恵比寿の写真美術館でやっている「写真はものの見方をどう変えてきたか」第三部 「再生」を見る。
1937年に日中戦争が勃発し、日本中のすべてが大きな戦争へと巻き込まれていく中、フォトジャーナリズムも国策プロバガンダのための道具として利用された。
戦時下で、趣味の写真をやるのはもっての他という社会の風潮が起こり、国策に協力するための写真でなければ存在価値は無に等しかった。そうした時代の空気を避けて中央から遠ざかり、時が過ぎるのをじっと待つ者もいたし、写真表現を極めるためという理由で積極的に国威発揚の写真を撮ったものもいた。また、従軍カメラマンとなり、現地で悲惨を目のあたりにして、帰国後、象徴的な写真で反戦思想を示そうとした者もいた。
ただ、ほとんどの表現者は、戦時下という特別な状況のなかで、食べるためには仕方がない、写真を撮るためには仕方がない、という理由で自分の意思に反した仕事をすることになった。
戦争を直視すれば、それが悪であると誰でもわかる。しかし、戦争にかぎらず、人間が行う悪業のほとんどが、「食べるために仕方がない」という理由で、善悪の分別を超えて行われることが多い。
食べて生きていくことに対して何の問題もない時にモノゴトの善悪を主張するのは簡単なことだが、それがぎりぎりの状況に置かれた時に、正しい判断と行動が出来るかどうかが大事だろう。
人間にとって、食べて生きていくというのは、食物を口にするということにとどまらない。人間生活を成り立たせるエネルギーや、人間らしい生活を送るために必要な様々な物を手に入れること。人間らしい生活を送るために、テレビも冷蔵庫もエアコンも携帯電話も子供の塾も自分の名誉も社会的立場も必要でそれを維持しなければならないと思えば、自分の意思に反する仕事も、それだけ多くしなければならない。
いざという時に、自分の意思を大切にして行動しようと思えば、それらのことから、できるだけ身軽になっておかなければならない。物とかしがらみとか立場とか名誉とか自分の仕事でさえ、いざとなれば固執せずに捨て去る覚悟がなければならない。そうしたものに左右されない自由さを保っておかなければならない。
といって最初から何もやらないということではない。何かを一生懸命にやるからこそ、それを守ることが人生の全てではないと実感として思える境地があるのではないか。むしろ、中途半端な関わりゆえに、未練となって残ることもあるのではないかと思う。