現代社会の「生」の在り方について

 昨日自分で書いた「生物」と「無生物」のことについて考えていると、現代社会の状況が何となく自分で腑に落ちるような気になった。

 現代社会は、物をたくさん作り、消費し、スケジュールを埋めてたくさんの人と会って忙しく時間を消費したり、お稽古事をやったり、様々な活動に手を染めたり、じっとしていない状況が、活き活きした生活だと錯覚されている。

 そして、そのように人や物が動けば動くほどGDPは拡大し、経済成長だとみなされ、それが豊かさだと思い込まされている。

 「こんなに働いて、こんなに物があって、こんなに刺激的な毎日なのに、なんか心の中は寂しい。なんか生きていないような気がする・・・。」というような感覚が心に去来すると、より生きている実感を得ようとして、さらにスケジュールの空白を埋め、人と会い、物を消費し、何らかの活動に参加し、慌ただしい日々を送る。慌ただしさのなかで、寂しく物足りない気持ちを忘れることで、生きている実感を取り戻したような気持ちになるけれど、ふとスケジュールの余白に我に返った時、以前よりも空しい気持ちになったりする。

 政府は経済が右肩上がりに転換したと主張する。でも以前より豊かになった実感はあまりない。右肩上がりが豊かさだと信じていると、政府の統計にごまかしがあるのではないかと疑ったりする。

 活き活きと生きたいとか、豊かに生きたいというのは生物として本能的に持っている感覚で、それを求めてみんな生きているのだけど、実は、生物的に、そのアプローチが間違っているのかもしれない。

 すなわち、動けば動くほど、物を作れば作るほど、という活動は、エントロピーを増大させていくことだ。エントロピーの増大というのは、熱を帯びているように感じるが、それはただ熱が移動していくだけなのだ。そしてその熱は次第に広がり、やがて醒めてしまうことが宿命付けられている。全体が均一化し、濃度の分布が同程度になってしまうと、熱の移動は起こらない。熱の移動は、高い所から低い所に流れていくだけであり、その差異がなくなると、動けなくなる。

 こうしたエントロピー増大のプロセスに自分を投入するというのは、生物的な在り方を目指しているのに、実際には無生物的に存在するということだろう。

 だから他人には活き活きとした暮らしに見える慌ただしい人が、無生物に強く共感することは、よくあるのではないかと思う。多くの現代人が、エントロピーの増大にまかせるままの無生物の在り方に、この世を生きるうえでの諦観のようなものを感じ、惹かれるのではないかと思う。

 無生物的に生きることが良いとか悪いとかではなく、慌ただしく物事を消費する生き方が、生物として活き活きと活動することではなく、実は無生物的なことだという諦観が大事なのではないかと思う。GDPの拡大に、生物としての豊かさを夢見てはいけないのだ。

 GDPを拡大させていくということは、エントロピーの最大化に近づいていくということであり、それは空間全体が均一化していき、やがて熱の移動が無くなるということ。活き活きとした感覚が無くなるのは当たり前のことで、全てが冷えた無生物のように結晶化していくということだろう。

 古代ローマが最も盛んであったのは、暴君ネロが在位した頃だった。ローマ市民達も熱狂的で、闘技場は大にぎわいだった。その時のローマは強かった。巨大な建造物をたくさん作った。そしてローマはエントロピーを増大させていった。ローマが滅んだ(*滅ぶと表現すると、人民も全て死んでしまうというイメージになるが、実際にはそうではなく、文明の枠組みが消えるだけで、人は生き続ける)のは、暴君による悪政でもなく、その後の疲弊でもなく、ずっと先のことだ。

 私が思うに、ローマも、エントロピーが最大化に近づくうちに、冷えていったのだろう。冷えた心情に、負のエントロピーこそが幸福であり豊かさであることを説くキリスト教がぴったりとはまった。物を手放し、ただ慌ただしく享楽的な空しい行為を殺ぎ落とし、新たな秩序(神の意思に叶う王国=宇宙の摂理)を地上に実現するために活動するというのは、エントロピーが増大するままに無生物に成り下がった人間の生を、負のエントロピーによって生物的にするということではないだろうか。

 キリスト教が誕生し、様々な弾圧を経てローマ市民の間にすっかり行き渡るまでに300年経過している。その頃、北方のゲルマン人は、冷えたローマ人の抵抗を受けることもなく、ローマ領土にどんどんと入植していった。476年西ローマ滅亡と歴史は記述するが、ゲルマン人とローマ人がすっかり入れ替わったのではなく、ローマ人の上に、ゲルマン人の王が君臨するようになっただけのことだ。 

 アンコールワットにしても、12世紀末〜13世紀ジャヤヴァルマン七世の絶頂の頃に、巨大遺跡がどんどん作られ、その後の二つ、三つの世代の王の時代も、大乗仏教とヒンドゥ教の宗教闘争があったにしても、物質的には豊かであったことが、13世紀末に訪れた中国人によって記録されている。

 その後しばらく経って、カンボジアの民には小乗仏教が広がる。エントロピーが最大化することで熱移動が無くなって冷えれば、初期キリスト教と同じく、負のエントロピーに従って生きることが来世の良い生まれ変わり(生物秩序のリンク)につながり、それこそが「豊かな生」であると説く小乗仏教が、心にすっと当てはまったのかもしれない。

 そうなると、巨大な寺院建設などしなくなる。アンコール王朝が滅んだといっても、巨大建造物が造られなくなっただけで、人々の営みは続いているのだ。

 現代社会も、冷えてGDPが下がることを恐れ、活性化のために公共投資などを行う。新たな秩序構造をつくることで熱源を確保するのだ。しかし、社会全体に拡散と均一化が進めば進むほど、冷えるサイクルがどんどん早くなる。つまりマンネリ化する。人々はどんどんと無生物的な作業のなかに当てはめられ、無生物的な営みを消化していく。

 機械的(無生物的)な物質の受け渡しに翻弄されていても、それが熱を帯びている間は、

自分が活性化しているように錯覚することができた。例えば、スケジュールをただこなすだけの毎日でも、目新しい物が自分の前を通過する間は、充実感が得られるように。

 でも、やがて自分が熱を帯びているわけではないことに気付く。

 その状態をごまかして、エントロピーが最大化していない局面(まだ熱が残っている場所)を探して自己投入して、擬似的な活性化を得ようとする人もいるだろうし、自らの無生物的な在り方を、生物的な在り方に切り替えようとする人もいるだろう。その一つの方法は、人が作った物をただ受け渡しするのではなく、自らが作るということだ。自らが作ることで、世の中のエントロピー増大に多少の関わりを持つことになる(機械的大量生産に比べて規模が計り知れないほど小さい)が、自らと外界との間に熱の落差(葛藤など)があるため、自らの内から熱は常に外に向かって流れ、自らは均一化に陥ることはなくなる。都会から田舎に行って暮らしはじめて、大変なことはいろいろあるけれど、活き活きとした生活を取り戻すという実例も多いと思う。

 わざわざ田舎に行かずに都会にいても、機械的な作業をやりっ放しにするのではなく、一つ一つの物理的行為を秩序的に束ね直して、生物のように柔軟でダイナミックな働きを持つ有機的システムに切り替えるために、智慧を絞ることもできるのだろう。

 現代社会は、そうした生物的な秩序を自らの手でつくりだそうとする在り方と、人がつくった秩序のなかの一構成要素としての無生物的在り方が、細胞膜のようなものを通して隣り合う界面状態なのではないだろうか。

 自分で物を作っても、社会の中の流通秩序を無視することはできない。だから、巧みな物質交換によって、細胞膜を自由に通り抜ける方法を持つことも必要だ。その方法も含めて生物的であるということであり、膜のどちらか一方に閉じこもることは、たとえ生物的在り方を目指す領域にいても、狭い膜のなかで自らがつくり出すエントロピーがすぐに最大化してしまい、熱移動のないマンネリ状態に陥り、その中は死んでしまうのだろう。

世の中に問題があるからといって、単純に世を捨てるだけでは、本当の意味で生物的に生きることができないということだ。

 また、世俗を離れ、「無為自然」を説く場合でも、それを説くということじたいが、「有為」なのだ。