大きな時間

 「風の旅人」vol.14(6月1日発行)の構想がだいたいまとまった。
 テーマは、「永遠回帰〜生死を超えるもの〜」
 今日の日本社会で生きる人間は、”目先の時間”に追われている。しかし、私たち人間は、本当は、「大きな時間の流れ」のなかに生きている。
 今日の日本社会および教育その他、人間心理を歪ませる大きな原因の一つは、その大きな時間を意識させず、目先の時間しか見させないことだと私は思う。
 マスコミとかは言うに及ばず、将来の為という大義名分で行う学校教育にしても、今この時点の価値観が将来もそんなに変わらないということが前提になっている(有名大学→有名企業→幸福)。
 今日の日本社会に生きる人々は、頭では”変化”をわかっていながらも、実際には、世の中の価値観がそんなに変化しないことを前提に生きている。
 子供たちの30年後の社会など、おそらく今とは全然違うものになっている筈だし、困難の種類も質も変わっている筈なのに、今想定し得る価値観を一生懸命押しつけようとしている。しかし、変化の可能性を実感としてわかっていれば、どんな変化にも耐えて順応し得る子供に育てることを第一に考える筈なのに、実際には、なかなかそうなっていかない。
 環境変化が自分に降りかかることを前提で生きているかそうでないかによって、実際に環境変化が自分に降りかかってきた場合の、心構えがまったく異なるものになってしまうだろう。
 おしなべて不変不動のものはなく、その変化のなかで最善を求めて生きていくのが人間の性であり、そうした力こそが、今の社会には必要なのではと思ったりする。
 目先の時間ではなく、大きな時間のなかで自分たちの営みを考える癖を少しずつ身につけていくことが必要だろう。といって、それは「将来のために今を頑張る」というように”将来”を今日の価値観に照らし合わせて目的化することではない。
 自分も環境世界も、ともに変容しながら、不断に関係し合いながら、なるべくしてなっていくのだけれど、なるべくしてなっていくダイナミズムを自分のものにしていかなければ、なるべくしてなれない。大きな時間を意識するというのは、そうした自然の”理”を修得するうえで欠かせないことのように思う。

 学校教育などにしても、知識の伝達ではなく、歴史であれ生物であれ数学であれ国語であれ芸術であれ、”大きな時間”を感じさせることが大事で、それが人間の想像力を豊かにし、学習意欲にもつながっていくのだ。
 現在、”ゆとり教育”などといって、カリキュラムとか授業時間の問題ばかり議論されているが、一番大事なことは、人間が潜在的にもっている学習意欲を刺激することであり、その一番の動機になるのが、大きな時間を感じさせることではないかと私は思う。
 ということで、今回のテーマで、大きな時間を感じることを狙いとしたい。
 しかしながら、漠然と大きな時間を見せればいいのではなく、その大きな時間の中に人間の一瞬の営みの輝きがあるわけだから、その二つの時空の、かけがえない関係性のようなものを響き合わせることができればと考えている。