江戸絵画と、現代の知性

 東京の国立博物館で開催されている「若冲と江戸絵画」を見てくる。とてもいいものを見た。若い人が大勢来ていて、少し驚いた。

 江戸時代に既に日本人が達していた「豊かな知性」に触れると、「私たちが西洋から輸入して勤しんで作り上げてきた近代とは何だったのだろう」という気持になる。数百年も前に、日本はあれだけの精神文化をつくりあげていたのだから、他の発展の仕方はあり得た。そして、あれらの絵画を見る若い人たちが、「凄いねえ」と声をあげて共感しているのを見ると、今からでもまだ可能性が残されているのではないかとも思った。

 今回、展示されている作品は、動物や植物など生物を通して世界が構築されているものが多かった。といって、もちろん単なる写実ではない。主観的な抽象でもない。絵を描く前提として、(日本にいなかった虎などを別にして)、本物を徹底的に観察する姿勢がある。「生物とはこうゆものである」と頭で最初に決めつけた常識像をなぞることはしていない。描かれるのは、徹底的に、その人自身の固有の感覚を通した「見え方」である。その個人的な感覚に対して、まったく悪びれるところがない。

 具体的なモノを前に、自分の感覚が呼応する。その呼応関係を、丁寧に取り出している。その感覚こそが真理であると自負するかのような力強さがあり、頭でつくりあげる抽象的な真理や先入観など全く付け込む隙がない。そうした若冲らの作風は、「常軌を逸するほど独特な表現」とか「異端、奇想」などと形容されるが、私はまったくそうは感じず、ただそこにはリアリティだけを感じた。

 自分個人の感覚に宿る真理に基づいているから、人に説明できるような普遍的な根拠はない。そもそも、根拠など最初から疑っているような眼差しだ。あるのは、根拠ではなく、自分と対象の関係性、絵のなかの個々の関係性、そして、絵と鑑賞者の関係性、絵とそれが置かれる世界との関係性で、それらの関係性は、常に流動的であることが前提になっている。

 そして、江戸時代の芸術家達は、その流動性をつくりだすものを、主体か客体かという二項対立的に見いだそうとせず、それを包括する大きな世界の存在が意識されている。

 私が今回の展示で驚いたのは、V室の江戸淋派のコーナーで、絵画を照明する光を、日常の光のように刻々と変化させる見せ方だ。日本画を見るうえで、光の働きは重大であるという考えから、同じ条件の光をフラットに当てるのではなく、時間の経過とともに光の強弱が微妙に変わるように設定している。そのような光のなかで見る絵は、光と呼応しながら驚くべき変化を見せる。例えば、樹木と鳥と雪が描かれている場合、雪が煌びやかに降り積もる状態から、鳥が飛翔する気配まで、光との関係で、目がいく部分が変わってくる。それとともに、場面の中の、鳥と樹木、樹木と雪、雪と鳥の関係が変わって見えてくる。絵画のなかのモチーフの関係が変わるとともに、絵画と絵画を見る人間の関係も変わってくる。

 とくに屏風画などは、立体的に折れ曲がっているから、部分ごとに光の当たり方がまるで異なり、その明暗の移動によって、世界が転換していくようにも見える。この見せ方には本当に驚いた。まるで絵に何らかの仕掛けが施されているようにさえ感じられる。しかし、そうではない。絵は、ただそこにあるだけであり、私たちを取り巻く光が、日常世界と同じように刻々と変化しているだけなのだ。江戸時代の絵画は、このようにして見られることが前提だったのかと、私は初めて知った。

 一枚の絵に同一条件の光を当て、この世の真理を見いだすのではない。時間とともに変化していく見え方に、この世の真理が隠されているのだ。描き手は、自分の周りの世界をどこまでも丁寧に観察して、自分の感覚に基づいて正確に描写しながら、ぎりぎりのところで、自分の力の及ばない光の変化に、作品を預けている。自分ができる限りのことを尽くしながら、最後のところで、自分の力の及ばないものが世界の関係性を支配していることを受け入れている。

 その力の及ばないものは観念的な産物ではなく、自分が日常的に生きて感じる、その土地の光である。つまり、土地に根ざした知性というものが見事に表現されている。同時に、画面の中の鳥、樹木、動物、人間など、生きとし生けるものの、それぞれの関係性と、それぞれの存在を超えたものとの関係性が、総合的に考えられている。

 さらに、自分の力の及ばないものの影響化にありながら、絵画の中の生物は、どれもみな、何かしらの含みを感じさせる、ふてぶてしいほどの面構えで、その姿形は、どこまでも凛々しい。

 もともと、日本人は、世界を見渡しながら、丁寧に観察し、自分の力の及ばないところを知り、それに対する畏れや厳粛さを持っていたのだろう。

 その畏れは、誰かにルールとして強要されるものではなく、自分の感覚に生じるものだから、お腹がすいて食事をとりたいと思う感覚と同様に自然なことで、不自由だと意識するものではなかった。畏れや厳粛は、それが必要だからそうするのではなく、生きることと同一の感覚だったのだろう。

 若冲の絵画を見ていると、生物たちの、「細かいことは意に介さない」というあっぱれな表情が、至高の自由のように伝わってくる。

 もちろん、最初からだらしなく大胆なのではなく、細部まで神経が行き届いているという緊張感が画面から伝わってきて、そのうえで、なるべくしてなるという不貞不貞しさが感じられるのだ。そしてそれは、若冲自身が達していた境地でもあるのだろう。

 世界の原理を知りたがり、根拠や論理を追求するのも人間の自由精神かもしれないが、若冲が描く動物のように世界を無根拠に受け入れる境地もまた、自由だろう。

 どちらがいいとか悪いとかではなく、江戸時代の日本人は、既にその両方を知っていたのだ。

 ただ、世界の原理の追求は、世界を分類して実験証明して分析するという方法ではなく、自らの眼差しで世界の細部と全体を観察し、それぞれの関係性を総合的に考察するという方法を行っていた。そのうえで、彼らの絵画は、上に述べた光の変化も含めて世界の原理を見事に表し、それを見る者も、その原理を感じ取れるようになっている。

 つまり、当時の人々は、「世界の原理」を知識的に共有していたのではなく、感覚的に世界観を共有していた。

 感覚的に世界観を共有し、そのなかに絵画作品があり、他の諸々のモノゴトがあった。全ては、呼応関係のなかで、存在していた。そして、それが当たり前の感覚としてあった。

 知識で共有することの方が立派だと考えるのは、感覚よりも知識を信用している人であって、この世には、知識よりも感覚を信用している人もいる。

 近代以降の日本は、どちらかというと、感覚よりも知識を信用することに積極的だったかもしれない。でもそれだけが知性ではなかった。国家が統率する知識教育に基盤を置かない、土地に根ざした感覚重視の知性というものがあり得た。その見事な表現を江戸時代の日本人は実現しており、それは実に頼もしく、誇らしいものであった。

 今日の日本社会をどう評価するかは人それぞれだが、現在開催中の江戸絵画展は、日本人にふさわしい知性の在り方を振り返るために、私にとって、とてもいい機会だった。


風の旅人 (Vol.20(2006))

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