風のまにまに

 わがおもふ 港も近く なりにけり ふくや おひての かぜのまにまに


「災害自から去り福徳集まり誠に平地を行くが如く追手の風に舟の進むが如く目上の人の助をうけて喜事あるべし信心怠りなく心直く行ひ正しくすべきなり」


 今年のおみくじは、大吉だった。おみくじに書かれた運勢の言葉が、正月の自分の心境とぴったりだったので、嬉しかった。

 除夜の鐘を聞きながら、今年は、「かぜのまにまに」で行こうと、ひそかに心に誓っていたのだ。

 手を抜くわけではないが、もう少し心に余裕を持って気楽にやろうと思った。そうでないと、続けることじたいがしんどくなる。本心として自分がいったい何を望んでいるのか、わからなくなる。

 12/30まで仕事をして、今日から仕事を始めているが、特に無理をしているわけではない。あまり休みすぎると神経系の働きを元に戻すのに時間がかかり、適当に仕事をしている方が、心身とも調子がいいから、そうしている。

 基本的に、私も仕事中毒のようなところがある。それは完全に治らないだろうけれど、仕事を心身の負担だと感じないスタンスで、仕事に深くコミットできるのではないかと、今は思っている。

 なぜそう思うようになったのかというと、自分が意識して強く望もうが望むまいが、結果的はあまり変わらないということに少しずつ気付いてきたのだ。

 必死に探し求めても見当たらず、探すことを放棄したら、求めていたものが向こうからやってくることが多々ある。というより、向こうからやってきたものを認識してはじめて、自分が求めていたものがそれだったのだとリアルにわかることが最近多くなった。

 つまり、意識して望んで探し求めている時の自分は、本当は何が欲しいか、よく見えていないのだ。

 自分が本当に望んでいるものは、どうやら無意識の深いところにあるらしい。それは望んでいるというより、何かを念じている状態だ。何かが微妙に振動しているという感じだろうか。それを意識してしまうと、その振動は止まる。そこに血が流れていかないからだ。血は、頭の方にのぼってくる。そうなった状態でいくら頑張っても、何も出てきやしない。

 ずっとそういう状態で仕事をしてきたのではなく、そうしたロスの瞬間が莫大にあり、仕事が実際に結実してきたのは、その熱くなった瞬間以外の、ほんの僅かな時間の中の出来事なのだ。

 ウンウン呻るような熱い莫大な時間があるからこそ、ふと鎮まった時に、アイデアが浮かんだりするのかもしれないが、熱く莫大な時間を、仕事をしているようで実は何もできていない行為以外のことに費やし、そこから同じような効果を引き出せるのではないかと今は自然に思えるようになってきたのだ。

 単純なことだが、たとえば机に向かっている時間を一時間減らし、その分、朝一時間早く起きて、家の周りを散歩したりするということだ。

 12/31からそのようにしていて、三日坊主になるかもしれないとも思っているが、無理矢理自分をそのように仕向けているのではなく、そうすることをとても気持ちよく感じているので、続けることはさほど難しくないように思われる。

 正月からそういう気分だから、今まで身体のことで気になっていたことを気になる状態のままにしたくなくて、今日の朝、病院に行った。私はこの数年間、病院に行ったことがないし、生まれてから入院もない。もちろん身体にメスを入れたこともない。病院に行くことが生理的で嫌でしかたなかった。

 でも、今日行った関東病院は、今まで私が抱いていた病院のイメージとは違った。空気がどんよりしていないし、スタッフが感じいいのだ。外科の担当の女医さんも高感度抜群で、彼女の前で自分がとても素直になるような気がした。

 それで、「今すぐ手術しなくても大丈夫ですけど、まあ早い方がいいでしょう、どうしますか?」と問われ、悩むこともなく、2月に手術をすることにした。まあ大した手術ではないけれど、今までの自分だったら、それでもけっこうネガティブな気持ちになっただろうと思う。

 病気は、一般的に”害”というイメージだが、人間の身体も自然なのだから、「まあしかたがない」という気分と、今までの自分がリセットされる一つのきっかけかもしれないと思ったりする。

 自分の意志で自分を変えていくことはとても難しい。自分を変えたくないと思う人もいるかもしれないけれど、私が思うに、自分のコンテンツみたいなものを何らかの形で入れ替え続けないと、自分の中の何かが澱んで沈滞していくような気がするのだ。私には、そうした強迫観念みたいなものがある。その強迫観念に突き動かされるように、自分の意志で動いて、自分の意志で自分に何かを課して、これまで生きてきたように思う。そうすると、自分が力を注ぐ部分の大半が、自分を入れ替えるという行為そのものになってしまい、中身まであまり届かない。まったく届かないということではないだろうが、ギアをローに入れたままアクセルを踏み込んで走っているようなもので、燃費が悪いし、走りが安定しない。そしてアクセルから足を外した瞬間、ものすごいエンジンブレーキがかかり、つんのめりそうになる。

 自分のなかのコンテンツを入れ替えようとムキになってもダメなのだ。そこに意識を置いてはいけない。別の行為に意識をふり向けて、何かをやっていた方がいい。

 私は、これまで、ローのギアでエンジンが焦げ付かないように、深夜に水泳をしたりしていた。それで何とかリズムをつくっていた。

 それはそれでいいけれど、もう少しうまく車を走らせることができるのではないかと、今は思えるようになった。

 

 私が願う港が近くになっているという実感はまだない。しかし、時々、背に追い手の風を感じることはある。自分のギアがニュートラルの時、その風にうまく乗れるのに、肩に力が入りすぎて一速に入れてしまい、加速するどころか、エンジンブレーキをかけてしまうだけになることも、多分多くあったのではないかと思う。

 意識して、「風のまにまに」というのは無理だけど、気分として、そういう感じでいいんじゃないかという心境で、2007年が始まった。

 年始めにおいては、だいたいいつもこのように澄んだ気持ちになるもので、実際に慌ただしい日々が始まったらどうなってしまうかわからないけれど、それでも、2006年の年始めの宣言に比べたら、今年の滑り出しは随分と円くなっているような気がする。 


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