大胆な嘘・・・は、ともかく

 今日、大手写真メーカーの人と会う機会があり、挨拶をすると、その人は「風の旅人は好きな雑誌で、初代の編集長のことをよく知っているよ」と言う。私は「初代って?」だったのが、どうやらMという人が、自分が「風の旅人」の創刊時の編集長だったと吹聴しているみたいで、それを信じている人がけっこういるみたいなのだ。

 4年ほど前、河合雅雄さんのパーティで知り合った他の出版社の人も同じようなことを言っていた。Mという人は写真学校の先生をしているが、そこの生徒も、学校でそのように聞いたと言っていた。Mは、あちらこちらでそういう話しをしているらしい。

 しかも手の込んだ話しになっていて、佐伯は旅行会社の人間で出版業のことはわからないけど、会社の専務なので肩書きだけ編集長ということにして、実質は、自分が編集長として創刊したとMが言っているらしい。

 こういう嘘を大真面目に話す人は今時いないから、みんな、なんとなく信じてしまうみたいだ。

 このMという人は、写真編集コーディネーターというふれこみで、創刊準備の頃、週に1,2度、編集部に写真家を連れてきた。最初会った時、水越武さんの「穂高」をはじめ、様々な写真家の写真集などをディレクションしたと具体的に写真集を見せて話していた。それらの写真集にMの名前が見あたらないので、それを問うと、自分はフリーだから名前は載せず、出版社の人の顔を立てていると言う。すぐにバレるような嘘を言う人はいないから、私もその話を信じてしまった。でも、2ヶ月後くらいに水越さんの家に行った時に確認したら、水越さんは、「穂高は自分にとって一番大事な写真集で、自分が苦労してつくったのに、Mが作ったという言い方はひどい」と憤慨していた。他の写真家にMのことをいろいろ聞くと、どうやらそうしたホラが多いということだった。

 嘘がバレるまでの間、何人も写真家を連れてきて、ほとんどが写真学校の教え子とかで実際の掲載に至らない人が大半だったが、高野潤さんなど誌面で紹介した写真家もいた。高野さんなどは、野町和嘉さんの家で写真家のことをいろいろ聞いている時に話しにも出ていたからMさんの紹介でなくてもよかったのだが、どうやらMが、陰で、自分が声をかける写真家に、決定権は自分にあるから任せておけというようなことを言っていたらしい。そういうこともすぐにバレるのだが、バレるまでは、とりあえず、嘘が通用した。とにかく嘘が多かったので、創刊号が出た頃、編集部への出入りはお断りしたのだが、私の知らないところで、編集長として佐伯に教えるべきことを全て教えたので、後は佐伯に任せて、自分は「風の旅人」から身を引いたということになっているらしい(笑)。なんともすごいストーリーだ。。

 Mは、いぜんアサヒカメラにいたということで写真雑誌の編集もできると言い、写真の取り扱いに関して色々口だしをしていたが、私が「風の旅人」でやりたいことと異なるので、その意見は反映させなかった。

 私は、創刊準備の段階から、写真のことについては野町和嘉さんに相談し、執筆者に関しては自分の敬愛する人だけにお願いするという方法で、写真の選択および、編集は自分一人で行っていた。キャッチコピーとか、執筆者の紹介文なども全部自分で書いた。私以外のスタッフは、旅行業の方から3人ほど出版の素人を連れてきて、書店営業をはじめルート開発に携わった。

 私が出版業の経験がないゆえに、出版社がやっていないタイプの雑誌になっていったのだと思う。

 そのようにして6年目に入る。創刊当時のことは、もう随分昔のことのようで、今も色々大変なことがあるが、あの当時の大変さに比べれば、まるで大したことがないような気もしてくる。なにせ、創刊前は、書籍流通会社が相手にしてくれず、直販で置いてもらえるよう、一つ一つ書店と交渉する毎日だったから。

 編集に関する苦労は、実は人が思うほどのものではなく、販売および運営に関する苦労の方が、圧倒的に大きい。

 物を作るというのは、自分のなかに作りたいものがあるから作っているわけで、耐え難いほど苦労があるのなら、最初からやらない。自分の中に、漠然としていながらも形にしたい何かがあるのだから、それをより明瞭にするためにアンテナを張って、動けばいいだけのことだ。はっきり言って、編集は、そんなに難しい仕事だとは思わない。作家や写真家の創造行為に比べれば、天と地ほどの差がある。しかし、販売は、大変難しい。編集は自分の努力が形になりやすいが、販売は、いくら自分が努力しても、報いがある保証はない。自分の頑張りも大事なのだが、最後のところで相手次第なのだ。そういう厳しい条件のなかで、できる人間とそうでない人間の差がつく。販売が得意な人は、バランス力や、総合力に優れているのだと思う。

 私は、「編集長」というより、「風の旅人」という一つのシステム(場)の運営者であり、それらを運営するスタンスと同じヴィジョンに添って、編集を行っているにすぎない。私にとって、運営と編集は切り離すことができない。

 「風の旅人」は、編集内容を充実させることよりも、この特殊で一般受けしない内容で運営が可能な状態を整えることが本当に難しいなあと思う。