多様な価値観と憲法

 アクエリアンさんが仰ることは、とてもよくわかります。護憲ではなく、諾憲であるということも。現在の日本社会がどれだけ問題を抱えていたとしても、あの時代よりは、断然ましなのですから。しかし、戦前のあの時代を知らない多くの人にとって、「諾憲」のニュアンスを理解するのは難しい。「まあいいじゃないか」ではなく、「まあ、俺とは関係ないけど・・・」という感覚になるのではないかとも思います。
 そして、あと何年かすれば、全ての日本人が、戦前のあの時代を知らない人になります。想像力の力だけで、あの時代に向き合わなければならなくなるのです。
 その時に、天皇人間宣言のようなものから始まる日本国憲法に、リアリティを感じられるのだろうか、というのが私の疑問なのです。戦前のあの時代を知る人が多く残っている今から、きっちりとした議論をしておく必要があるのではないか、あの時代を知らない人(私も)の想像力を充分に喚起できる状態にしておくことが大切ではないかと思うのです。それを避けて、「諾憲」と言いながら、そのまま次世代に送ることもまた、ろくでもないことになる原因づくりかもしれません。
 天皇に関する条文については、何も太平洋戦争だけからの教訓ではなく、古代から日本国が戦争というものに突き進む際に、必ずといっていいほど「天皇」が担がれたという歴史的教訓から来ていて、日本という国の成り立ちに関わる特殊で危険を孕んだ構造を洞察したものであると考えることも可能です。将来の権力者も、自分の権力のために必ず「天皇」を担ぐだろうという読みがあって、その牽制を行っているとも言えるわけです。
 しかし、そうした文脈を将来にしっかりと受け継ぐためにも、改憲に賛成か反対か、アンケートなどに基づく主張の応酬や、「平和」という言葉だけを大きな声で叫ぶのではなく、しっかりとした議論が必要であり、そのうえで、文脈を共有していくことが大事だし、文脈の真意から外れた(それを誰がどのように判断するか大きな問題ですが)ものは、全体の文脈を意味不明なものにしないためにも、改正する勇気を持つ必要があるのではないかと、私は思うのです。

 また、「多様な値観の尊重、いろいろな人がいるのだから、それを認め合って生きていく」。こうした意見に対して敢えて異論を唱える人は少なくなりました。そして今日では、そのように発言することが、良識的であるとみなされるようになっています。
 しかし、多様な価値観を尊重しながらも、人間としてやってはいけないこと、の基準はどこかに設けなければならない。「人はなぜ人を殺してはいけないのか?」という子供の素朴な疑問に答えていかなければならない。
 多様な生き方があるにしても、根元のところでベクトルを揃えなければ共同体は成り立たない。
 多様でいいところと、そうでないところがある。その線引きを誰がやるのか。「法」というものがあるかぎり、それを逸脱して生きることはできない。 ならば、その「法」の根拠付けは、何に基づいて行われるのか?
 それはやはり、その共同体に属する人間達が共有できる理念であって、そのベクトルがあるからこそ、「法」に対する納得性が得られるのではないかと私は思います。
 だからこそ、人間が生きていくための理念や、そのベクトルについて、真摯に向き合って話し合う必要がある。でもそうした議論は、学校教育の現場でも、社会に流通する書物や雑誌でも、希薄化しています。<生き方の多様性>という言葉の前に、うやむやにしています。大人は、どこか気恥ずかしさを感じ、子供はうざったく感じています。子供がうざったいという態度を見せても、大人は気恥ずかしさもあるし、何よりも自分の考えも定まらないために、傍観するのみです。自分の考えの定まらなさを、「いろいろあっていいんだ」という言葉にすり替えて、当面をしのぐ人もいるでしょう。
 でも、本当に、心の底から、「いろいろあるべきなのだ」と思い、言動がそれで一貫していれば、問題ないのです。
 しかし、多様な価値観が大事と言う一方で、フリーター問題が深刻と言ったり、勝ち組み負け組と煽ったり、子供の幸せという大義名分で受験戦争をはじめ画一的な価値観のなかに子供の人生を押し込めたり、人と同じことをしたがったり、自分の意見を持たなかったりという態度を大人が取り続けると、子供たちに悪影響が及ぶのではないかと思います。日本国憲法が、今改悪されて、すぐに日本が戦争に突入することはないにしても、将来、その命運を握るのは子供達です。
 憲法問題に限らず、子供達の前で、自分の意見を持ってしっかりと議論ができる大人であることを自分に課していかないと、その弊害は子供達に受け継がれます。
 戦争経験者が残っている現在、改憲か護憲かという大雑把な議論ではなく、理念やベクトルに則して、「日本国憲法」のことを議論して文脈を噛みしめておく必要があるのではないかと思います。