自分という牢獄を抜け出していく力〜大竹伸朗[全景]展〜

 昨日、上野の国立西洋美術館で開催されている「ベルギー王立美術館展」を見た。先週に見た東京都美術館の「エルミタージュ展」よりも、とてもよかった。

 展覧会の企画者の真剣度というか、視点の深さが、国立西洋美術館の方が、断然良い。もしかしたら予算の違いもあるかもしれないが。

 エルミタージュ展で客寄せパンダのように展示されているピカソゴーギャン、モネ、シスレーの一点ずつの作品よりも、いつでも見られる国立西洋美術館の常設展の方がよほど充実している。

 それはさておき、今回のベルギー王立美術館展では、ブリューゲルルーベンス、ヴァン・ダイク、ヨルダーンスをはじめ、16,17世紀のフランドルの絵画作品のレベルの高さが伝わってくる。

 もともと、フランドルは、15世紀の始めにファン・アイク兄弟によって油彩絵画の技法が始めて開発された場所であって、ヨーロッパのなかでは、イタリアと並ぶ芸術先進国だ。

 16,17世紀は、その隣のオランダでも、レンブラントフェルメールが登場するが、オランダとベルギーにおいてこの時期に著しく発達したのは、人間に対する観察力だと思う。

 イタリアルネッサンスは、人間復興と言われるにもかかわらず、そこで制作された芸術は、代表作であるレオナルド・ダヴンチの「最後の晩餐」やミケランジェロの「ピエタ」や「最後の審判」を見てもわかるように、宗教的モチーフを題材にしたものが圧倒的に多い。

 しかし、フランドルは、早い時期から、人間を冷徹に見つめて絵画制作を行っている。そこでは、善良な顔をしていながら、ずる賢く、抜け目がない人間たちが、妙に生き生きと描かれている。

 そして、その人間たちを大きな自然風景のなかに置く視点もまた、フランドルから始まっているように思う。

 自然は、簡単に手なずけられるような存在ではなく、優しい顔を見せながら、その裏に凶暴な顔を隠している。その自然を前に、怖じ気づいて萎縮するのではなく、あっけらかんと生きる人々。この頃の絵画には氷上でスケートをする人たちがよく描写されているが、氷の裂け目で暗示されるように死の淵がすぐ目の前に広がっているのに、人々は、ふてぶてしいまでの表情でスケートを楽しんでいる。  

 人間観察に優れた芸術家は、自分自身のことも深く見つめていただろう。その結果、自分自身の弱さや狡さも知っていただろう。しかし、同じ時代を生きる人間の全てがそうなのではなく、むしろ芸術家は例外で、多くの人は、自分自身を見つめるという習慣もなかったのではないか。芸術家は、自分自身を凝視していたからこそ、それをしない人間達のふるまいを真剣に見つめながら、人間とは何かと真剣に考えていたのではないか。

 16,17世紀のフランドル絵画からは、強いエネルギーが感じられるが、そのエネルギーは、「人間そのものの宿命」を自分ごととして引き寄せようとする力だ。

 それ以前の宗教画の傑作から感じられる強いエネルギーは、信仰の強さがエネルギーになっている。そして、ルネッサンスは、人間復興といいながら、完全に神離れをしているわけではなく、神の懐から一歩踏み出して別個の存在として自立していこうとする人間の意思とか感情の力がエネルギーになっているような気がする。

 16,17世紀のフランドルとオランダで、人間そのものの運命を自分で引き受けていく眼差しが育まれていく。

 しかし、17世紀後半から、ヨーロッパ世界は混乱し、芸術家の多くは、しばらく人間の現実を直視しなくなる。自然と人間の調和など夢想的な絵を描いたり、絶対王政のなかで権威におもねる絵を描いたりするが、それは逃避的なもので、だからこそ、あまり精神のエネルギーを感じない。現在の大エルミタージュ展にきている作品の多くがその類だ。

 そして、18,19,20世紀となるに従い、人間のなかからあまりにも色々なことが噴き出して、自分自身の手に負えなくなっていく。

 そのため、誠実な芸術家ほど苦悩が激しくなる。手に負えない人間の現実の前に引き裂かれたり、塞ぎ込んでしまう芸術が、盛んにつくられるようになる。

 もしくは、その現実を破壊しようとする衝動によって作られる作品もあるが、それは、戦争の気分にもどこかでつながっている。

 いずれにしろ、芸術の在り方が、幸福なものではなかったのだ。

 人間自身の手に負えなくなるほど増殖していく人間の現実の前に、塞ぎ込むのはなく、かといって単純な破壊衝動でもないエネルギーに満ちた活動があるとすれば、それはどんなものか。

 今日、現代美術館で見た大竹伸朗の「全景」展は、その一つの方向性を示しているように感じた。

 この展覧会は、とにかく作品の数が凄まじい。3F〜B1Fまで大竹伸朗の作品で埋め尽くされている。さらに、作風の多様性も凄まじい。これ全てを独りの作家が行ったとは信じがたいほどだ。現代美術作家特集として10人くらいの気鋭の現代美術家の作品を集めたと説明されても納得してしまうだろう。

 一つ一つの作品が大竹伸朗の作品というより、これ全てが「作品」なのだ。一つ一つの作風を真似したところで、大竹伸朗のように美術家として成功を収めることができるはずもないし、現代の人間の状況に立ち向かえる芸術にならない。大竹伸朗を真似をするなら、全てを真似しなければならないだろう。現代美術を志す人は、大竹伸朗の軌跡のなかに渦巻くエネルギーが、自分のなかにもあるかどうか確認することから、まずは始めなければならないだろう。

 才能とは、技術以前の問題として、その溢れんばかりのエネルギーなのだ。

 作風を分析するよりも、そのエネルギーの風を全身に浴びて、自分自身のなかに風を起こすことの方が、作品を作るうえでも、生きていくうえでも、よほど大事かもしれない。

 それにしても、大竹伸朗のこのエネルギーは、いったい何から生じているのだろうか。

 現在発行されている雑誌の彼の特集で、「アートは自由だ!好きなことをやれ。」とキャッチコピーが踊っているが、ただ好きなことをやれば、あれほどの仕事ができるわけではないと思う。

 彼の作品を一つ一つ見ていると、強烈な「内的必然」を感じた。その内的必然というのは、彼が尊敬するという南方熊楠や脱獄王のような内的必然だ。独房に入れられて、逃げたら射殺という状況下で、それでも逃げることを考える脱獄王の想像力。大竹さんは、そこに、人間の想像力と芸術の本質を感じると言う。

 また、南方熊楠(1867〜1941)は、人文科学と自然科学を結ぶ様々な領域における知の巨樹を作り上げた人物で、東西の科学と思想を融合させようとした彼の学問構想の幅の広さ、精緻さ、独創性は、他の追随を許さない。イギリスの有名な科学雑誌である「ネイチャー」に熊楠の論文は50本も掲載され、この数は同誌の寄稿者のなかでも歴代最高らしい。

 私のなかで南方熊楠は、分野は違うが、白川静さんに通じるものを感じる。

 現代の人間が置かれた状況に対して、塞ぎ込まず、腐らず、破壊衝動だけに頼らず、かといって、自分の箱庭に閉じこもって自己満足に浸らずに芸術や学問を行っていこうとする者に、熊楠と脱獄王の気概や意思が必要だということは、私はすごく納得できる。

 世界の現実を充分に知ったうえで、その現実と自分を関係させながら自分の思うようなことを実現していこうとすると、すぐに様々な困難に足をとられて囚われの身になってしまう状況のなかで、敢えて、自分が行うべきことを一心に行い続けていくためには、いったい何が必要なのか。

 「今この瞬間、自分がやるべきことを自分に妥協することなくやる、という当たり前のことを何よりも優先させる、それなくして自分の人生はどこにもない!」という強烈な気概と覚悟と、自分を今のように作り上げてきたものに対する信心が必要であり、それが、その人の内的必然となるのだろう。

 そして信心の対象のなかには、自分を育て上げた日本の風土、歴史、文化のすべてが入る。彼が育った高度経済成長時代の東京も、西欧化の流れのなかで受けた影響も全て入る。当たり前のことだが、全ての人間関係が入る。目にしたこと、聞いたこと、感じたことなど全てが自分に影響を与え、自分をつくりあげている。そして未来もまた、そこからつむぎ出されている。その偶然と必然の融合を受け入れる。それが、ポジティブに自分を信じるということだろう。

 真剣に生きていこうとすると、いろいろと邪魔が入る。言い訳の材料も腐るほどある。世間は常にうるさく騒いでいる。それらに囚われて立ち止まったままになるのではなく、そこから何とか脱出することを考え、行動する。その気持ちの持続が、大竹さんの「好きなことをやれ!」という意味ではないか。

 そのスタンスを徹底すると、どの瞬間も、永遠の現在になる。世界は刻々と変わるが、それに呼応する自分も、瞬間ごとに変わる。その瞬間ごとの自分に妥協することなく自分を発揮し続けると、自分から生じるものも変わる。でも、その変化は、内的必然に伴うものであって、小手先の作為ではない。だから、全ての変化の流れが、自分自身のものだと言える。

 

 他人のことが気になってしかたがない現代人にとって、そのように自分自身を徹底させることは、実はとても難しいことだ。

 現代社会の問題はいろいろ取り上げられているけれど、根本的なところで、自分の牢獄であり敵は、自分自身なのだ。そして、その牢獄であり敵となって追ってくる自分自身を知った上で、そこから抜け出して振り切っていく力こそが必要なのだ。

 現代に必要な芸術の一つは、自分という牢獄を抜け出して敵を振りきっていく力を強く下支えしてくれるものだと思う。


 


風の旅人 (Vol.22(2006))

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