夏の夜の熱い熱い宴

 昨夜、前田英樹さんと酒井健さんと野町和嘉さんと、神楽坂で会う。暑い時に暑いものということで、うどんすきと熱燗にする。野町さんはインドから帰ってきて間もないが、インドも暑いが、日本も充分すぎるほど暑いと唸っていた。酒井さんは、20世紀の混迷と芸術について「風の旅人」書いていただき、前田さんには、日本人の信仰と暮らしについて書いていただく。だけど、酒井さんは、前田さんのセザンヌ論に非常に感銘を受けて、前田さんの講演会にも行って、なかなか素晴らしい質問!?をしたらしい。

 酒井さんは野町さんの写真が好きで、いつも凄い凄いと言っている。酒井さんはバタイユへのコミットが深いが、野町さんが写し出す人間の営みの理性分別を超えた凄みに、引きつけられるのだろう。もともと前田さんと酒井さんと会う予定だったが、そういう事情もあって、たまたま電話がかかってきた野町さんも誘った。また、野町さんは高校時代、高知県で柔道のナンバーワンになっているし、前田さんも、少年時代は現代剣道をやり、青年になってからは古流の新陰流という武術をやっており、今も週に一回、三時間ほどみっちり稽古をする他、毎日木刀を振っていると聞き、野町さんと話しが会うだろうと思ったのだ。

 前田さんは、「ただの一行でも、半行でも、妥協した言葉は書きたくない」と、気迫を漲らせて言う。酒井さんも、今時珍しい原稿用紙派で、「憂鬱の”鬱”とか辞書で見ても見えないので、大きく書いたものを机の前に張って書いている」と言いながら、一生、原稿用紙で押し通すのだそうだ。縦書きで、誠心誠意、真面目に書くことを心に誓っている。また、野町さんの写真も、いっさい妥協がない。妥協した姿や作品など、人に見せない。ブレがない。頑固なほど一徹だ。こういう人が集まったものだから、いきおい話しは熱くなる。

 熱燗の熱さやうどんすきの熱さは、ほとんど何も感じなかった。

 その熱い話しは、風の旅人に掲載している白川静大先生の手書き文章に及び、絶賛するとともに、「あれを書いたら、人間もう何も書くことはなくなる。あれは、とてつもないところまで歩いていった人間の、渾身の、辞世のような言葉だ。白川さんは、風の旅人が持っている独特の空気があったからこそ躊躇無く、言いたいことの全てを言ったのだ」というようなことを前田さんが話したので、胸が詰まるような思いになった。

 白川さんの連載は、15回で終わる。白川さんから打ち切りを言ってきたのではない。これ以上、図々しくできないという気持が私の中にあった。また、9号の「人間の領域」から、15号の「人間の命」に至るなかで、もうこれ以上、何を白川先生にお願いすればいいのだろう、もう何もない、という気持になるほど、あの一連の文章が凄かった。もちろん、白川先生の懐のなかには、まだ無限のものが詰まっている。でもそれは、これから5年かけて(先生が100歳になるまでの間に)、白川漢字学を中国語に翻訳していくことや、白川先生にしかできない金文や甲骨文の研究に費やされるべきものなのだ。私なんぞが、たとえ少しでも、それを邪魔してはいけない。