野町さんの写真の底力

 野町和嘉 さんが撮った新しい写真を見せていただいた。この二年間に何回か通っているアンデスを舞台にしたものだ。
 創刊号の巻頭で取り上げた東チベット、第六号で取り上げた世界初公開の野町さんのモノクロ写真のエチオピアに続き、いつもながら、圧倒的な写真ばかりだった。
 野町さんの写真は、水越武さんの写真とともに、『風の旅人』に一番合っているのではないか。

 アンデスは、<天と地と人間>をテーマにしてきた野町さんのライフワークの最後を飾るものだという。
 来年、イタリアの出版社から500頁にもなる野町さんの写真集が発行される。そのなかには、初期のサハラから今回のアンデスまで、野町さんの写真人生のほとんど全てといっていい写真が掲載される。
 先日のフランクフルトのブックフェアで、カンプが紹介され、その場で各国のバイヤーの注文を受けたところ、イタリアとかドイツで2万部ずつ注文があったのをはじめ、スペイン語、英語、ロシア語、日本語と、世界各国の言葉に翻訳されて発行される部数が10万部を越えたらしい。これは写真集としては驚異的なことだ。しかし、残念なことに、日本からの注文は、たった5千部だったらしい。野町さんの母国が、ロシアとともに最低数だった。この結果は、日本の出版世界の状況を端的に表している。
 
 通常の写真家の場合、『風の旅人』の誌面に合う写真を探すのに苦労して、なんとか組み上げるのだが、野町さんの写真は、どういう切り口でも組めてしまうハイレベルの写真が無数にあるので、違った意味で苦労する。
 今年の『風の旅人』の2月号(vol.6)でやった時も、野町さんのエチオピア写真の組み方で、「生命の星」というテーマの方向性が決まってしまった。それまで物足らなく感じながらも組んでいた動物とか民族の生活写真が吹っ飛んでしまって、あのエチオピアの写真に拮抗できるものを一から組み合わせなければならなかった。
 野町さんのアンデスの写真は、これまで見てきたアンデスの写真とまったく異なる。通常、アンデスの写真というのは、人間にしても、風景にしても、どこか土臭く感じるものが多い。でも野町さんの写真は、なぜか透明で、宇宙的な気配が漂っている。アンデスらしい土着的な雰囲気ではなく、どこか普遍的なものが漂っている。でも、その理由がよくわからない。それが掴めなければ、うまく組めない。
 彼が撮ったアフリカにしても、チベットにしても、イスラム世界にしても同じだ。アフリカっぽさや、イスラムっぽさを超えている。どれも、「それが人間の営みってことでしょ」と歴然たる事実だけを突きつけてくる。
 今回、野町さんの写真を見たのは、『風の旅人』の2月号から続ける「人間と自然のあいだ」というテーマをどう組んでいくか、いろいろ考えているからだ。
 野町さんのアンデスの写真は、まさに「人間の自然のあいだ」にある何かを強烈に放っている。自然を畏れ、すがり、活用し、願い、感謝する。全体として、人間の自然との付き合い方は、「祈り」という言葉に集約される。アンデスの土着宗教の上にキリスト教が被さってきて、便宜上のカミはいろいろあるが、基本的には、「自然」に対して祈りの気持ちで関わっている。「祈り」とは、「自己を超える力に対して、つつしみ仕える態度」というのが、私の解釈だ。
 いずれにしろ、野町さんのアンデスは、一回で紹介するのは不可能だ。
 コイヨリーテ(雪と星の巡礼祭)を中心にしたもの、ウユニ塩湖をはじめ、どこか宇宙的な雰囲気が漂う自然を中心にしたもの、またアンデスの自然を活かしながら生きる人間を中心にしたものを、それぞれ別の角度から構成できるだろう。