死と向き合う仕事

 昨日書いた新しく制作する会社のPR誌というのは、葬儀会社のPR誌のこと。

 介護とか葬儀とか、「風の旅人」とか、生と死の編集を専門にあつかうプロダクションになってきた。

 その会社の社長は、まだ33歳のベンチャーで、誰のための葬式かわからないような形式張った葬式ではなく、故人や遺族の意に添ったものを実現しようとする、当たり前のことだけどこの業界では新しい発想と、志の高さに共感するところがあった。

 現在は、死を真摯に考えなければならない時代であることに間違いはない。

  日本人の平均年齢は80歳を超え、2050年には90歳になると言われている。江戸時代とかであれば、50歳くらいまで一生懸命に働いて、その後の数年を遊んで暮らすことが健全で理想的な人生と考えられた。

 しかし、現代は80歳まで生きなければならない。定年後の時間が長いから、その第二の人生をどう生きるかなどとよく言われているが、それ以前の大事な問題があるような気がする。

 一つは、10代とか20代という社会的に未成熟な時期に、その後の60年もの人生が決まってしまうのではないかという強迫観念があること。スタートで踏み外すと、あとは、おそろしく退屈極まりない人生か、惨めな人生があるかのようなプレッシャーをかけることで、心理を煽り、不安にさせるものが多い。

 そうしてもう一つは、人は誰でも40歳を過ぎる頃から、血糖値が高いとか、身体がだるいとか、身体に変調を感じるわけで、どうしても「死」を意識せざるを得なくなる。そして、少々の病気になることがあっても医療技術が発達しているから、簡単には死なない。

 身体のどこかが具合の悪い状態のまま、長く生き続けるというのが、現代人の生なのだ。すなわち、「死」と背中合わせの状態で、人生の大半を生きていかなければならない。

 

 ダラダラと長く苦しく続く現代の生。今までの思想や哲学は、人生を80年とか90年と想定していない筈であって、だからこそ現代は、新しい思想や哲学が必要なのではないかと思う。

 そして、そのことを考えるうえで、「死」を避けて通れない。

 死と同じ重さの生  生と同じ軽さの死

 なのだ。

 誰にとっても。