「樹の海」と現代

 朝起きて活動を始めると、交感神経が働き始める。その状態で、「遠い世界に」の歌を聞くと、やはりナイーブに過ぎるのではないかと思われてくる。
 「樹の海」だけど、あれは、映画というより、樹海を舞台にした演劇だった。情感をたっぷりこめた台詞の力で物語を進めていた。背後に樹海という舞台設定があるから、回想される都会の中の猥雑な日常の空しくさとせつなさが引き立っていた。
 しかし、あの映画で描かれる人間の悲喜こもごもは、借金と不倫とストーカー行為、通勤に往復3時間をかけてお小遣い一日千円のサラリーマンなど、ワイドショーや大衆週刊紙でよく取り上げられる内容のことばかりだった。
 それらは間違いなく現代の世相を表しており、そういう状態に疑問を投げかけるのもいいが、誰しも既に疑問は感じているのであって、なぜそうなってしまうのかという構造が浮かびあがってくるような掘り下げ方があればもっとよかったのにと思った。
 高金利の金融業者が存在しているから借金で苦しむ人がいるという単純なことではなく、現代社会には、何か大きな落とし穴があると思う。
 最近よく思うのは、消費者金融会社のコマーシャルだ。ちょっとドジな女の子が笑顔を振りまき、ペットの子犬の愛嬌で安心をアピールする。
 金利が年率で20%というのは、とてつもない数字だけれど、今この瞬間の欲求を満たすことに忠実になるために(それを自分に正直に行動すると言うらしい)、20万円を借りて一年後に24万円を返済することになっても、瞬間の欲求を満たす喜びの対価としての4万円は高くないという感覚が、どうもあるらしいのだ。刹那的な今に賭ける衝動がとても強く、それが人生だという気分が現代社会にはある。といっても、やはり多少の不安はあるが、その入り口として、あのようにハードルの低そうなコマーシャルがあれば安心する。
 ハードルの低さというのは、とても重要なポイントで、今日、ベストセラーになる本は、一挙に読み通せる内容のものだそうだ。
 また、最近よく話題になるテレビの女子アナウンサーでも、ジャーナリズムのプロではなく、ちょっとドジで親しみやすく可愛い人の方が人気があり、その方が視聴率があがるのでテレビ局もそういう人材を重用することになる。
 これらの現象に共通することは、ハードルの低さと、媚びではないかと思う。
 媚びられた時、そこに秘められた邪心に警戒心を抱かず、いい気分になってしまう。そういう心理に付け込んで、テレビは視聴率をあげ、コマーシャルが購買意欲を煽り、消費者金融が儲かる。そして失敗したと気づいた時は、もはや誰も媚びてくれない。へたをすれば、情け容赦ない仕打ちが待っている。

 現代社会は、今この瞬間の欲求を満たすことが人生を謳歌することだと人間に思わせる仕掛けがある。何かを達成していくための時間とか労力をもったいないと感じさせる煽動がある。遠回りをするのではなく、運良く最短でゴールに至ることが格好いいと勘違いをさせるまやかしがある。プロセスに関係なく、とにかく「結果」さえよければ万事よし、という空気が満ちている。そうした空気が、人を焦らせ、バツを引きたくない、バスに乗り遅れたくないと不安にさせる。
 その人間心理に付け込む誘惑のなんと多いことか。

 人は誰でも「結果」を気にするけれど、「結果」は、表面的な形であり、一過性のもの。ものごとは常に流動的で、同じではない。昨日の「結果」は、今日は別のものになる。だから、一瞬一瞬の「結果」なんて、はかないもの。
 しかし、形や結果となって現れないこと、たとえば心の中にうごめいている声にならない声は、ずっと続いていく。そういう当たり前のことが、どこかに置き去りにされている。もしくは、人を煽る大きな声に掻き消されている。
 世界は、黒か白という「結果」だけで構成されるのではなく、黒、灰色、白の微妙な階調でできており、そこに悲喜こもごもの旋律がある。その旋律の美しさがわかるかどうかが大事なのだけど、雑音が多いために、大切な音を聞きわけることがとても難しくなっているように思う。