アルタイ展と湯河原

     右の写真は、男性ミイラに施されていた文身(いれずみ)


 昨日、静岡県立美術館までアルタイ展を見に行った。

 ここの美術館は、駅から街路樹が続き、緑が濃く、風もさわやかで気持ちがよかった。

 また、園内に、舟越保武とかのブロンズ像がさりげなくおかれ、雰囲気がとてもいい。

 アルタイには、たしか5年ほど前に中国側から行った。ウルムチから3日間車に揺られ、ジュンガル盆地の砂漠を超え、太古の森の樹木が化石状態になって散在している地帯から、中国の開発地区に指定されている石油地帯を通過し、ようやく辿り着いたのだった。

 アルタイは地図を広げてみるとわかるが、ほんとうにユーラシア大陸のど真ん中だ。だから、荒涼として壮絶な風景が広がっているようなイメージを持っていた。そこに辿り着く前に、天山山脈の峻険な山並みを見て、魔鬼城と呼ばれるジュンガル盆地の荒々しい風蝕地形を目にした後、さらに大陸の奥に進んでいくのだから、いったいどんな世界なのだろうと、恐いものみたさのような期待があった。

 しかし、アルタイには、意外にも日本の北海道のような穏やかな風景が広がっていた。アルタイ山中にハナス湖という青く美しい湖がある。その周りを取り囲むなだらかな山にはトドマツなどの常緑樹が生い茂り、ひっそりとした桃源郷のような世界だった。世界の中心が、このように穏やかな世界であることに、驚くとともに納得するような気分になり、その空気にどっぷり浸っていた。

 アルタイ山麓に日本人そっくりな顔で木の家に住んでいるトゥバ族の人たちがいたが、かつてアルタイ周辺にいた人たちが東へ移動し、大陸と陸続きだった北海道に達したとき、自分たちの故郷にそっくりの風景に出会って定着したのではないだろうかとかってな想像をしたが、それほど、アルタイの風景は北海道に似ていた。

 緯度でみると、アルタイはかなり高い位置にあり、樺太とかオホーツク海くらいの所にある。このアルタイに、岩絵がたくさん残されていて、大型のレイヨウ類など、今はもっと南にしか生息している生物が描かれている。

 今回のアルタイ展の展示でもっとも驚いたのが、永久凍土の下から出てきたミイラと、当時の衣服だ。保存状態が大変よく、2500年も前に人間が着ていた絹のシャツとかウールのスカートとか毛皮のコートとか長靴下が、当時の姿形そのままで見られる。石や鉄の道具は簡単に時空を超えることができるけれど、布製品が2500年も前のデザインをそのまま残しているなんて、まったく驚くべきことだ。それと、肩に文身(いれずみ)を入れた男性のミイラ。その文身のデザインが、渦巻きと長いくちばしを持った鹿が一体化したようなもので、ケルトのケルズの書に描かれている、動物とか人間とか草花とかが渦巻きとともに連なって一体化しているようなイメージとそっくりだった。ヨーロッパの先住民族とでも言うべきケルト人が作り出した文化の、人間と森羅万象が一連なりになって転生していく世界は、今日的な定義で言うと、とても東洋的なものだが、かつては東も西もなく、同じような世界観を共有していたのか、それとも文化的交流があったのか、どちらかなのだろう。

 アルタイは、紀元前6世紀の頃、オリエント一帯を支配したアケメネス朝ペルシャを苦しめ素晴らしい黄金文化を残した騎馬民族のスキタイ発祥の地という説もあるらしいが、古代においては、ユーラシア大陸を縦横無尽に移動する騎馬民族によって、各地の文化が混交されて昇華され、伝番されていったと考えられている。

 もちろん現在もそういうことが起こるが、昔と違うのは、情報優先でものごとが伝わっていくことだ。昔は、モノを運ぶ人がいて、モノが伝わっている。だからモノのなかに、人間の思いとか感性が凝縮している。中央アジア騎馬民族は長い間文字を持たず、6世紀の突厥が初めて文字による記録を残した。だから、いまだ謎の部分が多く残されているし、古くから文字を持っていた中国とかギリシャに、一方的に記述されて、それが歴史の記録になってしまっている。でも私は、文字による記録よりも、道具に残されたメッセージの方に強く心が惹かれる。モノを通して当時の人たちの世界との関わり方が、じんわりと伝わってくるのだ。そこに数千年の時空を超えて変わらない普遍のものが宿っている。人間が作り出す形やデザインは、ほとんど進化していない。

 現在社会では自己表現がブームになって、奇をてらったものがたくさん出ているが、それは枝の数が少し増えただけのことにすぎず、幹に達するほどのものではない。幹の部分は数千年を超えて変わっていないのではないか。古代の道具の展示を見ると、あらためてそう思わされるのだ。

 文字による伝達は、どうしても枝の部分が多くなって幹の部分が疎かになる。モノは正直で、ごまかしがききにくい。だから、モノを媒介にしてコミュニケーションをとっていくと、幹の部分をリレーできる。幹の部分に伝わってこないと、一部の評論家が煙に巻いた言葉で誉めることがあっても、世の中からは無視される。そんな感じがする。

 もちろん、言葉の使い手がみんなそうだと言うのではない。言葉は枝をつみあげるだけで簡単に相手を煙に巻くことができてしまうので、より慎重な態度が必要だろうと思うし、それが文学的良心でないかと私は思っている。

 純文学、大衆文学、エッセイ、評論などなど、ジャンルばかりが増え、そのカテゴリーのなかで、自己の存在感を示そうと躍起になっているが人が多いが、そうした表面的な区分はどうでもよく、私は文章の書き手は二種類しかないと思う。上に述べた、表現に関する良心に自覚的であるかどうか、その良心を大切にしているかどうか、その良心を捨てて表現ができてしまうかどうかだ。だから、芥川賞の選考などにしても、本当はそのことが一番大事なのではないかと思う。

 

 アルタイ展を見た後、湯河原で降りて、田口ランディさんの所に行く。ランディさんは、ロシアのアルタイ共和国を訪れており、今回の展覧会の情報を教えてくれた。

 ランディさんはとても多才な人だから、圧倒的な人気を誇るとともに、やっかむ人もいる。しかし、私は、ランディさんが書くものに、とても文学的良心を感じており、そこが好きなのだ。

 湯河原は、海も山も近く、私が育った明石の空気に似ているところがあって、とてもくつろげた。空気がおいしいと、食べ物も飲み物も格別においしくなる。身体のなかが綺麗になるような気がする。私が今住んでいる所も静かで樹木に囲まれているのだが、ランディさんと分かれて熱海から新幹線で品川に戻り、自宅に向かってくる途中、なんてゴチャゴチャしている所に住んでいるのだろうと、ヤレヤレという感じだった。普通、何日間か海外や田舎を旅して帰ってくると、そういう気持になることも多いが、日帰りで、これだけのカルチャーショックを受けることは珍しい。なにか別の世界から舞い戻ってきたような感じなのだ。

場の力というものだろうか。海や山の風景だけでなく、目にしたもの、嗅いだ匂い、感じた気配、食べたもの、飲んだもの、会った人、話した内容、そうしたものが重層的に重なって、密度の濃いものになって、自分の中をより美味いものに醸成しながら変えていく。

 ランディさんの文学的良心は、あのような空気でこそ育まれたのだろうし、表現行為を通じて、そのような空気こそを志向しているのだろう。