暮らしを見つめる

 1月3日の深夜、NHKのハイビジョン特集、「里山・琵琶湖畔 写真家・今森光彦の世界」を見た。
 この映像は、琵琶湖周辺の里山の人々の生活や自然の営みを紹介したもので、胸に染み通るような美しさと、深い味わいが得られた。
 正月の間、なぜか映画の歴史大作のようなものを見たくなってしまい、DVDで「パッション」と「トロイ」を見たのだけれど、大がかりで大仰で大味で大雑把な展開に、ほとほとうんざりしてしまったのだけれど、里山に息づく人間の暮らしの智恵や、繊細微妙な生き物のドラマに触れて、気分を取り戻すことが出来た。
 今森光彦さんは「風の旅人」のVol.8でも紹介した写真家で、国際的にも高い評価を受けている。その今森さんを撮影監督に起用して2年の歳月を経て制作したこの映像は、国際ハイビジョンフェスティバルのグランプリを受賞した。
 四季折々のたんぼの風景、ナマズの産卵、庭先を飛び交うチョウ、ため池の中でのタガメの産卵、砂に身体半分を潜らせたヤゴの餌食になる幼魚、ヤゴからオニヤンマへの羽化など、自然界の営みも圧巻だったが、私がとりわけ感動したのは、自然界のきめ細かな襞と、暮らしを営む人間の心の襞が、素晴らしく重なり合っていることだった。
 80歳を超えたお爺さんが、手こぎのボートを見事に操って、家で食べるおかずの魚を捕るため、魚の泳ぐ場所を読んで餌をつけない罠を仕掛ける。天候が少しでも違えば、魚の行動も変わるので、そのあたりを微妙に修正して、きっちり成果を得る。そして、食べない魚を決まった場所に置いていると、そのことを熟知している鳥たちが順々に食べに来る。また、家の中に引き込んだ水路で食器を洗うが、そこで鯉を飼っていて、鯉がご飯粒を食べるから水が濁らない。また春に子持ちの鮒をとって、手間暇かけて作った鮒寿司を、冬になって炬燵のなかで親しい人たちと食べる。そこに漂う空気の匂い、水が流れる音、生物の息吹、新鮮な食材が放つ滋味、風鈴の音、セミの鳴き声、鳥の羽ばたき、雪、雨、廊下の軋み音からも、生きる鼓動が脈々と伝わってくる。
 映像が素晴らしいということもあるが、人間が連綿と繋げてきた暮らしの智恵は見事なまで理にかなっていて、静かに心を打つ。
 とにかく、暮らしの細部に豊かさが凝縮しているのだ。ミクロからマクロまで、一つ一つな関係性が絶妙であり、隙もなく、いのちの気配がたちこめている。

 日本人は、今、大きく三つに分かれているのではないだろうか。
 一つは、消費こそが豊かさであると大きな勘違いをしたまま、その傾向を煽り続ける消費メディアと、それに便乗したり追随する人たち。二つ目は、そうした流れに違和感を覚えながらも、周りの騒ぎに心が不安定になって自分を不幸せだと思い、自分にとって大切なことを落ち着いて見つめられなくなってしまう人たち。そして三つ目は、消費メディアには全く無関心で、その心理的影響とも無関係に生きている人たち。
 消費メディアの方が無神経で圧倒的に声が大きいから、日本国民すべてがその傾向にあるように錯覚しがちだが、実際はそうではないのだ。
 暮らしの満足度は、どんなに些細なものであったとしても、自分が慈しめるものが身の回りにあるかどうかに尽きる。そうしたものは、お金を出せば必ず手に入るものではない。むしろ、お金では手に入らない領域のものの方が、よりたくさんあるような気がする。
 お金では手に入らないものこそ、自分にとって正真正銘のかけがえのないものだ。
 お金では手に入らない自分の宝物を自分の周りにたくさん育んでいる人は、あのお爺さんのように、いい匂いがするにちがいない。