「風の旅人」と世代論(続き)

「風の旅人」と世代論について、もう少し考えてみる。

 20代、30代といった厳密な年齢で括ることはできないけれど、人間が成長していく段階において、ある種の規則性があることは間違いないと思う。

 若い頃の本能として、「 大勢の人が正しいと思っていることを正しいとするスタンス」に対して、雑音さえなければという条件付きですが、警戒心を抱くことは自然ではないだろうか。自分で考えたり判断したりしないスタンスは、生身の自分を弱くするからであって、そうした場合、生命体として自分の中から危機のシグナルが発せられるかもしれない。しかし、ある程度、年齢を重ねると、生命体としての自分だけでなく、社会的動物としての自分にスイッチが入る。社会の中を生き抜かなければ、生命体としての生命もないというように。そうした状態になると、社会の中を生きるために自分のフィールドを獲得し、その中で力を発揮するために必要なことを貪欲に吸収しなければならない。例えば、企業に就職すれば、その領域に関する知恵を一生懸命に吸収することが社会的動物としてよく生きることにつながるのだと本能が囁く。学者であっても、まず自分の専門領域を押さえることが先決になるから、その分野の研究書に傾いて学習を重ねるでしょう。

 「大勢の人が正しいと思っていること」の分野でとにかく自らの立場を築き上げなければ、その後の人生は厳しいものになる。もしくは、とりあえず、「大勢の人が正しいと思っていること」を自分も一生懸命やってみるのも悪くないんじゃないか、という心理があると思う。芸術家の場合だって、絵なら絵という専門分野だけに特化した学習をする時期があるのだし、そこを通過しなければ、オリジナリティの領域に入っていけない。

 そのような人生の時期に差し掛かっている人にとって、「風の旅人」は”今しばらくは役に立たないもの”になるかもしれないし、ある人にとっては、うざったいものかもしれない。その段階は、人それぞれでしょうが、多くは、20代の途中から30代ということになるかもしれない。

 しかし、もう少し人生の階段を踏むと、社会的な自分の立場も見えてくる。社会的動物としての営みは、それまで一生懸命努めてきたことの慣性力で何とかやっていけるような気がしてくる。そして同時に、「大勢の人が正しいと思っていること」に追随することは、生きやすくなるどころか、自分を生きにくくすることだとわかってくる。人気のアミューズメントパークに行くと、渋滞や行列で疲れるばかりだし、人気の店や物は、人気料が上乗せされて割高だし、人気の観光地は人でいっぱいで、旅をした気分になれない。

 そのように成熟してくると、「大勢の人が正しいと思っていること」の矛盾が少しずつ見えてくる。その矛盾を麻痺させる雑音が、「人から取り残されてはいけない」、「人が知っていることを実現して、人から羨まれたい」、「長いものには巻かれろ」などであり、消費メディアはそのベクトルで情報を発信し続ける。そうした消費メディアの胡散臭さにも気づいてきた人たちは、もしかしたら「風の旅人」に関心を持ってくれるかもしれない。

 私個人の場合も、20代の途中までドロップアウトのフリーターだったので、その頃に「風の旅人」に出会っていたら、すごく関心を示していたと思う。しかし、20代後半から30代にかけて、私はビジネスの世界にコミットした。読んでいた本の多くは、ビジネス書であり、経営書だった。それは自分にとって必然だった。もちろん、「風の旅人」の執筆者達の本も、フリーターの頃から読んでいたような人たちは、新作が出るたびにチェックしたりしていた。だけど、ちょっと警戒しながら読んでいたかもしれない。

 ただ、ビジネスにおいては、「大勢の人が正しいと思っていること」をそのままやってもうまくいかないことは、身に染みてわかっていた。個人旅行がブームになって、格安航空券ビジネスに参入する企業は多かったが、結局、もっとも経済効率を高めた1社の一人勝ちになった。

 「大勢の人がいいと思うこと」をやることは、競争相手も多いということであり、激烈なサバイバルの果てに、勝ち組と負け組がはっきりとしてしまうのだ。だから、現在、勝ち組と負け組に二分化される社会に懸念の意を表明する(だけ)の有識者は多いが、その状態をつくり出す原因が、「大勢の人が正しいと思っていること」に追随する多くの人々の心理の結果だということを指摘できていない。

 流行の店の大混雑(勝ち組み)と、閑散とした店(負け組)の差は、その二つの価値の差だけでなく、追随心理によるところが大きいし、いったん流れが傾きかけると、それに拍車をかけるマスコミなどの影響も大きい。

 実態の価値に関係なく流行の店に集中するお客と、他社・他店の追随もしくは過去の成功体験の追随のお店と、メディアの煽りが、勝ち負けを際だたせる。

 マーケティングだ、流行だ、と称して、本当はビジネスにおいても大事なモノゴトの機微を削り落として、時流への追随が讃歌される。その場合、運がよければ時流に乗れるが、少しでも出遅れたり運が悪かった場合に持ちこたえる潜在力がどこにもないケースが多い。

 そういう経験もあって、「風の旅人」は、ビジネスの上では、最初から他社・他者の追随になることはあり得なかった。どんな雑誌が流行っているかなどという調査など一度もしたことはないし、その必要も感じなかった。横目では見ているけど、それは、世の中の流れの奥にあるものに思いを馳せるためだ。

 そして、個人的な気持ちとしては、「大勢の人が正しいと思っていること」を引き剥がしたいという衝動で作ってきた。

こうしたことを社会的に「形」にしていくためには、個人的な学習だけでなく、社会的な学習も必要なので、私の場合、40歳になるまでは難しかった。