なぜ「豊か」にならないのか!?

 私は1/17の日記で、「ホワイトカラー・エグゼンプション」について、下記のような記事を書いた。

 http://d.hatena.ne.jp/kazetabi/searchdiary?word=%BB%C4%B6%C8&.submit=%B8%A1%BA%F7&type=detail

 残業代カットの流れに対して、「過労死」云々という扇情的な言い分で猛反発する人は多い。

 しかし、大手企業の労働組合が中心になって勝ち取った残業代は、原則的に25%の割増賃金だ。休日労働の場合は35%、時間外労働+深夜労働の場合は50%もの割り増し賃金になる。

 事実上、残業代をカットされている現状が企業現場にあることも確かだろうが、この割り増し賃金を目当てに残業している人は、膨大にいる。私は、フリーターだった時もあるし、大手広告会社の下請けプロダクションの安月給で働いたこともあるし、大手会社をクライアントにする広告会社にもいたことがあるが、残業代を上乗せしなければ生活が苦しいと言うサラリーマンはたくさんいた。

 とはいえ、そのサラリーマンたちの年収は、大雑把な言い方ではあるが、500万〜1000万ほどある。それに比べて、パートとか契約社員は、100万〜300万円。100万円〜300万円という数字は、しっかりとした労働組合のある大手企業のサラリーマンが、残業の割り増し賃金で獲得してしまう金額なのだ。

 ならば、そのサラリーマン達の残業代を無しにして、その分、パートとか契約社員の待遇を向上させるというのは理に適っている。年収600万円に200万円が加算されるのと、年収200万円に200万円が加算されるのとでは、重みがまるで違ってくる。

 しかし、年収500万円〜1000万円のサラリーマンは、当然ながら彼らなりの言い分で猛反発をする。社員数が減らされて過剰労働で、過労死に至るなどと。そして、実際に、そういうケースが一つでも発生すれば、マスコミもインテリも大騒ぎをする。

 左傾インテリや政党は、どちらもやれと言う。言うことは簡単で、実際にやるためには、社員一人一人がきっちりと利益を生み出せる能力が必要だ。企業に所属していれば利益貢献しているという考えは間違いで、足を引っ張っているだけのこともある。

 それはさておき、一方で、年収100万円〜300万円の人間が生活していて(この所得にいるからといって、全てが親元にいるということではなく、一人暮らしで自立している若者は大勢いる)、

一方で、年収500万円〜1000万円でも生活が楽でないと言って悲鳴をあげる現実がある。企業に仕える年収500万円〜1000万円の人たちが悲鳴を上げ、その人たちを擁護する勢力が強力だから、その層にいる人は、格差社会と言われてもピンとこないだろう。

 そして、実際に、企業に正社員として仕えていても生活は楽では無い。通勤に何時間もかかり、ローンに追われ、子供たちの教育問題に頭を悩まし、自分たちの老後を心配する。この現実が変わらなければ、この層にいる人たちは自分たちの既得権を手放すわけがない。そして、この層が圧倒的多数であるのだから、政府は、この層に媚びた政策をとらざるを得ないだろう。

 私がずっと思い続けていることは、一生懸命に働いても、なぜ生活が楽にならないのか、ということだ。一番大きな理由は、出費が多いことだろう。やむない出費もあるだろうが、そうでない消費も多い。家電量販店に行くと、いつも人で溢れかえっているし、車は道具と割り切るヨーロッパ人と違って、日本人は自らのステイタスの表現とばかりに見栄を張って車を買い換える。それ以外に、塾やお稽古をはじめ、子供の教育に関する出費も膨大だ。そして、こうした「消費」が、経済指数として尊重され、その数字の高さを褒め称える風潮は、テレビや新聞を中心としたマスコミが作りだしている。彼らは、企業からの広告費を収入にしているから、当然、そうなってしまうだろう。

 「少子化問題」にしても、年金生活者を支える若者の数の少なさを心配する者の関心ごとであり、今の日本の現状を見れば、もっと人口が少なくなった方がいいに決まっている。

 フランスは6000万人、ドイツは8200万人、福祉国家スウェーデンは900万人しかいない。それに比べて日本は、狭い国土に1億2700万人もいる。スウェーデンの福祉政策を見習おうと思っても、人口の桁が違いすぎる。また、生涯賃金に対して、一人当たりの土地が少ないゆえに高額な住居費の占める割合が、日本では圧倒的に高くなる。

 働かせて、消費させて、消費経済を活性化させる。生活に必要なものが揃って人々が落ち着いてしまうと、工場が閉鎖され、この国で生きる膨大な人たちの働く場がなくなるから、落ち着く島がないように、煽り続ける。働けど働けど、ゆったりと落ち着いた生活ができないような構造を、戦後の日本社会は作りあげてきた。その構造に、マスコミも知識人も寄生している。新しく創刊される雑誌や、新聞の挟み込み企画などを見ても、年齢別、ファッション・化粧、消費トレンド、新製品、それらを組み合わせたライフスタイルから入る作りで、「広告を取るために、大企業のサラリーマン社員を説得、納得させやすい」ことがコンセプトになっているものが多い。また、専門の細分化で大学教授の数も異常に多いが、子供の人口が減ったり、大学に入ることの馬鹿らしさに気付く若者が増えることで損をするのは彼らだろうから、そうならないような論を展開するしかないだろう。

 こうした構造は根深いから、「反対!!」を叫ぶだけでは、どうにもならない。

 現在は、「労働組合」、「パート、契約社員、アルバイト」、「年金生活者」、「年金生活予備軍」、等々が、実際にはそれぞれ対立する立場でありながら、「弱者の立場」を主張し、「弱者の味方」とばかりに、左傾の政治家や左右を問わないインテリが、その都度、「反対!」を叫ぶ。どれかの「反対運動」が、それ以外の「弱者」を圧迫する構造であることがわかっていない。

 しかし、「反対!」することで手許に残そうとするものは、どの勢力も、戦後民主主義が旗印にしてきた「人間の幸福像」であったり「豊かさ」であったりする。そして、それをいっそう根深いものにする、戦後教育があると思う。

 私は、この価値観が変わらなければ、どうにもならないだろうと思っている。

 しかし、価値観は、大きな声をあげて強要することで変わるものではない。

 理屈や論理に訴えても、価値観は変わらない。価値観は、感性に働きかけて少しずつ変わるものだと思う。感性が揺り動かされ、世間に流通する価値観を疑い、自らの眼差しでモノゴトを見て、感じ、自分にとってどうあることがよいのか考える癖をつけていかなければ、既得権世界に寄生するマスメディアの中心とする勢力の詭弁に、うまく丸め込まれて、けっきょくは、自分が痛い目に合う。

 2006年度大学就職人気企業ランキングは、文系で、一位がJTBで、JALが四位に入っている。そして、大学生に人気のある企業が元気な会社であるかのように、今月の臨時増刊の「週刊文春」は煽っている。

 しかし、JALは350億円もの経常赤字で4000人のリストラ計画のなかにあるし、JTBも、利益率の低さなど経営基盤が弱く、昨年4月、持株会社になり、150の企業群からなるグループ経営になっている。JTBグループに入社しても、JTBの子会社、孫会社で働くわけで、それらの会社は、結果が出ないと給与にも響くし、企業そのものの存続が保証されているわけではない。それをチャンスだと思っているのなら良いのだが、実際は、JALとかJTBのイメージに憧れているだけのことが多い。

 メスメディアのイメージに乗らず、インターネットなどを通じて、その会社の本当のことを調べる手段はいくらでもある。

 インターネットの発達は、いろいろ問題があるにしても、これまでメディアが主導してきた戦後の経済システムを支える価値観を疑い、自分の眼差しを鍛え、裏側から崩していく機会になっているのだと思う。  

 もちろん、インターネットだけで完結するわけではない。実際にモノゴトを見て、実際に人と会って、そうすることで自分の中に変化が起こり、その変化を素直に受け入れる気持ちになることは多い。

 戦後の経済システムに組み込まれた「豊かさ」や「幸福像」は引き剥がして、自分で新たに作りあげていくためには、複数の方法を組み合わせていかなければならないだろう。

 戦わなければならない相手は、あまりにも巨大で強かで根深いものがあり、知らず知らず、自分のなかにも根がはびこっているのだから。 


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