教育よりも大切なこと

 介護現場の取材の為、長津田のデイサービスを訪問した。長津田の駅から歩いて15分くらいの場所だが、途中、ファミリーレストランをはじめ、全国チェーンの飲食店が点在し、家々の色形や雰囲気も似ており、一緒に行った写真家の中野正貴の言葉を借りれば、コンビニとかファミレスとかをセットされた規格品のように街ごと真空パックされて、どこか別の場所から運び込まれたような雰囲気が漂っていた。
 そんな中にデイサービスの施設はあった。デイサービスというのは、介護を必要とする方が、日帰りで週に何回か訪れ、レクレーションをしたり、会話を楽しんだり、お風呂に入ったり、食事を楽しんだりする施設だ。家に閉じこもるよりも、様々な人と接することで、回復を促進させたり、ご家族の負担を軽くすることが目的となっている。
 つい先日、グループホームで、職員によって老人が殺される事件があった為、マスコミはすぐに介護現場のネガティブな状況ばかり伝えるが、全てがそうなのではなく、お世話をする人たちも様々な経験を積みながら、いろいろな知恵を身につけていっている。今日の朝日新聞の朝刊では、介護現場で働く人の教育がまるで追いついておらず、そういう人に介護されるのはたまったものではないといった論調がなされていたが、こういうものは”教育”でなんとかするものではなく、やはり少しずつ時間をかけて試行錯誤を重ねながら、知恵を育んでいくものであって、そのプロセスのなかで、双方が生き甲斐を見いだしていく。今日訪れた施設では、はじめての試みということで、近くの幼稚園の園児が7、8人来て、お年寄りの前で可愛い歌を披露していた。
 子供達が来ると、雰囲気ががらりと変わる。人々の表情も突然生き生きとしたものになる。子供というのは本当に不思議な力を持っているのだなと、つくづく感心した。
 子供によって生きる力を与えられる。この感覚はいったい何だろうと思う。
 ”教育”すれば、万事がよくなるのではなく、子供が入ってきて突然空気が変わるように、生きるうえで大切な何かを日頃私たちは見落としていて、それを発見する努力がきっと大切なのだと思う。介護現場にしても、相手の気持ちをわからなくてはいけないなどと、頭で決めていくのではなく、ちょっとしたリズムの変化で、楽しくなったり、生き甲斐になったりすることもあるのだろう。今日の現場で興味深かったのは、いいと思える新しいことを積極的にやっていく腹の据え方みたいなものだ。リスクとか失敗を考えすぎて、型にはまったやり方ばかり繰り返していると、空気が沈滞し、気持が沈滞し、息苦しくなる。今日のマスコミや有識者のように、100のうち1つの失敗をひどく攻撃し、失敗は予め予期できなかったのか、事前準備は充分だったのか、見通しが甘かったのではないか等々、後からだと誰でも言えるようなことを並べ立てるが、そうした風潮が人間を萎縮させて、生命力を損なっているのではないだろうか。新しくトライしないと、失敗について攻撃される心配はないが、確実に何かが衰退し、損なわれる。ポジティブに積極的に何かをやれば、失敗もするかもしれないが、間違いなく空気は変わるわけで、その空気によって、わずかな失敗よりも遙かに救われることの方が多くなるだろうと思う。