白川静さんはすごい?

 『風の旅人』を創刊する時、執筆者のなかで一番最初に連絡したのが白川静さんです。今から2年前の12月29日の6時頃です。
 一生懸命に毛筆で手紙を書いて、企画書を送り、電話しました。お手伝いさんか秘書の方がいると思っていたので、何回かのベルの後、白川さん本人が受話器に出た時には、びっくりしました。
 当時、白川さんの奥様はご病気で入院中で、白川さん一人で生活していました。(今年の春、奥様が亡くなられたので、今もお一人ですが)
 それで、電話口で、唐突に大きな声で「あんた、たいそうなことしようとしているけど、こんなん実現するんか?」と言われました。
「実現する気もないのに、白川先生に連絡するはずがないじゃないですか」と言うと、「実現するんやったら、書いたるわ」とのお返事。
 それで、創刊号のテーマタイトルを「そろそろ死にましょか」でお願いしました。死を超越した白川さんにしか通用しないタイトルです。そうすると、その意図を汲んでいただき、「死を超える」という内容で書いてくれました。
 
 創刊から7号くらいまでは、一番最後のページで、ページのはじまりにボールを投げ返すような役割を果たしていただき、最近は、巻頭に白川さんの直筆をそのまま掲載しています。文字の迫力がすごいからです。白川さんの文字は、まさに言霊が宿っているという感じで、原稿をいただいた時に、いつも圧倒されていました。そこで、思いきって、直筆を掲載させてほしいとお願いしたのです。
「人に見せるような字じゃないが」と言いながら、了解していただきました。
 そして、その後、お送りいただく原稿には、作家の原稿によくあるような修正が、まったくありません。完全原稿です。でもよく見ると、修正液で誤字を塗りつぶしてくれたり、長い文章の修正の場合は、余白の原稿用紙を切り取って修正個所の上に貼り、その上に書き直してくれています。原稿をそのままスキャニングできるように、白川さん自身が、細かな作業をしてくださっているのです。まもなく95歳になる人がです。
 学問の業績の偉大さや、超人的な活力だけでなく、他者に対する気遣い(私のような若造に対しても)が、本当に素晴らしい人です。
 そして、甲骨文字や金文など、白川さんがいなくなったら誰にもできないような領域の仕事を、たった一人で完成させるために、年中無休で、一日に10時間以上、時間を割かなければならない状態にもかかわらず、「風の旅人」の創刊の時から今に至るまで、白川さんの原稿が執筆者のなかで一番最初に届きます。校正確認の時もそうです。
 本当に畏れ多く、頭が下がります。どうしてここまですごいのだろうと、いつも唸っています。