年金と”生命力”

「風の旅人」の若いスタッフに給与明細書を渡す時に、厚生年金の項目を見て驚いた。
社会保険の7,400円の倍近い金額が引かれている。社会保険は、今現在の生活で何かあった時の保障であるからやむを得ないが、厚生年金は、40年後の為のものであって、どうも納得がいかない。
 若い間の一ヶ月の1万円とか2万円は貴重だ。これだけあれば、映画や音楽にもたくさん触れることができる。「風の旅人」だって買ってもらえる。本だってたくさん買える。そういうものへの投資こそが、本当の意味で将来につながる。30代、40代、50代でしっかり稼げる人間力を養うことができる。
 20代前半から、40年後の為に、毎月こつこつ15,000円貯めたところで、年間180,000円で、将来の一ヶ月の生活費にすぎない。同じ金額でも、それを使う年齢によって、価値がまるで異なってくる。停年後の備えなどは、しっかり稼げるようになる30代、40代になってからで十分ではないか。その年代になると、子供の養育費その他でさらにきつくなるという現実もあるが、”備え”よりも”器”を広げなくてはいけない時期もあるわけで、その大切な時期に”備え”に力を殺がれると、けっきょくその人のポテンシャルが下がって、ますます将来が窮屈なものになるのではないか。そのポテンシャルの総合的な低下が、日本の活力の低下につながるのではないか。
 厭な政治だ。しかし、近代政治というものが、そもそも、そういうものなのだろう。何よりも”備え”を大事にする姿勢が評価される。たとえ官僚的だとか融通がきかないと批判されようが、”備え”を怠って1つ失敗する時の批判に比べれば、ましなものだ。だいたい、もっと柔軟に対応できないのかと批判するマスコミが、千回の成功よりも一回の備えなき失敗を猛烈に批判するわけだから、政治が硬直化するのも無理はない。というより、結局は、マスコミも国民の代弁者なのだ。近代国家の国民こそは、リスクのあるチャレンジよりも、周到な備えを政治に期待するだろう。そういうタイプの政治家を求めるだろう。こうした臆病さがつのれば、リスクのある軍隊の放棄というチャレンジよりも、備えのための軍備増強という大儀名文も通りかねない。

 将来に対する備えという大義名分で、用意周到に塾に通い、有名小学校、中学校、高校、大学と進み、有名企業に入社し、若い頃から40年後のために年金を積み立て、一生懸命に働いても、企業の合併とか環境要因の変化によって、いつリストラされるかわからず、そういうことに神経を磨り減らし、子供の塾など養育費に頭を悩ませ、そしてリタイアして、僅かの年金で生活をする。
”将来に対する備え”と言う際の”将来”は、いったいどの年齢になった時のことを指しているのだろうか。20代前半で、60歳以降のチマチマした人生に対して、備えをしなくてはならないのだろうか。10代(早ければ、小学校に入る前から)で、30代、40代になった時の大企業なのかお役所なのかわからないが世間的に安定した組織と言われている集団の一員である自分を想定して、チマチマした日々を送らなければならないのだろうか。20年経てば、世の中の価値観がどうなっているかわからないのに。
 
 チマチマとビクビクした”備え”の心情が、世を硬直化させる。
 例えば、こんなことがあった。「風の旅人」をホテルの客室に置いてもらう方向で、ホテルのスタッフと話しを進め、現場レベルではOKだった。しかし、結果的に上司がNOと言った。その理由は、「風の旅人」の良さはわかるし、気に入ってくれるお客様もいるだろう。しかし、生老病死のきわどい部分も扱っているため、100人に1人は不快を感じるかもしれない。たとえ100人のうち99人が喜んでも、1人の苦情の可能性は排除しなければならないという。そのように判断する人も、ただ臆病なのではない。思慮深いのだ。生老病死に向き合いだけで、”不快”だと苦情を言う人間は、やりきれない話であるが、確かにたくさんいるのだから。
 けっきょく、政治とかマスコミも、そういう国民心理の構造の上に成り立っている。
 国民意識が変わらなければ、国民国家は、どうにも変わらない。

 しかし、本当の意味で、一番の”備え”というのは、大きな意味で”生命力”を身につけることなのだ。そのことに気づかなければならないのだ。環境がどうなっても生き抜いてみせるぞという自分を、各自が作りあげることが大事で、外部環境に”備え”を期待するばかりだと、最後に環境に裏切られて辛い思いをするのは自分なのだ。
 環境は、必ず自分の期待を裏切るものだという覚悟を持ち、自分を強くする為に今一番必要だと思うことを選びとって生きていくことが、すでに”生命力”の一環なのだと思うけれど、そうしたことを促進するのではなく阻害する働きかけや締め付けが今日の社会には多く、そうした傾向は、生命力を殺ぐ方向に作用しており、人間生命にとって、とても危険なことだと思う。