浅田彰氏との「出来事」の総括に変えて

 アクエリアンさん、コメント有り難うございます。長くなるのでここに書きます。

 私は、批評家ではなく編集者ですから、浅田さんとのやり取りのなかで、自分なりの思いを自分なりの「言葉」を駆使して伝えようとしたことを、雑誌表現を通して実現していくべきだと思ったからこそ、あの総括を消去しました。

 「言葉」だけの論争というのは、実質がないという気がしたのです。

 といって論争が無駄だというのではなく、論争によって解を求めることなどはできないけれど、論争を通じて自分のなかに生じた言うに言われぬ思い(論争のなかの言葉ではうまく通じていなかったというジレンマ)を、自分の中にガスとして溜め、それを違う形で出力することに最大の意味があるだろうと思ったのです。

 そして、ガス圧が強ければ強いほど、その後、自分から出力されていくものも強い力を得ることができる。あのような卑小な総括で話が終わってしまったら、私にとって意外であるからこそ希有だった今回の体験が、「出来事」にならない。

 自分の日記のなかで、もうそこにいない人に対して、「ざまあみろ」と遠吠えをしても意味ないですから。

 そうではなく、今回のことは、自分にとって何か大事な「出来事」=(浅田氏が終わったと表現した、あの「出来事」です)が生じたのではないかと私は考え直しました。

 逆シンクロという形で、奇妙な何かがスパークした。 

 浅田さんとのやり取りは、同じ場で対話を行う意思を持った二人であるのもかかわらず、「言葉」と「言葉」がぶつかるのではなく、別々の線路の上で話しが展開していきます。普通、こういうのは、噛み合わないというのでしょうが、私は、ここまで違うのに、なにゆえにこの場で接点が生じているのだという不可思議な思いを持ちながら(だから、愉快犯にやられたという感覚にもなってしまうのですが)、妙な手応えもありました。それは、浅田さんも、こんな素人ブログのなかで、わざわざ真面目に語ろうとしている(ちょっと熱くなっている)という感覚です。言葉は噛み合わなくても、体感としてはリアルなわけです。

 普通に考えて、浅田彰さんが私のブログで私を相手に対話をするというのは、とても考えにくい。そもそも、他でもそういうことをしているのでしょうか(その後の、保坂和志さんの掲示板とは別に)? 保坂さんの掲示板に飛び火したことも含めて、未だに、いったい何が起こったのだという妙な感覚があります。愉快犯のような気がするのも仕方がないでしょう。

 そして私と浅田彰さんは、別宇宙の住人のように違っているのですが、共通の立ち位置みたいなものは、実は、あることはあるのだと私は感じています。(浅田さんの考えは想像するしかありませんが)。

 これはとても説明しにくいことですが、少々試みてみます。

 一つは、「出来事の到来」ということに対する認識です。

 もはや、「出来事」は簡単に到来しない。可能性としては、かぎりなく難しい。といって、その考えを全面的に認めるわけにはいかないという思い。

 この「出来事の到来」について述べるにあたって、「芸術」とは何かについての私なりの考えを、まず述べなければなりません。

 人間は、他の生物にはない認識能力によって、自分が生きている世界をミクロからマクロまでバラバラに感じ、それによって、内面世界も分裂します。(それは、人間が人間として生き始めた時からの宿業です)

 人間は、その寄る辺のない不安に耐える力を得ることが必要で、その手段として、儀式や宗教とともに芸術が生まれた。芸術というのは、自分たちが生きている世界(時代)のなかで、自分たちの分裂した内面世界とバラバラの外面世界という質的に異なる世界を、新たに統合し、<かたち>にして差し出していくことだと私は考えます。

 

 一口に統合といっても簡単なことではない。

 自分の分裂した内面世界には、自分が生きてきた時間のなかで得られた様々な関係性が記憶となって堆積しています。そして、自分が認識する外部世界もまた、当然ながら様々な関係性で成り立っていますし、その関係性を築く個々のモノやコトの一つ一つにも、様々な関係性が記憶のように堆積しています。

 そうした外部世界のモノやコトと、芸術家の内面(芸術家の体験した関係性の集合体である記憶)が呼応する時、芸術家によって選ばれたモノやコトに関与しているやすべての関係性が損なわれないように、絶妙に新たに関係し合うフィールド(形)が作られる。私がイメージする芸術はそういうものです。

 そして芸術にとって大事なことは、それらの呼応関係が、自分に都合良く偏っていないことです。その偏りは、自分の偏狭さに気づいていない麻痺状態によってもたらされます。自分に都合よく偏るというのは、絵を描くのが好きで、花を描くのが好きで、それを上手に描けばいいのだという態度に端的に象徴されるのですが、それはつまり専門バカになることでもあります。専門バカでなくても、自分が認める範疇で世界を区切ってしまう態度もまた、自分に都合のよい偏りです。

 それゆえ、写真や絵のテクニカルな作用によって、その作品が芸術にはなることは絶対にあり得ません。(写真とアートの違いを明確にしたがる人たちは、この部分に関して、写真や絵をつくることだけに喜びを見いだして没頭している人よりは敏感なのだと思います)

 本当の芸術作品は、上に述べたような偏りがなく、その時代の中で、もっとも相反するものと感じられるようなモノやコトでさえ、同じフィールドのなかで見事に呼応していなければならない。そうしないと、その時代の<引き裂かれ>を統合するものにならず、その時代を生きる人々が感じている大きな引き裂かれを克服できる<出来事の到来>にならない。

 時代によってモチーフや方法は異なりますが、芸術として残っているものは、すべてその時代の相矛盾するようなコトやモノの見事な統合が実現されているように思います。そして、その芸術作品そのものが、その時代の<出来事の到来>になっているのです。

 <出来事の到来>というのは、芸術家が作り出す<新たな関係性>と言えるものです。

 その<新たな関係性>の力によって、その時代の人間が感じているバラバラな世界を統合的に感じさせることに貢献する。それが芸術の真の力だと思います。

 すなわち、「出来事の到来」というのは、その時代の人間が感じているバラバラな世界と分裂した内面を、摂理に添って統合する「出来事」の到来を意味する。私の認識はそういうことですが、浅田彰氏もそういう前提に立っていると思います。

 それで、出来事の終焉=世界の終わり、と彼が言っているのは、もはやその「出来事」の到来は絶望的に難しい、その難しい状況をまず冷静に受容しなければならないだろう、世界(時代)に対して誠実というのはそういうことではないか、誠実なふりをして、自分の関心ある偏狭な一分野に拘泥して悦に入っているのは精神の怠惰ではないか、というニュアンスがあるのだと想像します。

 今日の時代を統合することは、これまでの時代にないくらいに、とてつもなく困難なことです。

 芸術家というのは、どの時代でも、自分たちが生きる世界の現実と、自分の内面世界の両方に両足をかけて踏ん張り、その引き裂かれの中で、新たな関係性を表出せしめんと奮闘していたわけです。

 それで、今日に生きる私たちが片方の足を乗せている現実世界とはどんなものか。

 これは、かつてのように宗教戦争だ、産業革命だといった地上レベルのことではすみません。

 人類の20世紀の成果は、目に見える現実以外の現実をあからさまにしていったことでしょう。

 たとえば、現在の私たちは、ハッブル望遠鏡によって130億年前の宇宙を見ることが出来ます。そして、極微の世界では素粒子の振るまい。また、ユングフロイトによって、心の領域にメスが入った。それらはすべて、目に見えないけれど、私たちに関係している現実世界です。

 つまり、この時代に私たちの現実を生きるということは、アフリカの問題だ、イラク戦争だ、バブルの崩壊だ、学校荒廃だ、マンションが危ない、子供が危ない、という地上の現実とともに、それ以外の無数の目に見えない現実も含めて生きることになる。

 しかも、これだけ現実世界が膨れあがってしまった状況のなかで、世界が専門の領域ごとに分断され、その間での意思疎通がはかりにくくなっている。まさに手の施しようのないバラバラ状態なのです。

 そうした状況のなかでも、高い見識のある人は、専門の殻を脱ぎさって、全体像を掴む為に奮闘している。この時代に、偏狭な専門にこだわってそこに安住して権威化するような人は、全体像を掴む為にあがき続けている人たちから見れば、偽善者にすぎないでしょう。  そんな偏狭な所から出てくるモノを「出来事の到来」などと決して認めないという態度からしか、本当の意味での「出来事の到来」はあり得ないと、私も認識しています。

 こうした絶望的な状況のなかでは、「出来事の到来はない」という現実を受容して、その外部世界の死んだ状態と、分裂した自分の内面の「死」を呼応させて統合するという新たな関係性の構築こそが、この時代の芸術である、それはすなわち、最後の芸術となる、ということを、浅田彰氏は言わんとしたのだと、私はかってに解釈しています。

 しかし、浅田氏は、そうした時代の絶望的な困難を、その種の「死」の創造によって受容するわけにはいかないという生きた思いも当然持っています。

「芸術の終わり」ではなく、「写真の終わり」と、写真に区切って言う微妙さには、もしかしたら、そういう思いが反映されているかもしれない。

 杉本氏のあれくらいの作品で、「芸術の終わり」を宣言することなど、あり得ないことは、浅田氏も当然ながら認識されているのでしょう。

 しかし、「写真の終わり」を宣言させる程度のことは、いいと思っているのかどうかわからないけれど、とりあえず、そう言った。写真に対しては、ひとまずそんなもので、という感じで。

 私の憤りは、浅田氏の写真に対するそのような態度から発しています。

 そして、もう一つあります。

 浅田氏は、今日という状況をどれだけ正確に認識していようが、この難しい時代の<新たな出来事>となるような新たな関係性を指し示す言葉を持たないがゆえに、自らの言葉をどこかに固定させず、握った瞬間に掌からスルリとこぼれ落ちてしまうように(すなわち、言葉にとっては「死」に等しい状態)、レトリックを過剰に使用し、文章を組み立てていく。こうして示される浅田氏の文章は、杉本氏の作品と相通じるものがあるのです。

 しかし、悲しいことに、現代の消費社会は、彼らが「死のギミック」をもって今日の世界を象徴させ、「新たな出来事の到来、そして最後の到来」としようと試みることを、嘲笑うように意味を転倒させ、実益として呑み込んで消化してしまうのです。

 「世界でもっとも注目される日本人アーティスト現る、浅田彰氏絶賛!!」というようなニュアンスを漂わせた宣伝を作り出し、メディアは当然のこと、見識の浅い学芸員なども愚かに追随し、そのムードを増殖させます。ひどいものです。

 そういうことに対して、どれだけ慎重にお考えですか?ということを、私は浅田氏に問うていたわけです。

 私は最初から一貫して、写真論など戦わせていません。また、杉本氏の写真を写真と認めないなどと、写真家根性でものを言っているわけではないのです。それは、あの対話を読んでいただければわかると思います。

 それに対して、浅田氏は、「物書きは売春である」というようなことを言って、そういう現象に自覚的でない筈はないなどと言うわけですが、私が言う「自覚的」というのは、その程度のことではありません。

 もし本当にそういう虚ろな社会に自覚的であるなら、杉本博司氏もそうなのですが、死のギミックなどで遊んでいるのではなく、自らの「表現行為」そのものを慎み、沈黙する潔さが必要ではないかと言いたいのです。

 そうした話しをこれから展開していかなければならない(批評言葉の展開に慣れていない私なんぞと付き合ってもらえるのならば)という寸前のところで、「オマエには読解力がないから、オレの書いていることのニュアンスがわからないのだ、オレとオマエは頭の出来が違うのだ」みたいな表現で恫喝され、スルリと掌から消えるように消えてしまって、そこに岡崎乾二郎さんが入ってこられて写真の骨董化の話が出てきて、それに対して、「今話していることはそういうニューヨーク世界のことではないのだ」と熱く反応してしまっているうちに、乱れが生じてしまい、去ってしまった浅田氏の背中に向かって、唾を吐きかけるような形で「総括」などとやってしまったわけです。

 しかし、それを言うことが私の本意ではないし、あのような「ひねた総括」のために、浅田氏に対して、意義申し立てをしたわけではないのです。

 つまり、今日の状況がかぎりなく難しいことは、当然ながら私も承知しています。

 だからといって、その状況のなかでの「最後の新しい出来事の到来」を、「死のギミック」などで表しても、消費社会の中では、貪り食われてしまう。そうなってしまうということは、「死のギミック」が、この時代の矛盾と同じ穴のむじなであることを証明している。多少譲歩したとしても、「新たな出来事」というのは、「みんなけっきょく同じ穴のむじなですよ」ということの再認識であるというひねくれたものになってしまう。そして、「ひねくれたもの」であることの受容は、まさしく自らの「死」を宣言することであって、そこにひねくれた矛盾のない関係性ができていることになるのだが、その救いのない状態を潔く受容する態度を救いだとするのなら、芸術家が表現を行うことじたいが、おかしなことになる。なぜなら、表現行為じたいが、どこかで救いの可能性を求めている現れだからです。

 けっきょく、「死のギミック」は、引き裂かれそのものを体感化し増幅するものでしかなく、新しい統合の<かたち>になっていかない。すなわちそれは芸術ではない。

 浅田氏や杉本氏のスタンスは、「絵が好きだから、写真が好きだから表現行為をしています!」とお気楽に言う人たちよりは、現実認識としてはまともなことは間違いないが、現実認識があるのにもかかわらず「美しき悪徳」のようなナルシステックな振る舞いを行っていることは確かで、その方がより罪が重いのではないかと思うのです。現代のユダを演じきるということなのかもしれませんが。 

 すなわち、今日の状況のなかで、「新しい出来事」と言える世界の新たな関係性を作り出すことは絶望的に難しいと深く承知していても、それを試みようとしないのなら表現行為をやめるべきだという潔さを持ち、その厳しい状況のなかで喘ぎながら、「統合」を果敢に試み続ける表現だけが大事なのではないかと私は思います。

 もはや、この期に及んで、「死」のギミックはいらない。

 いろいろな難しい背景を認識したうえで、敢えて「生」を表現すること。もしかしたら、それは、「生」のパラダイム転換なのかもしれない。

 本当はここに書いたことまでを、浅田氏との対話のなかで申し伝えるべきだったのですが、うまくいきませんでした

 そして、ここから先は、私個人の内面的なことで、一般的な「論」として受け取られるとよくないですが、敢えて書かせていただきます。

 つまり、私は批評家でも思想家でもありませんから、上に述べたことをただ考えているだけでは意味はなく、その考えに添った<形>で何かしらの実作を行いたいと思うわけです。それが、私にとっての「風の旅人」です。

 しかし、「風の旅人」のこれまでの在り方は、私のいる宇宙の出来事にすぎません。実感できないから認めがたいという、もう一つの宇宙のことは無いものとして扱われているのです。そういう意識に何かしらの変化がもたらされたということで、浅田氏との出会いを意味あるものと受容できました。

 そして、私は、一編集者にすぎません。ですから、編集者というアレンジャーのできる範囲のことで、表現行為の末端に携わっていくしかありません。

 しかし私は、私の鈍感な性質ゆえのことかもしれませんが、アレンジをするという行為によって、新たな関係性=新たな出来事を生じさせることが可能ではないかと、個人的に信じてしまっているところがあるのです。

 私が写真の可能性を信じていると言っても、フレームに区切られた一枚の写真だけにその可能性があるなどとは露ほどにも思っていません。一枚の写真が時代を動かすなど、あり得ないと思うのです。

 しかし、「現実」が写し込まれた写真を組写真にすることで、写真家が写真を撮っている時にはまるで意識できていなかった「関係性」を生じさせることができると、私は仕事をしながら感じる時があります。

 これは理屈ではなく体感です。表層的な写真をコラージュのように組み合わせればいいという程度の安易な発想ではなく、全身全霊で撮られた写真が組み合わされていく時、一枚一枚の力が相乗的に高まっていくことがあります。

 そのようにして一人の写真家の作品のなかで生じる新しく凄い関係性と、さらに別の写真家の作品のなかで生じる新しく凄い関係性が相互に関係し合うことで、さらに大きな力を獲得することが可能になります。そこに、「言葉」が、新たな関係性を求めて響き合っていく時、新しい関係性のフィールドができて、新しい出来事に成りうるのではないか。

 一人一人の表現者と作品は、別々の時間の流れにそって、この現実世界を生きています。通常は、それらは、この現実世界でバラバラに存在している。しかし、そこにアレンジャーが介在し、この世の摂理に添った建築物(ヒューザーのマンションのような精妙な死ではなく)ができあがる時、それは「新しい出来事」に等しいものではないか。盲信かもしれませんが、そう思っているからこそ、私は「風の旅人」の制作に携われているのです。だから、そう自分が思えなくなった時には、制作を辞めます。雑誌を出すことじたいを目的化する気持などまったくありません。もともと、私は出版関係の仕事とは無縁の人間ですから。

 「風の旅人」という私にとっての表現物のなかに、私の思いを凝集させること。そのことだけを考えるべきで、口喧嘩の終了宣言のように浅田さんとの対話を総括してしまうことを自分でも認めるわけにはいきません。だから、消去しました。

 まあ、そうすっきりと切り換えができたのも、目の前に「風の旅人」の次号の校正紙があり、ここにこれだけの力を秘めた事物があるのだから、この事物に私の思いを語らせるしかない、と素直に思えたからでもあります。

 そう思った時、浅田氏との出会いは、次号からの「風の旅人」が世に出ていくにあたっての、必然の逆シンクロだったのではないか、という気分になったのです。

 私は、次号とその次の4月号まで、ほとんど構成ができているのですが、その次の6月号がまるでイメージできていませんでした。しかし、幸いにも浅田氏との逆シンクロによって、閃きが生じたのです。その抽象的なイメージが、「一夜明けて」に書いたことです。

 私は、来年の6月以降、「人間」と「人間」のあいだ、というテーマで構成していく考えのあることを、以前、このブログでも書きました。

 「人間」と「人間」のあいだ を構成していくうえで、私がいる宇宙とは別の宇宙の住人がいるという手応えは、とても大事なことになってくると思います。

 だいたい私はいつもこうした揺らぎからイメージを掌握して形にして整えてアレンジしていきますので、やはり、今回の浅田氏との邂逅は、自分なりにとても意味があり、「新たな出来事=その窮極の意外性ゆえの希有さという意味において」であったように思います。