関野吉晴さんの旅

 先週の金曜日、関野吉晴さんと10月号からの連載の打ち合わせをかねて食事する。
関野さんは、アフリカからはじまった人類拡散の旅路を人力で逆から辿る「グレートジャーニー」を達成したが、今また新たな旅を開始している。それは、自分自身からはじまる旅、そして、日本人のルーツを辿る旅。自分自身に向けてはじまる旅は、現在住んでいる場所、そして、子供の頃過ごした場所の記憶から、はじまる。
 関野さんが子供の頃過ごしたのは、豚の革なめし工場が全国でも一番集中している(70%程度)場所の近くだった。町全体でひとつの大きな工場のようになっているこの場所での仕事は、かつて、強制移住させられた部落民によって行われ、やがて軍需産業の一つとして革の需要が急増した時、地方から仕事を求めて、部落の人たちが集まってきて行われたと言う。
 子供の頃、自分の身近にあったにも関わらず、そのことを意識して生きていなかった関野さんは、2年ほど前から、その皮なめしの工場で初心者として働き始めた。そして、同時に、皮を辿って旅を始めた。関野さんのモットーは、身体を通してモノゴトを考えるということと、内側に入って、内側からモノゴトを見ていくということだ。
 関野さんは、56歳の団塊の世代。グレートジャーニーほどの大きな仕事を達成した人は、その経験を小出しにしながら、余生を生きていくことも可能だ。しかし、関野さんは、また、初心者に戻った。
 関野さんは、専門領域は何ですか?と人から問われるのが一番困ると言う。
 関野さんは、一橋の法学部を卒業した後、アマゾン全域の踏査の際、現地を訪れて医療の必要性を強く感じ、大学の医学部に入りなおし、医師となって南米に通い続けた。
 関野さんは、西洋医学を学んだ外科医である。しかし、アマゾンとかネパールなど、世界の辺境に行って医療行為を行う場合、西洋医学で治療するのではなく、新たに東洋医学を学んで、治療に応用するのだと言う。なぜなら、西洋医学で、その場かぎりの治療を行っても、自分がその国を離れた後、現地の人は為す術が無くなる。だから、現地の人にも伝えられる智慧を、医療行為とともに伝える必要があるのだそうだ。
 上智大学の石澤先生が、アンコールワットの遺跡修復の際、フランスのチームがコンクリートで固めていったのに対し、現地の少年を時間をかけて一人前の石工に育て上げるという地道な方法をとったことと同じ考えだ。
 それで、関野さんのすごいところは、自分のなかに築きあげていったものを、次の行為のために、脱ぎ捨てていくことができるところだ。自分が既に獲得しているものに頼って、新たな世界に挑むことはしない。その都度、初心者となって、一から歩み始めるのだ。
 昨日、藤原新也さんと話しをした際も、「自分を壊すことの必要性」を言っていた。これまでの人生の貯金で創作活動を行うことは面白くもなんともなく、現時点で自分が気付いていない新たな自分を自分のなかから引っ張り出すために、”実験”的に社会とぶつかり、擦れ合い、手応えを発生させ、その手応えを自分のなかに記憶していくような仕事こそが面白いのだが、管理社会の進行とともに責任回避の網の目だけは広く小さくなって挑発的な仕事は少なくなったと語っていた。しかし、もはや現代社会においては、玄人のどんな挑発的な仕事も素人の過激さには及ばず、また、どんな過激なものも瞬時に記号化されて無毒化されてしまうのであって、そのなかでは、自分では新しいことをしているつもりであっても、実のところ、そう演じさせられているだけのことも多い。
 関野さんの場合、新しさを求めるという文脈は、自分のなかにないようだ。
 現代社会の姿は表層的で過程的なものであり、その構造がなにゆえに、どこからできあがってきたものか探ることを関野さんは志向しているように思う。そして、自分もまた、その構造が生んだ一つの過程であるという認識があるからこそ、一つの場所、一つのカテゴリー、一つの肩書き、一つの名声に拘泥することはない。
 自分の表現を他人に新しく見せようという作為は、どこまでいっても表層的な一つの過程であって、やがて記号化される運命にある。現代社会は、情報化のスピードが速く、そうした作為が辿る記号化への運命が、誰の目にもあからさまになっているだけだ。そうした時代を”難しい”というのは、新しい作為を追求する自称アーチストがアーチスト志望者に言う時にだけ通用する話しであって、それ以外の人は、記号化された作為の海のなかを、軽々と泳いでいけばいいだけのことだ。その際に、巷に溢れる作為表現だけでなく、どんな肩書きも経歴も、一過性の記号にすぎず、そこに恒常的な価値はないことを覚ればいいだけのことだ。
 無理矢理そう思わなくても、そう思わざるを得ない事態が急激に進行しているのであって、そうした情報化時代を否定的に伝える自称文化人もいるが、それは彼らが自分の立場がなくなっていくからそう言うしかないのだろう。

 関野さんの旅は、常に自分探しの旅であって、表現は後からついてくる。
 後からついてくる表現というのは、その人にとって他に取り替えのきかないものになっている。結果として人に見せる作品になっていることがあるが、重要なことは、そんなことより、そのなかに自分の人生があると言い切れる強さがあるかどうかだろう。そういう強さをもったものだけが、記号化を免れ、一つの生命のように生き始める。
 過去においてどんな経歴を積んでこようが関係なく、今、此処にある自らが志向する人生探究のために常に初心者に戻ることを躊躇しない関野さんの生き方そのものが、現代社会において過激な作品のようでもあり、その初心者の視点があるからこそ、世界は常に新しくあり続けるのだと思う。