「風の旅人」の背景?

 昨日述べたような経験と教訓から、「風の旅人」においても、旅行業でうまくいったビジネスモデルを重ねて考えていました。
 ただビジネスとしては、一つ大きな盲点がありました。
 それは流通のことです。旅行の場合、お客様に対して直販でした。お客様が気に入れば、直接、取引を行うのです。しかし、雑誌は、まず初めに流通を説得しなければなりません。
 そして書籍流通会社というのは、大出版社が大株主です。いろいろな面で新規参入は不利なことが多いのです。また、エンドユーザーは、自分が気に入るかどうかで購買を判断しますが、流通というのは、自分の価値観ではなく世の中の傾向という実態のよくわからないものを基準にします。自分は特段エロ本が好きなわけではないが、エロ本を好きな人は多そうだから、売れるんじゃないかというように。確かに絶対数としてはそうなのです。でも、実は旅行にも当てはまりますが、多くの人が好みそうなハワイとかグアムは、旅行者の絶対数が多くても、商品化することが簡単なので参入障壁が低く、過当競争になって、参入メリットはあまりないのです。
 長い目で見れば、誰もが簡単にできそうもないことを地道にやることの方がいいのですが、そうした根気を共有してくれる流通とか書店は、想像以上に少ないという現実がありました。これは、私が見落としていた部分です。そうすると、流通にはいっさい流さず、直接販売で定期購読だけにするという戦略も考えられるのですが、旅行と違って、日本社会における書籍・雑誌の購入は、インターネットの拡大で将来的には変化すると思いますが、現状ではまだ難しいようです。
 それで、既存の出版界において、将来的にもうまくいくだろうと思わせてくれるモデルがないものですから、まったく違った発想で、「風の旅人」を立ち上げて作ってきたわけです。制作の仕方だけでなく、流通においても、ブックカフェとか有機野菜店とか、ターゲットが潜んでいそうなところには、片っ端から声を掛けています。
 このような背景があるものですから、創刊準備の頃から、いろいろ出版経験者と会ってきましたが、何日か前に「編集について」で私が書いたようなことを、すんなり納得して理解してもらえる人には、出会うことができませんでした。いわゆる職業ライターの方も、ダメでした。ですから、「風の旅人」の誌面上の文字(執筆者の原稿以外)は、インデックスやタイトルやプロフィールや次号の告知や、リードコピーや取材記事など諸々を含めて、私が書くようにしています。写真も私が選んで組んでいます。
 また、印刷経費は、10年前に比べて格段に安いのです。たとえば、製版フィルムをつくるのに、10年前だったら、「風の旅人」全ページで7〜800万円はしたでしょうが、今はデジタル化によってその10分の1ですみます。紙代とかインク代はそんなに変わっていませんが、製版代だけで、何百万円も経費削減ができます。
 また、今はほとんどの執筆者がメールで文章を送ってくれますから、原稿を受けとりにいく必要もなく、タイプ打ちの必要もないです。それを確認して推敲して文字数を調整して、デザイナーに転送すればいいし、昔のように版下の制作も必要ありません。修正も簡単です。デザイナーも昔のようなカンプづくりで苦労することもなく、印刷会社への入稿ですら、データ送信でできてしまいます。私は、二人の外注のデザイナーと一緒に仕事していますが、月に二、三度しか打ち合わせのために会いません。メールで送られたレイアウトをコンピュータ画面で確認することも多いです。写真家とはきっちり会ってしつこいくらいの話し合いをして、コンセンサスをとって、膨大な写真を見て選んで、ということは必要ですが・・・。
 そういうことで、たぶん労働コストも、大幅に安くなっている筈です。
 私が1人で編集して支障がないのは、IT技術の発展によるものと、幸いなことに、制作メンバーである二人のデザイナーや、一緒に仕事をする掲載者の多くが、私が抱く編集に対する考え方やイメージを、共有しくれるからです。
 それゆえ、ベクトルを定めていくのに、エネルギーをかける必要がありません。おそらく、大勢の人が関係するものづくりで一番しんどいのは、本当はこの部分なのだと思います。ここを怠ると、ただの寄せ集めになってしまいます。そうならないようにしっかりやろうとすると、通常は膨大なエネルギーが必要です。しかし「風の旅人」に関わるデザイナーや掲載者は、とてもレベルが高く、私の提案する方向性とか根っこの部分を、とてもうまく掬ってくれます。
 ジャズのセッションでもそうでしょうが、プロとしての高い技術力は当然として、それ以外に、テンションやベクトルなどにおいて共有するものがなければ、1人がつくり出す音を他者が自分なりに解釈して掴みながら、さらに自分のアドリブを重ねていって、その連続のなかで、予定調和を超えた輝きに至ることはできないでしょう。
 意図的にベクトルをずらしたり、流れを変えたりする掛け合いがあれば、どんどん高まっていきますが、もし全体の空気や流れを読めない1人が調子外れの音を出していくと、たちまち全体が白けてしまうでしょう。
 アレンジというのは、おこがましいかもしれませんが、1+1=2以上のものにする努力だと思います。
 ジャズのように3,4人ではなく、雑誌の場合、数多くの執筆者と数多くの写真家が重なりあってきますし、雑誌という名が示すように、いろいろな要素が混ざり込んできますから、また違った側面がありますし、全てを同調させる必要はないと思いますが、テンションとかベクトルとかスタンスは、ある程度同調させてアレンジしていきたいというのが私の考えです。
 同調させていきたい部分は、今の現状をなぞるのではなく、未来の池に向かって石を投げることに対するテンションとかスタンスです。
 未来の池に石を投げるというのはどういうことなのか、ニュアンスとして掴んでいて、そうした仕事を手繰り寄せるように実践できる編集者をいつも探しています。縁あって現在「風の旅人」の現場にいるメンバーは、私以外に社員1人、アルバイト3人ですが、社会の空気をめいっぱい吸って、そこに投げる自分の石を大きくしていくため、「風の旅人」の販路開拓の仕事に勤しんでいます。
 「風の旅人」というちょっと変わった媒体の販路開拓の仕事をしていると、必然的に現在の世の中との軋轢や葛藤が生じます。ベクトルとかスタンスとかテンションは、社会の不快さや様々な夾雑物などにもまれ、無理解へのやりきれなさや呵責が渦巻く生の混濁のなかで、次第に整っていくものかもしれません。