なぜ、「編集便り」を書くのか

 7/9のエントリーに対するM.Fさんのコメントに対する返事が長くなるので、こちらに書きます。

  その前に、私がこの「編集便り」に書いているのは、M.Fさんの指摘するように、何か(たとえば科学)に対する反動からではなく、「風の旅人」の読者に対して、身分証明をするためです。

 私は、「風の旅人」を一人で編集しているわけですから、この雑誌は、私というバイアスがかかったものになります。雑誌に限らず各種のメディアは口を揃えて「客観的中立を保って情報を送り届ける」などと言いますが、情報を選ぶという個人の目がそこに介在しているわけで、客観的中立などあり得ない。そういう考えを持つ私は、情報を束ねて発信する立場の者は、その責任として、それを買ってくださる方に、「私は、これだけ思考や感性に偏向がありますよ、気をつけてください」と示すことが必要だと思っています。

 こうした日記を読んで、「こいつはバカじゃないか、信用できんよ」と思う人は、「風の旅人」に興味も持たないだろうし、買うこともない。興味を持ってくれる人は、買ってくれるかもしれない。それが、情報発信装置を持つというだけで一種の権力を持ってしまうメディアが保つべき公正さだと私は思っています。

 そして、私は、こういう場で議論をすることに興味を持っているわけではないですが、ここが私のテリトリーであるいじょう、私が違和感を感じる意見には、自分の意見を述べる必要がある。他の場所でのことならどうでもいいのですが、自分のテリトリーで黙って見過ごすことは、それを認めたことになるからです。

 だから、科学に関係する人が作っているホームページで議論を仕掛けるなどという越権行為は、いっさい行う気はありません。考え方や、感じ方は、人それぞれですから。

 しかし、私は、伝えるべきものがあるから、「風の旅人」をつくっている。だから、それは伝えなければならないし、伝わる筈だし、伝えるところまでが自分の仕事だと思っています。

 「自分のつくるものが、わかる人にわかればいい」などと、安易に考えていません。

 だから、私のテリトリーで、私に向かって何かを言われた場合、もしそれに同意できなければ、適当にごまかして黙っているわけにはいきません。それは、私の身分証明を偽ることになるからです。 

 正しいか間違っているかが重要なのではなく、「こうしたバイアスのある人間が作っている物なんですよ」と示すことが、メディアの最低限のモラルだと私は思います。

 M.Fさんに指摘されるまでもなく、私が科学について書いていることは、芸術であれ、恋愛であれ、何にでも結びつけられることです。

 何にでも結びつけて話しを曖昧にしようとしているのではなく、何でもそうかもしれないけれど特に「科学」の取り扱いは注意が必要なのではないか、という視点から私は意見を述べているのです。

 M.Fさんがコメントで下記のように書いています。

「◎科学において、法則と図式(あるいは哲学)は分離すべきである。

 ◎科学は、適切に扱われれば対象を傷つけはしません。あるいは、その範囲でのみ用いられるべきでしょう。欠けているものがあるとすれば、倫理基準であり人文哲学と政治なのである。・・・・・・・」

 しかし、この考えは、科学の側にいる人(もしくは、M.Fさん個人)の自己弁護的な言説であり、科学の側にいない人に通用しません。通用させようと思えば、その根拠や、どれくらい適切にやれば対象を傷つけないと言い切れるのかを、科学的に、客観的に証明しなければならないでしょう。M.Fさんの論理には、個人的断定があっても、その普遍的で客観的証明がありません。証明できない以上、「科学において」とか、「科学は」ではなく、「私は・・・こう思う」と、「私」を主語にしなければならないと思います。

 

>>それはまず何が正しい科学理解であるか、という認識に発し、かつ読者を誤った方向に導かないように書かれているべきです。(中略) その線で行けば、かぜたびさんの論は「科学で偉大とされているものを批判することで科学を貶める」という、今までの構図の裏返しをやっているだけですよ。それは十分な根拠のある議論とはいえません。>>

 との指摘ですが、正しい科学理解を伝えることは、私の仕事ではありません。そもそも、私は、科学的な証明を疑っているし、その前提に私の文章が書かれているということは、文脈を通して、読者は察しているでしょう。

 私が何ゆえに、科学的証明を疑っているのかは、「風の旅人」の読者や、日頃、この編集便りを読んでくさだる人は何となく理解してくれていると思いますが、M.Fさんのように外から突然やってこられた方は、これまでの文脈に関係なく反応されるので、もう少し説明をします。

 私が、そもそも疑っているのは、科学が主張する客観性です。

 科学も、人が行うものである以上、客観的であり得ないだろうと思うわけです。

 人は、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚など様々な感覚器官を通して様々な記憶を蓄えており、それらの記憶の組合せは、誰一人、同じものはない。そうした自分の記憶に自覚的であろうがなかろうが、そこから、自分の眼差しや思考は生じている。その眼差しや思考には、必ずバイアスがかかっている。

 科学は、そのバイアスをできるだけ排除して、客観的普遍性を追求する。私は、バイアスというのは、排除できないし、排除しなくてもいいだろうという立場に立っている。

 客観性普遍性というものを信じない者にとって、「正しい科学の理解」があるとすれば、「科学というのは、便宜上の約束事のなかで成り立っていて、その約束事は、ひとまずそれで良しとされている」という程度のものになります。

 それで、私が、敢えてその科学になぜ異を唱えるかというと、「ひとまずそれでよし」というものとして科学が伝えられるのではなく、何か絶対的な権威のように取り扱われることが多いと感じるからです。「科学的」と言えば、それだけで説得力が増してしまう。「たかが科学的」!?くらいの気持で付き合えばいいのに、多くの人は、なんとなく騙されている。

 生きていくうえで大切なことは、「科学的証明」を超えたところにあると私は思っています。

 といって、私は、科学者一般を批判しているわけでもないし、そういうことができるわけもない。

 実際に、「風の旅人」の執筆者に科学者はたくさんいます。

 私は、科学の危うさに自覚的で、それを自覚するだけでなく、自分なりの方法と形で、それを乗りこえようとしている人を信じたいのです。そういう人こそ、生きた科学者だと思っています。

 そして、、今日の科学の説得力が、「客観的普遍性」とか「科学的証明」いう側面にあるのならば、それらを鵜呑みにしてはいけないだろうということも言わなければならないと私は思っています。「科学的証明」や「客観的普遍性」を超えたところにある固有の強さを、「風の旅人」を通して、具体的に表していきたい。

 最後に、M.Fさんが書いている>>何かへの反動だけから生まれるものに積極的な生産的価値を期待することは、往々にして困難です(固有の動機を持つべきだ、と言うことです)。知らないことに関しては、謙虚になるべきでしょう。>>

 という言葉は、私に向けられているもののようでもありますが、M.Fさんの私に対する言説そのものに向けられるべきものでもありますね。

 M.Fさんは、私のブログのなかで「私の言説」に対する反動から文章を書かれています。だから、どういう読み方をしても、M.Fさんの固有の動機が見いだせない。そして、M.Fさん自身が、「知らないことに関して謙虚になれ」と言うのに、たまたま検索で通りがかった相手に、自分の考えを説教している。「知らないことに謙虚であれ」というのは、本に書いている知識だけでなく、他者に対しても向けられるべき言葉です。もし、本の知識と、他者を別だとみなすなら、それは、人間を知識よりも下に置く態度でしょう。

 私は、見ず知らずの人のテリトリーに行って、その人と論戦しようとは思わない。なぜなら、その人の言葉の背後にあるものを知らないからです。「知らないことに謙虚であれ」というのは、そういうことだと思います。

 そして、私は、反動によって、ここに文章を書いているのではありません。

  私がこの「編集便り」に書いているのは、冒頭に述べたように、「風の旅人」の読者に対して、身分証明をするためということと、このような反発を受けることで、自分の思考を確認し、自分の中の記憶圧を高め、それを「風の旅人」に反映させるためです。

 そして、反発を受け、何かしらの議論があっても、正しいか間違っているかという単純な答えに片づけてしまう気持ちはありません。

「議論」は、刺激になるかもしれないけれど、議論にすぎないと私は思います。そこから、どういう行動、どういう形にしていくか。そして、そのエネルギーを、どこから獲得するか。それはやはり、それぞれの人の固有の、未来への展望ではないかと私は思います。

 その人に固有の未来への展望は、簡単に片づけることができない。だから、記憶圧が高まる。これは一種のストレスですが、このストレスにコミットして言うに言われぬものを溜め込むからこそ、テンションが保てる。

 だから、たとえば科学の領域で、「生きた科学」と「科学の死骸」があることを強く認識し、それが一緒に語られることに反発がある人は、議論で終わるのではなく、その言うに言われぬ思いを形にして、「生きた科学」の新しい媒体を作ることも可能でしょう。そうした媒体は、どの情報を選ぶか、とてもシビアになる。だからその責任者は、自分の価値観や考えにおけるバイアスを常に示していくことが求められるでしょう。

 


風の旅人 (Vol.20(2006))

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