これまで横山大観にさほど興味がなかったが、昨日展覧会に行って、いろいろ文章を書いていると、宣伝されているような「巨人伝説」などのキャッチコピーや、画壇の大御所などという捉え方とは関係ないところで興味が出てきた。
この人は、近代という時代を生きた日本人インテリの典型だったのではないかという気がしてきたのだ。
今回の展覧会の最後を飾るのが、戦後に描かれた「或る日の太平洋」だ。
→ http://www.asahi.com/taikan/exhibition/9.html
この作品は、晩年の傑作と言われているが、この絵こそ、大観という人そのものを表しているという気がする。
激しく押し寄せる波は、”西洋”であり、 背後の富士は、”東洋”ではないか。その狭間にいる龍は、(辰年生まれの)大観だろう。この龍は、昨日のエントリーでも書いたが、迫力がなく、なんとなく、おどおどしている(と私には見える)。
有識者が評するような”力強さ”を私は感じることはできない。
西と東の狭間で、何とかして自らのアイデンティティを確立しようと藻掻き続けたけれど、そのように獲得したアイデンティティというのは、けっきょく、「世間受け」という程度のことでしかなく、それ以上のところには手が届かない。
「世間受け」を狙うというのは、大衆に媚びるということもあるだろうが、それ以上に「権威」に気に入られるようにふるまうということだ。
「富士の名画というものは昔からあまりない。それは形ばかり写すからだ。富士の形だけなら子供でも描ける.富士を描くということは、富士にうつる自分の心を描くことだ。心とは、ひっきょう人格にほかならない。それはまた気品であり、気迫である。富士を描くということは、つまり己れを描くことである」
(横山大観 談 「私の富士山」昭和29年5月)
大観にとっての気品とか気迫は、例えば、富士山の絵を、皇室やアドルフ・ヒトラーに献上するということともつながっていたのだろう。権威にすり寄るというのは、”気品”というより、”虚栄”という気がしないでもないが、本人は、大きな威光の傍にいることを”気品”と信じていたのだろう。だから、自分の人格を疑うこともなかったのだろう。
大観の絵は模倣しやすく、贋作がたくさんあるということだが、模倣しやすさや親しみやすさもまた人気の一つというのが、人気歌手の振りつけや、流行小説と構図が似ている。
大観の絵は、ある意味で、西洋的自我の輸入によって自己への執着や虚栄を急速に増殖させた近代の空気を象徴するものだと思うが、そうした絵が、「巨人伝説」という大仕掛けのキャッチコピーで持ち上げられ、権威化し、暇つぶしの娯楽もしくは教養人を装うための素材として、「きれいねえ」とか、「画壇の大御所としての力強さと斬新さがある」という言葉で消費されるのもまた、この時代の構造なのだろう。
自分の目で物事を見ているようで実際は、派手な宣伝や大がかりな演出や有識者のもっともらしい言葉などで作られた観念によって物事を見させられて、「わかったつもり」になることは、富国強兵のために「標準化された教養」に従うことを求める「近代」の根本的な構造の反映でもあるのだから・・・。
そういう意味で、横山大観という”戦争責任者”の大規模な展覧会を朝日新聞が主催することは、ともに、「あまりにも近代的な存在であること」で、何の不思議もないのかもしれない。
そして、近代の戦争は、”悪人”がやるのではなく、自分の目で物事を見ずに、派手な宣伝や大がかりな演出や有識者のもっともらしい言葉などで作られた観念によって頭のなかに増殖する”敵”と戦うことが”正義”であり、それを遂行することが人としての気品であり人格であるという近代的な啓蒙の力によって集団的に行われてきたことも忘れてはならないだろう。