樹海と、遠い世界に

 映画、「樹の海」を見た。富士の麓の樹海に入ったのは、16年ほど前に一度だけある。その時、男と女のように絡まり合った不思議な二本の木があって、写真に撮った。できあがったプリントを見てびっくり。二本の木に寄り添うように白い影が写っていて、幽霊だとは思わなかったが、木の霊気か何かだろうと思って、今も大切に会社の机の引き出しに入れている。
 今回の映画でも、人間世界の悲喜こもごも(悲の方が強いが)よりも、樹木の凄まじい迫力に引きつけられた。人間世界の変遷とは関係なく、樹海は、遥か昔から生と死が混沌とうごめき続けているのだろう。樹海の中では、分別に分断された人間世界と違って生と死の境界が消えてしまい、すべてが一つの全体、有機的な全体として在るような感覚になる。死もまた自然なりと。

 そして、「樹の海」の主題歌は、なぜか「遠い世界に」が編曲されたものだった。
 この歌が流行ったのは、大阪万博の頃で、まだ希望が持てた時代の歌だったと映画の中で語られていたが、私は、大阪万博よりももっと後の、高校生の頃(今から25年ほど前)、人にはあまり言えなかったけれど、悔しい時、この歌をよく口ずさんでいた。

 遠い世界に旅に出ようか
 それとも赤い風船に乗って
 雲の上を歩いてみようか
 太陽の光で虹をつくった
 お空の風をもらって帰って
 暗い霧を吹き飛ばしたい

 僕らの住んでるこの町にも
 明るい太陽顔を見せても
 心の中はいつも悲しい
 力を合わせて生きる事さえ
 今ではみんな忘れてしまった
 だけど僕たち若者がいる

 雲に隠れた小さな星は
 これが日本だ私の国だ
 若い力を身体に感じて
 みんなで歩こう長い道だが
 一つの道を力のかぎり
 明日の世界をさがしに行こう

 シートに身体を埋めて映画が始まるのを待っている間、館内にずっとこの歌が流れていて、あれっと思って聞き惚れていた。長い間、忘れていたけれど、この歌の中に籠められた祈りが、自分の中にずっと流れているような気がした。大学に進学してすぐに退学しようと思って海外脱出の準備をしていた時。また、20歳を機に海外に飛び出し、二年間、諸国を放浪していた時。そして、二年間の旅の終わりに「明日を睨む詩」という原稿用紙で400枚くらいの文章を書き上げた時。その祈りの声は、若い時に比べて自分のなかでどんどん小さくなっているかもしれないけれど、まだ完全にはなくなっていない。