横山大観と田中一村

 横山大観と少し時代はずれるが、同じように、明治から昭和にかけて絵を描き続けた田中一村という画家がいる。http://www.ne.jp/asahi/yoshida/gaia/tanaka/frm.htm

 田中一村は、若い頃から天才と言われ、横山大観が第一期生として入学した東京美術学校に入学したが、強すぎる個性のためか、学校の方針と合わなかったのか、生活苦で授業料を払えなかったためかわからないが、たった三ヶ月で退学し、世間の目とは関係ないところで独自の画風を極めていった。

 奄美のオンボロ小屋で人知られず死んでしまったこの画家の作品を一度見れば、その圧倒的な迫力と美しさの前に心をうち砕かれる人は多いだろう。実際に、根強いファンも多い。しかし、残念なことに、これまで田中一村の展覧会は、大丸とか高島屋とか百貨店ばかりだ。国立新美術館などで大々的にやれば、大きな反響を呼ぶことは間違いないと思うのだが、なぜだかそうはならない。

 私の場合、「風の旅人」の誌面で一村を紹介しようとしたが、遺族の方に断られてしまった。

 絵の命は、雑誌では伝わらないということなのか、別の理由なのかは定かではない。

 いずれにしろ、実際に横山大観の絵 http://www.asahi.com/taikan/exhibition/ の横に、田中一村の絵を持ってくれば、そこに脈打つものの違いははっきりとわかると思う。

 もしかしたら、大きな美術館の展覧会は、美術界などにおいて権威的な立場にいる人がお墨付きを与え、仕切っているのだろうか。田中一村は、権威が認めがたい存在であり、権威に嫌われているのかもしれない。

 田中一村は、若い頃の苦闘の日々を、次のように友人に打ち明けている。

「私は23歳のとき自分の将来行くべき画道をはっきり自覚し、その本道と信じる絵を描いて支持する皆様に見せましたところ、一人の賛成者もなくその当時の支持者と絶縁し、アルバイトによって家族病人を養うことになりました。その時の作品の一つが今、川村宅にあり、水辺にめだかと枯蓮と蕗の薹の図です。今はこの絵をほめる人も大部ありますが、その時折角心に芽ばえた真実の絵の芽を涙をのんで自らふみにじりました。その後真実の芽はついに出ず、それがやっと最近6ヶ月の苦闘によって再び芽吹き、昨年の秋頃から私の軌道もはっきりして来ました。(中島義貞氏宛。昭和三四年三月四日)

 一村の絵は、ぱっと見の派手やかな大観などの絵と比べると、色使いなども比較的おとなしい。それでもなお、大観の絵よりも鮮烈な印象を与える。絵のなかに多彩な時間が流れており、それぞれが響き合って、絵全体が活き活きとしている。絵が一つの生命体のように蠢いている。一村は、ただ自分の眼で見たままに、リアルに描こうとしているだけであって、大観のように自分の人格を富士に重ね合わせるなどという対象に対する傲慢さはない。一村にとって大事なものは、自分ではなく、その対象であり、絵そのものなのだ。だから一村の絵からは、大観の絵から色濃く漂ってくる自我とか自己顕示が、微塵も感じられない。大観のように「思想」を、絵でなぞるのではなく、対象に向かう姿勢そのものが、何のけれん味もない思想そのものとなっている。

 そして、小さな自己自身のなかで上辺の「気品」とか「品格」を整えるではなく、田中一村は、絵そのものの「気品」を激越に求めている。そして、その「気品」は、自分の眼で見る対象の、頭では計り知れない”深さ”が、絵の中に再現されてこそ生じるものであり、一村は、求道者のようにその瞬間のためだけに描き続けているという感じなのだ。

 そうしたスタンスから生じた絵画は、東洋とか西洋という観念を超越している。そこにあるのは、”命”であり、その”命”の気迫と気品が、近代的自我さえも無化している。

 明治以降、西洋文化流入に伴う激しい荒波にもまれる日本で、アイデンティティを必死に守ろうと足掻いた横山大観にとって、そのアイデンティティは、知らず知らず西洋文化によって植え付けられてしまった「近代的自我」にとってのアイデンティティにすぎなかった。最近の日本でも流行の「●●の品格」とか「●●の気品」などというものも、大観と同じく、自我を満足させる程度のものにすぎない。

 田中一村は、東洋とか西洋という分別を超えて、自らとともに森羅万象を貫く命そのものの奔流を絵のなかに実現することだけに取り憑かれていた。それは芸術家にとって宿業であり、個性とか才能とか、ちっぽけな自我で計れるようなことではない。芸術家にとって、それが真実であり、その真実以外のことにかまけている場合ではないし、それ以外のところに思想など無いという境地だろう。

 近代は、自我の膨張と屈折によって、まことに”ややこしい時代”となっており、そのややこしさを、屁理屈であれこれ扱ったところで、そのややこしさは、さらにややこしくなるだけであり、そのややこしさの増幅が、眼の前にある事物を見えないようにしてしまう。結果として、「横山大観〜新たなる伝説〜」みたいな、くだらないキャッチコピーが氾濫するばかりなのだ。

 近代というややこしい時代、そして、押し寄せる西欧化の荒波に対して、日本の象徴としての「富士」に威厳をもたせて、その威厳で「自我」を飾ることを「品格」と称するような「道徳教育」なぞを防波堤にすることよりも、田中一村が、困難な時代と生活環境のなかで貫き通した生のスタンスの方がよほど貴重だろう。そのスタンスとは、今自分の眼の前にあるもの対して、自分の眼で真摯に向き合うことだと思う。

 私たちは、事物を見ているようで実際は見ていない。事物をわかっているようで実際はわかっていない。誰かに観念づけられたものをなぞるように見たり、わかったつもりになっているにすぎない。

 どんな権威にも頼らず、ひたすら自分の眼で、眼の前にあるもの全体に対して目配りをして、どこかで手を抜こうと計算したり、どこかに力点を置こうなどと観念で操作をせず、根気よく丁寧に相対し続けること。自然界の諸々のものは、そうした積み重ねを当たり前のこととして繰り返している。しかし、分別をもった人間が様々な誘惑や騒音に惑わされずにそれを行い続けることは、桁外れに難しい。

 だからこそ、それを徹底しきった人間に惹かれる。おそらく、真実の芸術家というものは、宿業としてそうした生き様に徹しきってしまう人間のことだろう。そうした魂を持ってしまっていることは、栄光ではなく悲惨な人生につながる可能性が高い。しかし、そうした魂を持つ純粋な芸術家によって、自分にはとても真似できないけれど、優れた人間性への信頼を回復することが可能になる。

 芸術の美は、そのような形での人間性への信頼を回復させる力を持つ。”綺麗”とか、”格好いい”こともけっこうだが、ともすればそうした感覚は、”虚栄”とか”自己顕示欲”と兄弟関係にあって、そうしたものの増殖によって現代社会は飽和状態だし、それらと付き合い続けることに疲れ果てている人も多いだろう。そのように既に自分の中や周辺にこびりつくように存在するものをさらに生産することを、今さら”表現”に求めたところで一体何になろうか。

 そうではなく、そうした泥沼状態から一瞬でも鮮烈に解き放ってくれる力こそが、かけがえなく、本物の芸術にこそ、それがあると思う。

 明治から昭和にかけての困難な時代に、田中一村は、その悲惨な人生と孤独の見返りに、それを成し遂げた。そして、横山大観は、日本美術界の大御所という権威的な肩書きを得たが、彼が権力におもねて生きた太平洋戦争時も、「●●の品格」がブームになる現在においても、芸術ではなく政治的な札として存在しているようにしか見えない。

 そして、なぜか現在、「大観」を大々的に持ち上げる朝日新聞もまた、右とか左というのは実のところ関係なく、大きく無難な流れに乗ることにおいて、昔も今も、あまり変わらないのだろう。