に絡んだ多くの者たちの顔がある。
 とくにアメリカの場合、軍産複合体の影響力が、政界にも経済界にも絶大だ。彼らの要求に、ハリス氏が向き合って対抗できるだけの胆力や馬力や勇気があるとは感じられない。
 結果的に、国際社会の表側では、平和を愛する温厚な人物の笑顔を振りまきながら、実際には、ウクライナ を、アメリカの武器の見本市にするということが続けられる。
 それに対してトランプ氏の頑固さに、脅しは通じないような気がする。なにしろ、銃弾が耳を引き裂いても怯むことなく拳を突き上げるように、常人とは次元の異なる我の強さなのだ。
 アメリカに限らず、どこの国だって、自分の国より他の国を優先的に考えるところなど存在しない。
 一人ひとりの国民は、善良で平和を愛し、環境を守ることを第一だと口にしながら、実際は、自国の繁栄と安定を優先するという国家エゴの砦に守られたなかで、好きなことが言えている。これが、本当に食うに困るようになったら、隠れたエゴが表面化してくる可能性が高く、自分が窮地に陥っても、信念を貫き通せるような悟った人の数は、それほど多くはないだろう。
 ハリス氏もトランプ氏も、自国優先主義ということでは変わりがない。しかし、その方法論が異なっているだけにすぎない。
 一般的に、トランプ氏の共和党は保守、ハリス氏の民主党はリベラルと言われるが、保守の方は、わかりやすい。大きな変化を望まず、伝統を重視するという考えだ。
 それに対して、リベラルの方が、実は曲者で、時代環境によって、何をもってリベラルとするのか、その意味が変わってくる。
 自由というのは、耳に心地よいが、エゴが強くなると、好き勝手、やり放題ということになる。
 グローバル化されていない社会では、国内の一部のブルジュワが国内の労働者を搾取する構造だったので、その体制維持のため、ブルジュワは共和党を支持し、労働者が民主党を支持するという構造があった。
 しかし、もともと共和党は、奴隷制支持の民主党に対して、リンカーン大統領に象徴されるように奴隷制廃止のために結成された党である。工業化が著しい北部では流動性のある労働力が必要で、奴隷を拘束して重要な労働力としていた南部の農民たちとのあいだに対立が生じて南北戦争が起きたが、共和党が勝利した。そして、共和党を支持する北部アメリカの著しい工業化が、アメリカ帝国主義となって世界に進出していくともに、共和党は、アメリカのエゴを象徴する存在となった。
 そうした状況のなか、世界各国で、ブルジュワの冨の独占に対して労働者の地位向上を求める動きが盛んになり、アメリカの民主党は、そうした労働者に支えられる存在になった。
 しかしながら、1980年頃、大きな分岐点に差し掛かる。アメリカの自動車産業など伝統的な大企業が衰退してしまったのだ。
 古い産業を軸にしたアメリカ経済の不振は、共和党の失墜にもつながった。それをごまかすために、対外戦争で求心力を高めようとしたのが、スターウォーズ計画のレーガン大統領から、イラク戦争ブッシュ大統領(父)の流れだった。
 こうした試みでもアメリカ経済は立ち直らず、新たな経済政策で現在のアメリカを築く礎になったのが、1993年から始まった民主党クリントン政権だった。
 この時、アメリカは、経済の中心を、重化学工業からIT・ハイテクに重点を移し、新しい起業家が次々と誕生するようになり、今では世界で最も裕福な人たちは、この時以降に会社を作った創業者ばかりであり、しかも、その冨の巨大さは、かつての財閥の比ではない。
 いくら、かつてのアメリカ企業が、世界で大きなシェアを誇っていたとはいえ、現在のアメリカのIT産業のような独占に至っていなかったからだ。
 そのため、かつて共和党を支持していた裕福な人たちは、今では民主党を支持し、その冨の恩恵にあまり預かることができない人たちが、共和党を支持するようになっている。
 多くの人たちが想像していた以上に、トランプ氏がハリス氏を選挙結果で圧倒したのは、それだけ、アメリカ国内において、食うに困っている人が増えているということだろう。
 民主党共和党も、他の国よりも自国を優先することに違いはないが、民主党は、日本のアベノミクスの時のように、全体のパイを大きくすれば、そして、強いものたちを保護して好き勝手にやらせれば、彼らが大きく稼ぎ、やがては一人ひとりに冨がめぐっていくという方法だ。
 しかし、日本でもそうだったが、この方法は、稼いでいるものは、さらに稼ぎ、稼ぐことができないものは、むしろ貧しくなる。
 その理由として考えられるのは、かつての重工業時代と産業構造が異なっているからだろう。
 重工業が中心の時代ならば、冨を持つ者の投資先は、たとえば大工場で、その時代はまだ労働集約型産業だから、正規社員の雇用を拡大した。
 しかし、現代、冨を持つ者は、より効率的に儲けられるところへとお金を動かす。労働力が必要だとしても、ハイテク化が進んでいることもあって、補助的で取替え可能な労働力を、できるだけ安く獲得する方向へと意識が向く。当然ながら、非正規社員でよいということになる。
 機械やコンピューターに代替えしない仕事は、特別な能力を必要とする仕事か、機械やコンピューターを設置するために投資するより低コストの雑役か、というふうに二分化してしまい、前者の数は限られているから好条件で雇用されて裕福になり、後者は、他に取替えが利くということで、待遇が悪化していく。
 日本もそういう状況になっているが、アメリカは、日本以上に弱肉強食の世界だから、その差は、一段と広がっているのだろう。
 その結果、かつてはトランプ氏に対して批判的な声をあげていたヒスパニック層や黒人層にも、トランプ氏を支持する人が増えたと言われる。
 だとすると、トランプ氏は、民主党のやり方を、どれだけ変えることができて、その影響は、どのくらい大きくなるのか。
 海外の戦争においても、民主党の発想ならば、国内の軍需産業が儲かり、軍需産業をエンジンにして国内の産業が活性化(現在の戦争は、ドローンを例えに出すまでもなく、IT技術の競い合いでもある)し、経済全体のパイが大きくなって、アメリカ経済も好調になるということになるが、トランプ氏の発想だと、軍需会社に対して支払っている莫大な政府予算を、わかりやすい形で、アメリカ国民にまわすべきだということになるだろう。
 不法移民を含む海外からの安い労働者の流入は、取替え可能で使い捨てのできる人材を必要とする企業などは、むしろ歓迎だが、そうした職業分野で人があまるようになると、当然ながら、元から働いていた人たちは窮地に陥るわけで、彼らを守るために、移民の制限は厳しくなる。
 また、現在、環境問題で萎縮させられている天然ガスなどエネルギー産業を活性化することは、ITなどの効率的産業と異なって、労働集約産業の構造があるから実質的な雇用拡大につながる。
 さらに関税をあげて、国内産業を守る。関税は、価格だけで選ばれる農業製品に特に影響が大きく、共和党支持層である農民たちにとって救いになる政策だ。
 トランプ氏は、何をやらかすかわからないという印象をもたれているが、実際には、その行動特性や思考特性は、わかりやすい。
 バイデン氏やハリス氏の方が、裏の顔がわかりいくいということもあるし、当人の意思や考え以外のものに操られる可能性が高そうで、展開が読みにくいのではないかと思う。
 オバマ大統領の時もそうだったが、大統領が、表向きに、リベラルで平和的で耳障りの良いことを口にしていて、アメリカのエゴが見えにくくなっていたが、世界各地で、アメリカの関与による血生臭いことが増えた。
 バイデン政権もそうだった。大統領は、ニコニコと、当たり前の正しさしか口にしないが、ウクライナの戦争も、イスラエルの戦争も、アメリカが大きく関わっている。
 そして、一般的には、まったくそのように思われていないが、実は、日本の伝統的な政策というのは、トランプ氏の考え方にとても近いように、私は思っている。
 たとえばライドシェアの規制のように、旧産業を守るためのスローな改革、移民の制限、海外派兵は断固反対、国内の農産業を守るための高い関税、こうしたことは、自由主義の人たちから見れば、あきらかに保守的である。
 自由主義の国、アメリカで同じようなことをやろうと思えば、トランプ氏のように、国境に高い壁を作るなど、激しい口調で、その正統性を訴える必要があるだけで、日本は、表向きにはうやむやな態度で、それを行い続けているとも言える。
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 こちらも同じく、詳細は、ホームページにて。

 

 

第1516回 写真における、独自の視点と、その人ならではの姿勢。

(新刊の「かんながらの道」より 

 東京の写真を撮っている人は、とても多い。
 そして、それらの写真を持ち上げる際に、「独自の視点で東京と切り取った!」という言葉が使われることが、とても多い。
 気鋭の写真家とか、重鎮の写真家とか、なんでもいいが、「独自の視点で切り取る」という言葉に、私は、いつも違和感を感じている。
 東京という場は、単なる風景ではなく、生身の人間が生きて活動している舞台なのだが、その舞台を、自分が好きなように切り取って料理することが、アート表現ということになってしまっているようで、けっきょく、目の付け所を競っているだけにすぎない。
 昨日も友人と話をしていたのだが、京都というのは、街自体は整然としており、街を歩いていても迷路の迷い込む様なことは、あまりないのだが、東京の道は複雑怪奇に錯綜としており、至るところに新しい発見があることは間違いない。だから、飽きることなくそうした探索を続けることができるし、新しい発見を競い合うようにして東京を切り取った写真は非常に多くなり、そのなかで、目新しいものが「独自の視点で切り取った」と、束の間だけ称賛されるのだが、その独自性はすぐに飽きられ、他の独自性に更新される。 
 だから、常に注目を浴び続けるためには、それこそ獲物を狙うハンターのように、何か面白いものはないかと、街の中に繰り出し続けることになるのだろう。
 独自の視点ではなく、「その人ならではの姿勢で、東京と向き合った。」という言葉で、東京の写真が取り上げられることは、あまりないようだが、私は、そちらの写真の方に興味が惹かれる。
 その人ならではの姿勢には、その人の、それまでの生き様や思考の積み重ねや経験が反映される。だから、その領域が浅いと、写真も味わい深いものにはならないだろう。
 対象への目の付け所ではなく、対象との向き合い方。 
 何が違ってくるかというと、写真の中から、被写体と撮影者のあいだの対話、声にならない声のようなものが聞こえてくるかどうかだ。
 独自の視点で切り取ったと表現される写真からは、確かに、撮影者の眼差しは感じられるが、心で向き合っていないからか、対話のようなものは、あまり感じ取れない。
 私の家には、鬼海弘雄さんの写真がたくさんあるのだが、写真から、鬼海さんと被写体の対話、声にならない声のようなものが感じとれる写真は、不思議なことに、何年ものあいだ、毎日のように見ていても飽きない。
 鬼海さんのポートレートのように、東京の街を撮る。鬼海さんは、私が作った鬼海さんの写真集「Tokyo View」の中で、それを行っている。
 しかし鬼海さんの真似はできない。「視点」であれば真似ができても、「姿勢」には、鬼海さん自身の人生が深く関わっているから、真似をしようと思ってもできない。
 被写体に頭を垂れるようにして被写体と向き合うハッセルのカメラの持ち方を含め、そこに鬼海さんの気配と、鬼海さんの写真が在る。
 鬼海さんと同じ道具で同じ姿勢で自分もやるのではなく、私の場合は、道具として、針穴写真と三脚の方が、心素直に対象と向き合えるような感覚があって、その方法を選んだが、鬼海さんの姿勢は、常に明確な指針になっているし、その軸があるからこそブレずにできると思っている。
 鬼海さんの東京の写真は、「鬼海さん独自の視点で切り取った写真」という言葉をあてはめると、言葉の軽さが浮き彫りになる。やはり、「鬼海さんならではの姿勢で、東京と向き合い続けた写真」と表現すべきだろう。
 それらの写真が味わい深いのは、鬼海さんの生き様や、思考の積み重ねや経験の深さがあるからで、被写体との向き合い方には、それらが必ず反映される。
 独自の視点というのは、ごまかしがきくし、その程度のノリで活動している人の言葉も、大して面白くないが、その人ならではの姿勢というのは、写真にしても言葉にしても、ごまかしがきかず、必ず、その人自身が、そこに顕れる。

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新刊の「かんながらの道」より

第1515回 「狂」という特別な霊力。

 10,000人の感想よりも、その人の一言が、自分の方向性を決めることがある。
 私が、ずっと長い間、自分がアウトプットするものが果たしてうまくいっているかどうか、確認するための指針としている方から、このたびの「かんながらの道」に対するお言葉をいただいた。
 この方は、写真家ではないけれど、写真と同じく「視る」ことと「在る」ことのあいだにおいて、最も深いところで考えて、決して世の中に妥協することなく作品を作り続けている人。寡作であり、流行の物は作らないし、メディアに登場しないので、今日では名も知らない人も増えているけれど、世界的な大監督の一人でもある。
 「カラーで針穴写真(!)が果たしてうまくいくのだろうか、とちょっと心配ではあったのですが、いいですね。
 写真がもう一度、絵画に戻ったような錯覚にとらわれました。
 これまでのモノクロで、形とはいってもくっきりとした線をなしていないまま、おぼろに揺れていた像に、色がのって、不思議な世界が現出しました。
 面白い。
 デザインも写真の並びも上手くいっています。
 カラーからモノクロページへの移行もスムーズで、再びさくらの花ででカラーになって、赤いきつねの群れ、やがて進んでいくとモノクロでもカラーでもどちらでもいいと思えるように混在してくる感じもいいですね。
 ただ都市の写真はもう一つまだ掴み切れていない印象を持ちました。
 それにしても「日本人のこころの成り立ち」(1)から(4)も大論文、大いに価値のある本になっていました。」
 この感想のなかの、「都市の写真はもう一つまだ掴み切れていない」というお言葉。たぶん、他の人から指摘を受けることはないだろう。
 目に新しいとか、そういうポイントでは決して物事を見ない人だからこその感想。
 何をもって掴み切れていないのか。それは、都市以外のページにおいては、かなり掴めているという印象を受けていただいているからこそ、でてくる言葉であり、そこから考えると、これまで私が取り組んできた日本の古層をめぐる旅の一つの集大成と言える今回のテーマ、「かんながらの道」において、都市以外のページは、このテーマにそったものになっているが、都市に関しては、このテーマで扱うには、まだ完全に消化できていないというご指摘だろう。
 そして、その指摘は、そのとおりだと思う。
 都市以外のところと、時間のかけ方において、かなり差があることは確かだし、「都市」と、「かんながらの道」というテーマを重ねることは、前回のエントリーでも取り上げさせていただいた、もう一人の方の言葉、「今の時代、カメラオブスクラの記憶を持ち続けることは至難なこと」と同じく、極めて至難のことだからだ。
 自然のなかに、かんながら=神のおぼしめしのままの世界を見出すことができても、人為のなかに、それを見出すことは、簡単ではない。
 しかし、現代人の大半が、人為の集積である都市をベースに生きているわけだから、ここを避けては通れない。そういう思いがあり、古代のことに関する集大成と、次の展開のあいだに架ける橋として、今回、都市のページを設けた。
 都市と、かんながらの道をつなぐ鍵となるのが、本の中に挿入している荘子空海親鸞の言葉だ。
 荘子は、老子とともに老荘思想でくくられるが、この二人の自然観は、大きく異なる。
 老子の自然は、人為と対立する自然であり、現代の感覚でいうと、自然物から離れた人間的行為を否定的に捉えて、「自然を大切にすべきだ」と説くこと。この思想が過激になると、捕鯨反対をスローガンにする暴力的行為を正当化するという矛盾も起こる。
 荘子の自然は、これとは違い、人間である以上、人為から逃れられないわけで、人為と自然のあいだに線引きをしない。いずれも有為という無常の存在であり、問題は、その有為であるものに執着してしまうこと。それが反自然ということになる。地位や財産に執着することや、家族の死に執着することさえ、荘子にとっては、自然に即していないということになる。
 実は、旧約聖書におけるアブラハムの存在もまた同じである。イスラエルにとって、最も重要な聖人であるはずのアブラハムは、荘子と同じく、何事にも執着しない存在だった。
 バビロンにおける栄華を捨て、故郷を捨て、荒野を旅し、その途中に、執着の権化であるソドムとゴモラの滅亡を見て、最後には、息子のイサクさえ、神の声に従って生贄にしようとしたアブラハム
 現代のイスラエルという国は、アブラハムを最も重要な聖人としているにもかかわらず、アブラハムとは対極のソドムとゴモラの側に立ってしまっているのだ。
 日本において荘子の自然観と同じなのが、親鸞の自然観であり、自然を「じねん」と呼び、「おのずから、しからしむる」ということになる。
 この自然は、ネイチャーではなく、自然体という感覚に近い。そして、日本には、西欧のネイチャーに等しい自然観は、明治維新まではなかった。
 親鸞の説いた浄土真宗は、日本でもっとも信徒が多い宗教だが、この宗教にとって、自然というのは、ネイチャーではなく、自然体のこと。
 そして、この自然体を歪めたり、阻んだりするものが、人間の比較分別。損とか得とか、上だとか下だとか、敵か味方の区別もそう。これによって、余計な計算や打算が入り込んでしまい、不自然な言動へとつながっていく。
 人間は、大脳皮質を発達させてしまい、この大脳皮質は、物事を抽象的に比較分別することが得意なので、人間は、どうしても比較分別に囚われてしまう。
 この分別からの脱却が解脱であり、宗派によって、その道筋は大きく異なる。
 密教のような修行もあれば、禅のような瞑想もある。しかし、これらの方法は、特定の人しか取り組むことができない難易度の高いものであり、そのため親鸞法然は、ひたすら念仏を唱えるだけという方法を提示した。
 これは、法然親鸞以前に、10世紀初頭に空也が始めた踊り念仏を起源とするもので、集団で踊りながら念仏を唱え続けることで、ある種の憑依状態となり、世俗のしがらみを超えることができる。
 この方法は、古代の巫女舞にも通じる解脱方法であり、中世日本において、この解脱方法が脈々と受け継がれ、盆踊りなども、その流れのなかにある。
 今でも日本人は、何かしら深刻な事態に直面した時、こうした解脱方法で、その悩みを洗い流すことができる。
 この日本人の特性について、過去を反省しないとか、失敗に懲りないとか、否定的に捉えられることもあるが、困難に面しても前向きな気持ちに切り替えることもできるし、何より、苦し紛れに他人を犠牲にして自分だけを守るという執着の放棄につながる。それが日本人の美徳にもなっている。
 渋谷の街を歩いていると、カラオケボックスだらけなのだが、これも一種の踊り念仏なのではないかと、私は思うのだ。
 職場での人間関係をはじめ、ストレスが蓄積することは日常的であり、そのストレスを溜め込むのではなく洗い流す必要がある。休日登山に励む人もいれば、流行のマインドフルネスに夢中になる人もいるし、カラオケボックスで歌い続ける人もいる。
 おしなべて、無意識であるにしろ、現代社会における解脱の道を求める人の行動だろう。
 そして、空海は、このように看破する。
 「三界の狂人は狂わせることを知らず。 四生の盲者は盲なることを識らず。 生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、 死に死に死に死んで死の終りに冥し。」
 「三界」というのは、欲界・色界・無色界の三つの世界のことだが、「欲」は、淫欲と食欲で、「色」は、淫欲と食欲を超えた物質や地位名声その他の有為の現象に対する執着を意味するものだから、人間以外の生物にはない。だから、三界の狂人というのは、人間のことだ。
  「四生」というのは、四つの出生の方法の違いを意味するが、 四生の盲者は、卵であろうが胎内であろうが、いずれにしろ生まれてくるものすべてを指す。
 すなわち、生物全体として、自らが盲なることの自覚はない。だから、生まれた時も、暗闇のなかから生まれ、道理にくらいまま、この世から消えていく。
 そこで、この空海の言葉で重要になってくるポイントが、人間を指す「三界の狂人」ということになる。
 「狂」という言葉をネガティブに受け取る人が多いが、古代においては、そうではない。
 「狂」は、古代においては巫女の憑依であり、神の降臨と重なる。それは、日常を超える境地であり、預言であり、新しい世界の創造を意味する。
 今でも、ひたすら物事に打ち込むことを、「狂ったように」と表現する。
 白川静さんの言葉によれば、「狂」の持つ意味は、本来「王」に与えられた特別な霊力を秘めていた。
 そして、白川さんの好きな漢字の一つが、「狂」であり、これは、世間の埒外に逸出しようとする志であり、最大の賛辞だ。「狂」は、人間ならではの至境を意味する。
 「三界の狂人は狂わせることを知らず」。ここで肝心なのは、「狂っていることを知らず」ではなく、「狂わせることを知らず」と空海が述べていること。
 人間は、本質的に、そうした特別な霊力を潜在的に備えているにもかかわらず、卑小な分別によって歯止めをかけ、ラインを引いてしまい、そのラインの中の常識に囚われてしまう状態を、空海は、「狂わせることを知らず」という言葉で示している。
 そのラインを超える狂人だけが、「死の終りに冥し」という状態を脱却できるのだ。
 簡単に言うと、何事も、狂ったように打ち込まないかぎり、その道に通じる境地に至らないということ。
 「狂」という言葉は、現代社会でネガティブに受け止められるので、代わりに、「ゾーン」という言葉を用いた方が伝わるかもしれない。
 大リーグで活躍する大谷選手が、従来のスポーツ選手と大きく異なるのは、いくらお金と名声を得ても、野球以外の時間は、寝ているという話だ。
 夜の街に繰り出して高級クラブで酒を飲んで女性にもてはやされたり、美食を楽しんだりといった派手な暮らしを当然の権利のように行うのが、かつての成功したスポーツマン像だった。
 世の中は、大きな成功を成し遂げていなくても、オンとオフとか、仕事と遊びとかを分別している人が大半だが、大谷選手は、そうした線引きがなく、ずっとオンで、ゾーン状態にいるのではないかと思う。つまり、大谷選手は、「狂」という特別な霊力を身に宿らせるほど、それだけに打ち込んでいる。
 ひたすらそれだけという境地になっていないと、見えてこないものがある。
 宮大工も、そうした境地だからこそ、樹木の声が聞こえて、その声に従って建物を生み出している。
 都市が、なぜ人を惹きつけるのか。それは、一部の人にとっては、そこが踊り念仏の舞台であるからだろう。
 また一部の人にとっては、古い常識の外に出られる回路を期待するからだろう。 
 人間が作ったものであるにもかかわらず、一人の人間からすれば、あまりにも巨大な都市空間。自分の無力を感じれば感じるほど、むしろ逆に、爽快感や解放感が得られることがある。自分を超えた大きな流れになかに、自分が存在しているということに対して、自我の殻の厚い人は不安になるかもしれないが、自我の殻を取り払えば、安心感につながることもある。
 宇宙の中の星屑のような小さな存在であるけれど、全ての星と同じように、いずれは儚く消えて行く身であるということが、宇宙の摂理と、この身を一体化させたかのようで、命の尊さを感じ、安らぎにもなりえる。
 いずれにしろ、自我の殻を脱ぎ捨てて、狂うほどに何かに取り組むことがなければ、ものごとの道理にくらいまま一生を終えることになる。
 冒頭に戻ると、私が、都市を掴み切れていないのは、都市以外のことは、この8年のあいだ、ひたすらこればかり狂うほどに取り組んでいたけれど、都市においては、まだ、そこまで至っていないから、ごく当たり前=自然なこと。そういう微妙に足らないところを、きちんと見ていただけるのは、その人が、それほどの深さで、自らを狂わせて、物事に取り組んでおられる証でもある。
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第1514回 思念の宙返りと、新しい世界の円環

 恋愛において、どんなに異性にもてる人でも、自分の意中の人に振り向いてもらえないと、心の中は辛く悲しいはずで、それは、物づくりでも同じ。
 100人の感想よりも、あの人の心に届くかどうかが気になるという存在がいる。
 なので、新しく本ができれば、まず、その人たちに見てもらう。そして、その人たちは、日本の中でもっとも尊敬している人たちでもあり、かつ厳しく確かな目を持った人であり、発せられる言葉は、それがたとえ否定的なものであっても、次に向かう際の指針になって、より深く高いところへと意欲が増す。
 このたび制作した「かんながらの道」に対して、そのお一人から、次のような感想をいただいた。
「いま、カメラオブスクラの記憶を持ち続けることは至難なことです。外殻を嫌いひかりの示す複雑なイメージを見つけた人のみの特権かもしれません。針穴のあの逆さまを思い出し、数カ所さかさにして見ました。思念が宙返りし、イメージがさまよい、現在の見えにくいデーモンが窺えるのにはっとしました。都市への解釈も加わり、新しい世界の円環がみえだして、まさに予言の書となりました。」
 数カ所をさかさまにして見るという言葉に、私自身も、はっとした。
 制作段階では、そんなこと考えたこともなかったが、この写真のことだろうか、どの写真のことだろうかと、一つずつ確認した。
 「思念が宙返り」、「現在の見えにくいデーモン」、「新しい世界の円環」、「まさに予言の書」、これらの言葉は、言葉だけで、私を戦慄させる力がある。
 そして、明確な啓示をいただいたような、ある種の目眩を覚え、次への道の先に、扉が少し開いて光が差し込んでいるような感覚を抱く。
 針穴写真は、天地が逆さまに写っている。しかし、その逆さまというのは、大地の上に立っている人間の視点でそう感じるだけで、天の上からの視点では、ピンホールの暗箱の中の画像が、常態かもしれない。
 「新しい世界の円環が見えだして」というのは、なんと心惹かれる言葉だろう。心惹かれるのは、潜在的な希望が、そこにあるから。
 新しい世界の円環は、自分が立っているポジションからは見えない。そのポジションを、どう移すか。作為的ではなく、おのずから、しからしむるように、移せなければ、移したと思っていても、実は、立ち位置としては、同じになるだろう。
 予言というのは、預言であり、自分の中のイメージではなく、預かったイメージ。預かるのは、授かるということでもある。
 このように、自分以外の自分にとって特別の存在から言葉を預かって、自然な形で、これまでと少し違うポジションに移ることができる。
 まずは、さかさまに見てみるというところから、自分にとっての次が始まっていく。
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「かんながらの道」は、書店での販売は行わず、オンラインだけでの販売となります。
 詳細およびお申し込みは、ホームページアドレスから、ご確認ください。よろしく、お願い申し上げます。
 https://www.kazetabi.jp/
 また、新刊の内容に合わせて、京都と東京でワークショップを行います。
<京都>日時:2024年11月16日(土)、11月17日(日) 午後12時半〜午後6時
場所:かぜたび舎(京都) 京都市西京区嵐山森ノ前町(最寄駅:阪急 松尾大社駅
<東京>日時:2024年12月14日(土)、12月15日(日) 午後12時半〜午後6時  
場所:かぜたび舎(東京) 東京都日野市高幡不動(最寄駅:京王線 高幡不動駅

 

第1513回 日本人とは何か? 日本文化とな何か?

 ここ数年、遺伝子解析の技術が進んでいるようで、数限られた古代人の人骨のDNAと、現在の日本人のDNAの比較が行われている。その結果、これまで考えられていたような、日本人の起源を縄文人弥生人のどちらかとする説ではなく、古墳時代に大挙してやってきた人たちの遺伝子と現代人の遺伝子の共通性が、縄文人弥生人よりも高いという説が、数年前に唱えられた。ところが最近、他のサンプルでの調査で、やっぱり縄文系と弥生系のどちらかだと主張する専門家も現れた。
 遺伝子研究の分野の専門家にとっては、どちらが正しいかを決めることが重要なことかもしれないが、果たして遺伝子が、日本人や日本文化の個性を作り上げているのかどうかを考えることの方が、大事ではないかと思う。
そもそも、現代のセオリーでは、人類共通の祖先がアフリカにいて、そこから各地に散らばっていったことになっており、同じ遺伝子を持っていても、住んでいる環境によって、肌の色や体格の違い、言語や宗教の違いが生じている。
 生物全体にしても、同じ単細胞生物から、環境世界の違いによって、これほどまで多種多様な生態系が生じている。
 仮に人類が火星に進出することができて生き延びることができるとしても、そして生存のための酸素や水を入手する方法が得られたとしても、重力や大気濃度の違い、放射能や電磁波の強さなどの影響によって、もはや以前の人間と同じではいられないだろう。苛烈な環境のなか、ごく限られたものだけ生き延びることができても、突然変異的に、姿形も、機能も、異なってしまうだろう。
 生物は、環境の違いによって生存戦略が変わる。そして人間も同じであり、人間の文化も、他の生物の求愛活動などと等しく、一種の生存戦略だ。
 現代人にとって文化は、余興のようになっているが、もともと、文化は新しい環境で生きていくための知恵であった。
 そして、技術と精神が融合した文化の中心軸にあるのが、言語だ。
 私たち日本人は、日本語を使って物事を理解し、日本語を使って物事を考えている。だから、私たちの思考やイメージが日本語の影響を受けていることは当たり前であり、日本文化も、日本語という言語の特質を抜きに存在しえない。
 日本人とは何か?という問いにおいて、日本人の起源をめぐる色々な議論はあるが、外国の地からこの島国にやってきた人たちでさえ、世代を重ねていくと、日本の風土環境への適応とともに、日本語による考え方や理解の仕方の影響を受けて、「日本人」になる。
 邪馬台国がどこにあったかの論争とか、日本人のルーツはユダヤ人であるとか、何かを特定することが歴史の真実であるかのような、クイズ番組のような感覚の歴史学習もまた楽しいだろうが、そうしたことは、歴史を知ることの本質ではない。
 私たちが現在使っている訓読み日本語の発明は、西暦500年頃、今来という渡来人によって行われたと考えられている。
 日本の中で長く生きている人ばかりで、日本に大きな変化が生じていなければ、訓読み日本語は発明されていなかっただろう。
 そうした発明は、そうしたものが必要な状況になったからこそ起こる。
 中国古代においては、共通文字の発明は、王朝の成立と重なっている。一人の王が、いくら武力に優れていても、それだけでは広い国を統治できない。国を治めるためには様々な約束事が必要で、その約束事を記録する文字が必要になる。
 それゆえ、これまでの日本の歴史研究で信じられているような、3世紀後半に奈良で始まったヤマト王権という一大勢力が、早くから日本各地を支配していたという説は、修正をする必要がある。
 考古学的にも、たとえば古墳時代後期に作られた甲冑や馬具などの武具は、近畿圏よりも圧倒的に関東の方が多いし、ヤマト王権の象徴のように考えられている前方後円墳の数は、奈良よりも千葉や群馬といった場所の方が多い。また、ヤマト王権が奈良にあったとする説の根拠となっていた初期前方後円墳は、奈良の纏向だけが最古なのではなく、千葉の市原や神奈川の海老名にも同時代の同規模のものがある。これ以外にもいくらでも根拠になる事実はあげられるが、6世記頃までは、ヤマト王権という統一王朝による中央集権的国家があったわけではなく、群雄割拠状態だった。そして前方後円墳というのは、中世の戦国時代に全国に似たような城が数多く築かれていたのと同じで、技術や世界観の流行と共有は日本の広い範囲に及んでいたものの、だからといって、各地域が、中央政府によって支配されていたわけではなく、戦国大名のように、しのぎを削っていた可能性の方が高い。
 古代中国において、王朝の成立と切り離せなかったのは、文章管理の文字とともに、各地域を同じ時間で結ぶための太陰太陽暦であったが、日本において、太陰太陽暦の始まりは、欽明天皇の頃であり、これもまた6世紀ということになる。
 5世紀後半から6世記にかけて、朝鮮半島や中国大陸、そして日本国内に大きな変化があり、その変化の中で、訓読み日本語が発明され、実用的なものとして使用され、この文字化が、日本人の心の形成にも関わってきた。その顕れが、共通文字の使用から200年ほどしか経っていないのに作り出された万葉集だ。
 私たち日本人は、この万葉集に、私たちの心の起源を感じとっている。
 この万葉集が、万葉仮名という漢字をベースにした文字表記であること、そして訓読み日本語の発明が、この島国に長く住み続けて世代交代を繰り返してきた人たちではなく、新しく島国にやってきた人たちによって成されたことが、日本という国を考えるうえで重要なことになる。
 訓読み日本語は、外からやってきた人たちが、力づくで強要した結果ではない。ヤマトコトバという島国のなかで長く用いられてきた言葉に漢字を重ねているのであって、近代ヨーロッパが、植民地政策として、英語やフランス語の使用を強要したこととは異なる。
 日本の特徴というのは、訓読み日本語の成立のように、古いものと新しいものの統合であり、だから、その後の歴史においても、ごく自然に、神と仏が習合している。
 土着と外来が何層にも重なり合っているのが、日本文化であり日本人なのであって、そのルーツをユダヤ人とか縄文人とかに限定することに、あまり意味はない。
 この現代社会においても、外国からやってきて日本に惹かれて、長く日本に住み続け、一般の日本人以上に日本文化に精通している人は数多くいて、その人たちが、この国で子供を産んで、その子供たちが、生まれた時から日本で育てば、日本人になるだろう。
 日本が日本であるのは、万系一世の皇室とか、西欧よりも歴史がある云々とか、日本人が自らの優位性やプライドを保ちたいがゆえに持ち出すような根拠ではなく、むしろ逆に、他者に対する謙虚さや敬いの心に顕れているように、自らの今の状態を正当化して、ふんぞり返っていないところにある。だからこそ、本来の日本人は、変化に対して柔軟性を持っている。それが、悪い時には、周りに流されやすいということになる。
 そもそも、日本の自然風土じたいが、砂漠と違って、変化を当たり前としているし、数多い自然災害には、現在の安定が未来永劫続かないことを、切実に思い知らせる力がある。
 このたび出来上がった「かんながらの道」は、ノイズの多い現代社会において、そうした日本について再認識するためのセンサーの感度を上げなければならないという強い思いで、制作したものだ。
 私がピンホールカメラで撮り続けてきた森羅万象のなかの古代ゆかりの聖域に、何かしらの気配を感じて心を動かす人もいれば、まったく何も感じない人もいるかもしれない。
 これだけ各種の情報が溢れ、しかも、その一つひとつが、他に負けまいとボリュームを上げ続けているので、人々のセンサーも、鈍くならざるを得ない。
 しかし、それでも不易流行。変わっていくものもたくさんあるが、変わらないものもある。
 変わらないものの軸がなければ、変化は、人々に、不安しかもたらさないだろう。
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「かんながらの道」は、書店での販売は行わず、オンラインだけでの販売となります。
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 また、新刊の内容に合わせて、京都と東京でワークショップを行います。
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第1512回 かんながらの道と、ピンホール写真


昨日と一昨日に行ったワークショップに、ドンピシャで、新発売の「かんながらの道」が納品されました。
 すでにお申し込みいただいている方には、今日、発送をすませました。明後日あたりからお手元に届くと思います。ありがとうございました。
 今回の本は、自分で言うのもなんですが、世の中にあまりない写真本です。
 ピンホール写真によって、古代世界のリアリティを引き寄せようとするものであり、私は、同種のものを他に観たことはありません。
 私は、ピンホール写真の魅力を伝えたいという理由で、こうした試みをつづけているのではなく、古代世界や人間の無意識という現代社会の現象として確認しずらいもののリアリティを引き寄せるための道具として、通常カメラの写真よりもピンホール写真の方が相応しいと感じているからこそ、写真の起源とも言えるピンホール写真を撮り続けています。
 これまで作ってきた4冊の本はモノクロでしたが、今回、カラー印刷としたことで、写真本の雰囲気がより濃くなっていると思います。
 モノクロの場合、モノクロであるというだけで非現実感が漂いますが、ピンホールカメラのカラー写真は、カラーという現代社会に氾濫している映像表現で、超現実的な空間を生じさせる力があると思います。
 不思議なことに、通常の写真はレンズを介しているので人為の企みが強く反映されているのに対して、ピンホールカメラはレンズがなくて0.2mmの針穴に入り込んでくる光だけで像を結んでおり、天然の裸眼に近いはずなのに、超現実感覚がある。
 すなわち、自然に近いアプローチなのに我々が生きている世界と異なる領域へと誘われる感覚があるのは、我々の生きている世界が、本来の自然から何かしらのものを抜き取った記号的世界になっているからでしょう。
 記号化以前の本来の自然に秘められたもの、無に等しいモノのように現代社会では扱われているもの、そのリアリティを取り戻す道、それが「かんながらの道」であると思います、
 8年にわたって、ひたすら古代の聖域の撮影を続けてきましたが、今回は、その集大成です。そして、集大成というのは、次に向かう起点でもあり、最近、取り続けている東京と京都の写真を、今回の本の最後の方に20ページほど組み込んでいます。
 山河をかけめぐって自然のなかに潜入するだけでなく、私たちが生きている今の現実世界をピンホールカメラで撮影することで、現象世界の背後に流れている普遍性に意識を向けるためのイメージが獲得できるのではないかという予感があるからです。
 その普遍性というのは、古代と現代の表層的な違いを超えたものであり、同じ万象世界を貫いているものです。
 こうした言葉をいくら重ねても伝わりにくいものを、新刊の「かんながらの道」で感じ取っていただければ幸いです。
 書店での販売は行わず、オンラインだけでの販売となります。
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