ウエブ進化論(後半:一部修正)

 「恐竜の頭」と「ロングテール」、その二つの層は、そこで働く人や、それに関心を持つ人で、指向性も、思考特性も行動特性もまったく異なる。

 私は、「風の旅人」の制作においても、無限に広がる「ロングテール」をターゲットにしている。

 「風の旅人」の場合、読者を年齢や性別で限定しない。執筆者も、人文、生物、宇宙、歴史、脳科学等々、特定のジャンルに限定しない。写真も、ドキュメントから、自然、生き物、都市など多岐にわたる。写真家のタイプも、サルガドとかマグナム会員から、石元泰博さん、野町和嘉さん、今森光彦さん、森山大道さんといった世界的に評価の高い人から無名の新人まで、プロフィールを掲載せず、誌面作りにおいて差別なく紹介してきた。

 ジャンル分けや権威付けとは無縁の作り方をしてきて、それがゆえに、書店などからも、「風の旅人」をどの棚に置けばいいかわからないと、よく言われる。

 40代の男とか、サイエンスといった特定のカテゴリーに決めて、そのカテゴリーを分析して、その分析に添った作り方をするという発想は私にはない。

 一つ一つの細かな分野に関心のある少数の人々を集めて、採算のとれる読者人数を確保できないだろうかというのが、創刊の頃からの課題だったのだ。

 また、そうした自由な作り方を維持するため、媒体に強い影響力を持つ特定の広告主にも頼らない運営を目指した。

 このように無限に広がっていく「ロングテール」を、バラバラに分散させず一つのまとまりとして見せるためのビジョンこそが、「風の旅人は、心の旅に誘います」というメッセージなのだ。

 そして、創刊準備の段階で、編集経験者の人を何人か採用して、うまくいかなかったのが、この「ロングテール」に対する考え方だった。編集経験者が立てる企画は、「恐竜の頭」に当たるわかりやすいテーマが多い。それらは既に巷に溢れているものがほとんどだったし、そういうものを作っても、流通を支配している大手出版社の雑誌を押しのけて書店の棚を取ることはできないのだ。

 しかし、私のような素人が、大手出版社のやらない雑誌づくりを一人で行っていくには、物理的な側面でもコスト的な側面でも、ウェブの進化がなければ実現できないことだった。メールの発達は当然のこととして、私はグーグルによる情報収集力の恩恵を多大に受けている。グーグルが無ければ、今のように多岐なテーマで多種多様な人材を集めて一つにまとめ上げることもできなかっただろう。

 「風の旅人」という制作物は、情報を低コストに効率よく管理できるシステムによって、その部分にかけるエネルギーを減少させ、その分、質的な向上をはかることを目指して作られている。だから、他の出版社の人は、「風の旅人」のような豪華?な雑誌は採算が成り立たないと言ったりするが、やったこともないのにそう断言するのは、悪い思考特性だ。何でもそうだが、やり方次第なのだ。やり方次第という経験をしたことが無い人が、観念でモノゴトを決めつける傾向が強い。

 旅行でもそうだが、情報システムを成立させるだけではだめで、それを実際のサービスに生かすことが出来て初めて、存在の意義を発揮できる。

 最終的には生身の人間の思考特性や行動特性および人間の関係性に変化を与えるリアルな体験を生じさせることができるかどうかが鍵だろう。

 ネットもそうだが、「風の旅人」もしょせん虚構である。その中で自己完結してしまうのではなく、そこから新たに何かが始まっていくことをイメージしなければならない。そもそも、私は出版業務や編集という仕事に魅力を感じて、これを始めたのではないし、雑誌作りそのものを生き甲斐や目的としているわけではない。やることの意義を見いだせなくなったら、いつ辞めてもいいと私は思っている。たまたま自分が思うようにやってみたら、今のような形になっただけのことなのだ。

 今日、ここにこうして長々と書いたのは、ここに私が書いたようなことを本当に理解してくれて、その上で一緒に仕事をしようと思ってくれる人を探しているからだ。

 世の中には編集という仕事をしたい人はたくさんいるみたいだが、編集を通じて何をしたいのかと面接などで尋ねても、答えられない人が多い。多くの人は世の中が作り上げている編集という仕事のイメージに惹かれているだけのことで、それは、「恐竜の首」の部分しか見ようとしない思考特性や行動特性の結果ではないかと思う。そういう人といくら話しをしても、こちらの真意は伝わらないし、協働によって何か新しいことを生み出せる可能性も少ないと思う。

 出版や旅行の仕事をしたい人というのは、既存のカテゴリーを疑って新たな秩序を打ち立てることを目指す人が少なく、出来合のカテゴリーと秩序のなかで、好きなことや得意なことにタッチできていればいいと漠然と考えている人が多いように感じる。

 ユーラシア旅行社の旅行部門に入社を希望する人も、昔は、旅行業界に新しい風を吹き込むといった会社の理念に共感する人が、全てではないが数人はいた。しかし、今は、好きな旅行を仕事にしたいという動機で、ユーラシア旅行社がもっている旅行地域の多様性とか、上場会社であるという安定性などを目当てにする人が増え、その分、会社の不完全な部分に対してばかり目を向け、陰に隠れて不平不満ばかりを言う人が生じているようだ。失うものは何もないという境地で堂々と異端や反骨に徹する人は信用できるし見込みがあると思う。不平不満を持つこと自体は何も問題ない。問題があるとすれば、その表し方だろう。卑小な態度を取り続けると、最終的にそのツケを払うのは自分になると思う。その人の生き方や能力の向上は、多少の運の影響があるにしても、長い目で見ると、その人の思考特性や行動特性の範疇を決して越えることができないのだから。

 好きなことを仕事にすることが理想だとよく言われるが、好きで時間をかけて没頭して技術的向上が見られるような分野であれば、その技術が自分をハッピーにしてくれる可能性があるが、旅行や編集というのは、技術的側面よりも、中身や心構えが大事なのだ。その中身や心構えは旅や編集に時間をかければ向上するという類のものではなく、一度だけの体験でそれを体得してしまうことも可能だし、他の仕事や学習などの体験を通しても向上がはかれるものである。むしろその方が仕事に幅が出るし、そこから得た智恵を他に向けることもできる。

 だから、旅が好きで旅行会社で働きたい、または編集が好き(実際に編集をしたことのある人は少ないから、いろいろな人と会ったり、いろいろな所に行ったりしながら、本とか雑誌を作ってみたいという動機)で編集の仕事をしたいという発想は、その先につながる何かをイメージする力が弱かったり、その先を志向する意欲が希薄ということであり、表層的な動機にすぎないとも言える。 

 こうした人々が全体の半分を超えるようになったら、その組織は、付加価値を創造できず、価格競争や広告に頼る運営という安易な発想のなかに閉じていくことになるだろう。

 付加価値というのは、口で言うのは簡単だが、その真意を掴んでいる人は少ない。理解しているつもりになっていても、高級とか豪華とかおまけが付いているなど、見た目とか数量化できる類のことだと思っている人も多い。

 本当の付加価値はそういうことではなく、他の人に簡単に真似されたり、簡単に取り替えられない存在になっていくことだろう。変わりは誰でもいるとか、変わりは幾らでもあるという状況のなかに陥ることが、自分にとっても一番不自由なことなのだ。

 本当の意味で、付加価値の創造こそを生き甲斐と感じ、そのために柔軟な発想で様々なことをインプットし、様々な文脈のなかでアウトプットできる人を見つけだして、一緒に仕事ができれば、どんなに困難があっても楽しいものだ。会社の創業期というのは、そうした空気に満ちている。会社が大きくなったり、人に知られるようになればなるほど、「恐竜の頭」志向の人が多く集まるようになるが、そうした状態になった時に、どのような舵取りができるかが大事なことだろう。

 旅行業や出版業という古い体質の業界で、今後どのように新しい付加価値を創造していくことができるのか。おそらく、旅行や出版という分野に閉じた発想では何も始まらず、これまでにない新しい連携の仕方が必要になるのだろう。連携といっても、ライブドアが躍起になってやろうとした「恐竜の頭」部分の合併といったことではなく、「ロングテール」の草の根的な横つながりが、新しい付加価値を生むような予感がある。

 とにもかくにも今は、ウェブの進化によって、遠く離れた場所にいる人たちが、一つのベクトルに添って協働していくことが簡単で低コストにできる時代になっている。

 具体的に何をどうするかということは手探りであるが、私は、「風の旅人」という形あるものを作りながら、同時進行的に、ウェブを通じて何かを始めていきたい。そうした総合的な領域で、「雑誌編集」という仕事上のジャンルに囚われず、自由にモノゴトを発想して実践して世の中を変えていこうとする強い思いを持っている人と一緒に仕事ができないものかと夢想している。


風の旅人 (Vol.19(2006))

風の旅人 (Vol.19(2006))

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