日本人の可能性

 今から3200年ほど前・・・ユーラシア大陸の西では、トロイア戦争で象徴される二つの世界観の闘いの後、数百年の混沌融合の時代を経て、様々な哲学者が生まれ、古代ギリシャ文明が華開き、その智恵を引き継いだローマが君臨した。だいたい紀元0年の頃である。
 同じく、ユーラシア大陸の東では、殷と周の間で引き起こされた二つの世界観の闘いの後、春秋戦国時代のなかで様々な思想家が生まれ、それまでの智恵を全て引き継ぐような形で、漢が君臨した。これもだいたい紀元0年の頃である。
 不思議なことに、ソクラテスヘラクレイトスなどギリシャの大哲学者たちも、孔子荘子など中国の大思想家も、同じ時期に出尽くしている。
 そのように、今から3200年程前から2000年程前に、ユーラシア大陸の東西で、同じような歴史のダイナミズムがあったのだ。
 そして、それらの混沌から生みだされた確固たる秩序とでも言うべき世界観は、2000年後の今日まで、脈々と引き継がれている。

 そして日本のことである。
 確かに日本は、大化改新の1400年程前も、明治維新の140年前も、太平洋戦争後の60年前も、”あてがわれたもの”から出発した。
”あてがわれたもの”は自ら血の滲むような思いで生みだしたものではなく、便宜上のもの(もしくは必要に迫られて)であった感が否めない。だから、それらを自らの内側から絞り出すようにして生みだした人々より、それに対する思いや”こだわり”が少ない。しかし、それらが、人間存在にとって最善のものであるなら、しつこい”こだわり”は必要かもしれないが、今日の世界を見れば、必ずしも最善とは言えないだろう。
 
 日本は、紀元700年頃を境に、神意を取り次ぐ巫政国家から律令制にもとずく官政国家となり、源平の時代を経て、1192年、鎌倉幕府が開かれ、武士の時代となった。それ以降、700年間、武士が、日本の軍、政治、経済、社会、さらには文化まで支配してきた。ふつう、他の国においては、武力を持った者が天下をとっても、すぐに貴族化してしまったが、日本だけが例外だった。
 武士は天下をとりながら貴族のように栄耀栄華にはしらず、武士としての生き方に誇りを持って、武士として存在し続けた。その多くは、清貧を美徳とし、人間としての名誉や気概を大事にした。その精神的背景として、禅があり、茶の道をはじめ、様々な”道”があった。このように日本の武士のなかから生まれた”文化”は、他から”あてがわれたもの”ではない。それをさらなる高みに昇華させたものではないかと私は思う。
 禅について私は詳しくないが、 神話的思考と現実的思考が美しく融合した(その境界がなくなった)、人間の理想的なあり方(という分別も超えた理想)が追究されているようなイメージがある。
 例えはよくないが、神話的思考が森全体を見る視点とするなら、現実的思考は葉を見る視点。そのどちらか一方ではなく、両方同時の掌握を体得すること。そうした掌握の体得が、禅のような気がする。現実と理想、神と人間という分別によって隔てられたものを、無分化して掌握する方法の体得というべきだろうか。
 生きながらにして死に、死んで生きる。生と死に対する心構えを確立することは武士にとって必須のことであって、だからこそ、血の滲み出るような思いで、その分別を超える美意識を生みだすことができ、それが禅の美意識とリンクしたのではないだろうか。
 あまり推測でものごとを言ってしまってはいけないと思うが、何かしらこのあたりに、大事な鍵が隠されているような気がする。
 ”サムライ”と外国人ウケする表層的なことではなく、その内面の真理に今こそ近づかなければならないのかも知れない。ヨーロッパや中国のように、自ら作りだした確固たる世界観に執着することなく、たまたま、その確固たる世界観を”あてがわれたもの”として吸収しながら、”あてがわれたもの”であったがゆえに、その上に立ってそれを修正し磨き上げる”相対の眼差し”を持ち得る。そこに日本の可能性が開かれているのかもしれない。