ニヒリズムを超えて

 
  佐伯啓思
  お世話になっております。
 現在、<ニヒリズムを超えて>というテーマで、「東京」をご執筆いただいていますが、今後のことについてご相談があります。
 大阪を三回やり、東京を三回やりました。東京はもっと掘り下げる必要がありますが、いったんは区切りをつけようと思います。
 そこで次なるものとして考えている案が幾つかあります。
 一つは、ニューヨークというか、アメリカです。
 今回の大統領選挙に象徴されるように、ブッシュ大統領がどうのこうのという以前に、アメリカの心理構造、人生観や死生観、思考特性や行動特性、心理から経済から外交まで連なる本質的構造、この根っこの部分をきっちりと見定めて意識化しなくてはならないのではないか、という気がしています。
 先生が以前おっしゃっていたように、今日の社会(的構造)においてニヒリズムから抜け出ることは絶望的に難しい。しかし、まず、そのことを意識化することが大切である。
 ブッシュ政権批判という表層的なことにとどまる限り、本質からますます遠ざかるような気がします。意識化すべきは、戦後から今日に至るまで日本の物質と精神の両面において多大なる影響を与え続けるアメリカなるものの本質的構造だと思います。
 ニューヨークの写真を中心に、アメリカを三回やり、佐伯先生にアメリカの「構造」について書いていただくというのが一案です。
 第二案ですが、『風の旅人』のなかで、「ニヒリズムを超えて」につながる写真タイトルに、これまで”日本の陰影”という言葉をしのばせています。
 その意図は、近代的合理主義の一つの帰結としての”ニヒリズム”を超える智慧が、”日本の陰影”と言うべきもののなかに秘められているのではないかと考えているからです。いわゆる機微とか、間合いとか、自然観や季節感とか、鰯の頭も信心からなど、合理では捉えられない生活の知恵とか、人と人との関係とかです。
 もちろん、そうした陰影が、これまでの日本社会においてはネガティブに働くことも非常に多かったし現在もそういう側面は残っているのですが、それらを見直して、再評価し、再アレンジすることも大事だと私は考えています。
 その線に添って考えるのなら、最近まで佐伯啓思先生が住んでおられた琵琶湖周辺の里山を紹介していくことも可能かと思います。
 また、ご出身の奈良を取り上げるということも、あるかと思います。
 といって、自然や歴史や人の暮らしを断片的に紹介することを目的とするのではありません。
 自然が人間の心身に働きかけて、人間の世界認識や死生観が作り出されていく。そのことによって、生活感覚が磨き抜かれて、生活の知恵が育まれていく。そうして、精神世界と生活そのものが密接に関わり合った状態が、歳月の積み重ねのなかで作り出されていく。にもかかわらず、時代のパラダイムの変化に添って、その状態にも変化が起こる。そのことを嘆くだけではなく、その新たな状態が単なる損傷であるのか、それとも、異なった次元で精神と生活が結びついていく新たなパラダイムを育てる揺籃状態であるのかを見極めること。否定だけではなく、ごく僅かでも展望を見出すこと。
 ニヒリズムを超える視点というのは、そういうところにあるのではないかとも考えています。先生は、いかがお考えでしょうか。
                           風の旅人 編集長 佐伯剛
佐伯啓思 『風の旅人』に連載執筆中の社会経済学者