国の財政と、メディアの伝え方

 国の財政が厳しく、社会保障や公共サービスが難しくなるので消費税引き上げの議論があるとテレビが伝える。

 また、今朝の新聞では、社会保障費を2200億円圧縮するために、診療報酬の引き上げを願う日本医師会と、国庫補助を減らして健康保険組合に肩代わりをさせようとする厚生労働省と、それに反対する経済界が三つどもえで論争をしていて、それに対して、「痛みの押し付け合い」などと、傍観者的なタイトルが大きく踊っている。

 日本医師会は、近年、医療報酬の相次ぐ引き下げによって地域医療の疲弊を招いたと危機感を訴えているし、経済界は、健康保険への加入者三千万人が1人当たり年間1万2千円強の負担増を強いられることに反発しているわけで、「大きな団体」が痛みを押し付け合って争っているのではなく、すべて、一人一人に関わってくる問題なのだ。

 そうした時、マスコミは、国家予算をわかりやすく示す円グラフを出す。

http://www.mof.go.jp/jouhou/syuzei/siryou/002.htm

 一般会計の歳出、歳入を見ると、予算のほぼ5分の1の21兆円が社会保障にあてられ、ほぼ同額が国の借金返済のため(利息分約10兆円弱含む)に必要で、公共事業は、かなり少ない印象を与える7兆円、防衛費はさらに少なく4.8兆円(*ちなみに、4.8兆の防衛費は、アメリカ、ロシアに次いで世界三位だ。)

 こうした数字だけを見せると、公共事業や防衛費を削っても国の借金返済には遠く及ばず、手をつけるところは社会保障しかなく、それをしたくなければ増税をするしかない、というイメージを与えることになる。

 とはいえ、歳入に関して言うと、所得税法人税がそれぞれ16兆円ほどで、消費税は、10.6兆円であり、借金である国債が、相変わらず25.4兆円もある。つまり消費税が倍になったところで、毎年の借金金額に追いつかないのだ。

 しかし実際には、私たちの生活は、こうした国家予算だけで成り立っているのではない。

学校や日頃の公共サービスの多くは、住民税その他で成り立つ80兆を超える地方財政によってまかなわれている。その80兆超のなかの15兆円ほどが、国家予算である一般歳出から流れている。その金額で、地方の公務員の給与も支払われている。

 こうした予算にくわえて、私たちの見えにくいところに、特別会計というものがある。この金額は、国家の一般歳出と地方の予算をはるかに超えている。

 特別会計は国が保険など特定の事業を行う場合、例外的に一般会計と区別しており、現在、その数は厚生保険、国民年金、道路整備など31に上る。本年度の予算総額は、複雑な重複分を除くと約225兆円だそうだが、この数字もはっきりしないらしい。いずれにしろ、例外の予算と言いながら、国会で審議されて決定される一般歳出の3倍ほどにもなるのだ。にもかかわらず、私たちは、「国の予算」を伝えられる時、この特別会計を抜きにして伝えられることが多い。

 特別会計は、国会とは別に、所管の各省庁がそれぞれお金を集めて、それぞれが管理している。

 たとえば自動車関連の諸税を財源とする道路整備特別会計国土交通省が仕切り、公的年金についても、厚生年金特別会計 国民年金特別会計厚生労働省が仕切り、国民の保険料などを財源に全国に保養所を造ったりしていた。

 そうした資金が、天下り役人の給与になったり、競争のない落札などで受注する企業と役人の癒着構造の元になったり、たとえば道路族などの政治資金になっていく。

 この特別会計の、予算計上の仕方は、さっぱり不明だ。

 年によっては、剰余金が計43兆4000億円も発生しており、そのうちの2兆4000億円もの金額を、所管する省庁は、「使途未定」としているという。

 例えば国土交通省は、ガソリン税自動車重量税をはじめとする、いわゆる道路特定財源については、道路整備のために課税される税目として位置付けて徴収しているが、国、地方あわせて5兆円以上の税収がある。その使用のされ方を国土交通省が牛耳って、今ひとつよくわからない。

 国会で審議されることのない財源で、国民の目にされされない税収入と支出の「予算」が莫大にあることじたいが、一番の問題なのだ。

 この部分にどうメスを入れるかという話しを抜きに、社会保障をどうするか、消費税をどうするか、という話しはできない筈なのだが、なかなかそのあたりのところが、メディアからは伝わってこない。

 「改革に伴う痛み」とか、「道路族の抵抗」とか、「国家財政の破綻」などといった言葉ばかりが踊り、全体の構造がうまく伝えられていない。

 消費税のこと、また今朝の社会保障費2200億円圧縮の記事などをメディアが伝える際には、「財政危機だから・・」とか「痛みの押し付け合い」、「厚労省、健保に狙い」といった、単純化した日和見的なキャッチで煽るのではなく、その背後にあるものを丁寧に伝えることを心がけていかないと、国民一人一人は、わけがわからないまま気分で物事を判断するしかないということになるし、そうなれば(すでにそうなっているが)、官僚とか政治家は、国民の気分をどうコントロールして自分達に都合良くするか、ということしか考えなくなるのだろう。