解散 総選挙

 相変わらず、新聞やテレビは、現状をなぞるだけの報道しかしない。なぜ郵政民営化法案が否決になったか、自民党内の造反のこととか、亀井氏の動きがどうだったとか、内閣に派閥の有力者を入れなかったからこうなったという森氏のコメントを取り上げたり、今回の騒動を一つの娯楽番組のように、そこに物語を見つけて演出しようとしている。また、有識者と言われる人に、今回の解散に名前を付けるなら・・・と質問して、自爆テロ解散とか、自己愛解散とか、ちぐはぐ解散とか、矮小な発想で誌面づくりをしている。その有識者のコメントも、「政治的空白をつくるのは無責任だ」とか、自分が傷つかない程度の良識的な意見しかない。そういう言葉って、もしこれが逆になったとしても、「骨抜きの妥協案だ」とかになるだけではないだろうか。
 小泉首相の行ったことが正しいか間違っているかということを、今この時点であれこれ言っても始まらない。小泉首相は、確信犯なのかもしれないが、今回の騒動によって、次回の選挙が、これまでの選挙と比べて非常に明確な対立概念のなかで行われることになって、その結果によっては、今以上に強引な政策が行われる可能性があることを知っておかなければならないだろう。
 小泉首相は、内閣に派閥の有力者を入れなかった。もし入れていたら、様々な根回しによって、郵政民営化法案は採決されたかもしれない。しかし、それは根回しによるものだから、妥協の産物になっただろう。郵政民営化だけが目的ならば、小泉首相はそうしたかもしれないが、小泉首相の目的は、それだけではないかもしれない。首相は、「古い自民党をぶっつぶす」と言う。それは根回し体質にメスを入れることだ。根回し体質から生まれる妥協案をマスコミは批判してきた。だから、国民には、小泉首相のスローガンが素敵に見える。しかし、根回し体質を根こそぎ取り除くことこそが、独裁的な力につながることでもある。
 今回、古い自民党幹部は、見事なまでに小泉首相の作り出す対立概念のなかに置かれることになった。そして、民主党も、今回の騒動によって、自らのアイデンティティを弱めることになった。これまで民主党を支持していた人たちが、民主党政権担当能力があると考えて支持していたとは限らない。自民党に対する牽制の役割を期待したり、古い体質の政治に新しさを求める程度のことかもしれない。しかし、小泉首相古い自民党体質を切り捨てて捨て身の戦いを仕向けてきた時、民主党がそれを上回って打ち勝つロジックを持っているかどうかというと、何とも心もとないのだ。
 郵政民営化法案に賛成する人としない人。小泉首相は、見事なまでに簡略化した絵図を示し、誰がどこにいるのか明確にしたうえで、さあ戦いましょ、という作戦に出てきた。もしこの天下分け目の関ヶ原の合戦の為に、これまで道路公団などの問題で非難を承知で妥協案を盛り込み、のらりくらりかわし、今回の解散による東西の陣営分けに至るまでに準備を整えてきたとすると、おそるべき確信犯だ。古い自民党だけでなく、民主党の中途半端さまでが白日の下に晒されてしまうわけだから、古い日本の政治を根こそぎ壊してしまえという勢いなのだ。
 そして、それはまた魅力的なスローガンで、大衆の支持を得やすい。だから、次回の選挙で勝ってしまう可能性が高い。
 日本の古い政治の曖昧さを根こそぎ壊してしまえというのが、小泉首相一人の考えなら大したことないのだが、実はその背景にアメリカがあるということはないだろうか。
 先ほど、小泉首相が恐るべき確信犯かもしれないと書いたが、ここに至るまでのシナリオが周到に計画されたものであるとすると、それは、アメリカのビジネスマンの得意とするディファクトスタンダード(事実上の標準)づくりのプロセスのように思えてならない。
 曖昧な領域をできるだけ無くし、相対するものを線の両側に分けて対立概念を明確にし、どちらを選びますかと提示するようにみせながら、その選択機会の前に、片方を選択せざるを得ないシステムを作りあげてしまうこと。選択できるというフェアさを残しているように見せて、実は、選択の余地がない状態を作りあげること。こうしたことにかけて、アメリカ人の頭が切れる人は恐ろしいほど緻密で周到なプログラムを書くことができ、それを、ストイックなまでに実行していく。
 もはやアメリカにとって、古い体質で曖昧さの残る日本の政治は扱いづらい。アメリカのやることを、さらにスピーディに展開していくには、日本の政治構造を変えるしかない。そういう発想が無いとも限らない。もちろん、こうしたことは、個人のブログだからかってに書けるわけで、何の裏付けもないことだ。だから、私は、アメリカがどうのこうの、小泉首相がどうのこうのと言いたいのではない。むしろ、そういう騒ぎで煙に巻かれて、足元が見えなくなってしまうことの方が危ない。
 考えなくていけないのは、曖昧さが残る古い体質=悪、明確なわかり安さ=善という構図に簡単に巻き込まれないことだ。どちらにも問題はあるし、メリットもある。
 政治ではなくビジネスの世界に目を向ければわかりやすいけれど、バブル崩壊の後、日本の産業が深刻な不況に陥った時、アメリカ式経営がもてはやされ、それを形だけ取り入れた企業もあるがあまりうまくいかず、ムーディーズなどアメリカの格付け会社がどんなに低く査定しようとも、日本の方法の良いところを守って必要なところだけ海外を見習ったトヨタとかキャノンが、結果的に、圧倒的な実力を発揮することになった。
 
 今回、利権絡みの古い自民党郵政民営化法案に反対したのはしかたないが、民主党がそれに歩調を合わせたのはまずかったのではないかと私は思う。
 何でもかんでも自民党に反対、みたいな頑なな態度をとる必要はないのだ。そうすることが政党のアイデンティティだと考えているかもしれないが、状況に応じて、反対もすれば賛成もするという態度の方が、よほどポリシーがしっかりしているということになるのだ。その辺りの積極的な柔軟性がないから、改革に反対する勢力として一括りにされる構図のなかに放り込まれて、次回の選挙を戦わなければならなくなるのだ。おそらく、次の選挙戦では、反自民党ではなく、反小泉内閣という御旗で選挙戦を行うしかないだろう。でも、それでは小泉首相の悪口を言うしか能がなくなる。政策的には改革に反対した党という印象が残っているから、それを超えるロジックが必要なのだけど、はたして国民を納得させることができるかどうか。
 いずれにしろ、次の選挙は、我々国民にとっても大事な選挙になる。だからメディアは、国会の解散分析はもういいから、そのことをきちんと国民に伝える活動をした方がいいと私は思う。