高熱が出て、意識が転位した。

 先週末の深夜、突然、理由もなく高熱が出た。最初、ぶるると肌寒くて体温計で計ったら、37,5度くらいで、1時間前はまったく何ともなかったのに不思議だなあと思って布団に入ったら、熱がどんどんあがって38.3度くらいになり、頭くらくら状態に陥って、寝付けなくなってしまった。一晩中悶えていて、翌朝立てなくなり家で寝ていたら、さらにあがって、その日の夕方は39.3度。食欲もなく、ずっと布団に入り続けて、さすがに24時間寝続けていたら、腰は痛くなるし、寝返りを打ちながらも知らないうちに寝込み、長い時間が経ったような気がして時計を見ても45分しか経っていないという状態を繰り返しながら、二日目の夜を過ごした。
 三日目の朝、体調は前日よりかなりよくなった感じがしたが、それでも熱は38.3度あった。しかし、39度超の世界から降りてきた38.3度は、最初の38度より、かなり楽な気がした。
 あまりにもたくさん寝過ぎていて、このまま寝続けた方がおかしくなりそうなので、ちょっとふらふらしながら散歩に出た。散歩くらいできるだろうという感覚があり、目黒川まで長い距離を歩いて帰ってきた。ちょっときつかったけれど、体温は上がることも下がることもなかった。帰ってきてからシャワーを浴び、布団に入って横になる方が背中が痛いし辛いので、ソファーに座って、ずっと本を読んでいた。休憩をはさみながらではあるが8時間も本が読めるので熱が下がっているかなあと思って計っても、やはり38.3度あった。
 その日は熱はあったけれど食欲が出て、昼も夜も食事をとった。その日寝るときも体温は変わらなかったけれど、一晩寝れば、翌朝よくなる予感があり、昼間動いたりしたこともあって前日と違って熟睡でき、朝目覚めたら、やっと36.3度くらいまで下がっていた。
 39度を超えたのは、記憶するかぎり、20年以上なかった。また、インフルエンザなど理由がはっきりしない熱は、記憶にない。なんとも不思議な高温状態だった。
  実は、その一週間前、清里で写真家の井津建郎さんとのトークショーがあり、滞在中、体調がすこぶるよくなったので、驚いていた。トークショーの前日までは体調が悪く、定期刊行物という終わりのない仕事の心労なのか、急に涼しくなって夏の疲れが出たのか、異常に雨が多い不順な天気が続いてリズムがおかしくなったのか、それとも、そういう年齢になったのか、いろいろ悶々としていたのだが、清里で井津さん達と夜遅くまで飲み明かし、3時間くらいしか寝なかったのに体調がすごく良く、周りの人に、その秘密をいろいろ聞いたりしていた。標高がちょうど千メートルで人間の身体に最適であるとか、八ヶ岳の”気”だとか・・・。2泊した「ミュー」というペンションhttp://www.b-marks.net/meow/が、とても快適で気持ちよく、その位置が、八ヶ岳と富士山のライン状で、天気がよければどちらも見ることができるという稀有な所で、やぱり身体に良い”気”の流れがあるだろうと思ったのだった。近くに、宗教関係の諸々も散在しているので。
 それで、清里から東京に戻ってきても一週間ほど体調は良かった。なのに、突然、高熱が出たのだ。
 そして、熱以外、病の症状はどこにも現れず、熱が下がると、身体も気持ちも、きれいさっぱりという感じになった。
 これはいったい何なのだろう。
 そして、熱が下がり、すっきりとした気分になった時、視界が晴れ渡るように頭に思い浮かぶことをノートに書き留めた。
 それは、構想中の第36号(2/1発行)のテーマみたいなことだ。熱が出る前は、けっこう長い間、頭のなかで悶々として形にならなかったけれど、熱病の後のほんの一瞬で、何をどうしたいのか整ったという感じになった。
 「風の旅人」の表紙が、大竹伸朗さんから望月通陽さんに変わってから、時と命(4/1)、時と廻(6/1)、刻と哀(8/1)ときて、10/1に発売される34号では、「時と揺」。現在、デザイン作業中の35号(12/1発行)では、「時と相」というテーマで編んでいる。
 その次の36号(2/1)で、時シリーズのちょうど6回目で、創刊からまる6年を終え、これを機に7年目に入ることになっている。
 7年目は、あらためて「旅」をやろうと考えていた。といって、一般的な「旅」ではなく、どちらかというと「心の旅」といった方が相応しい。どういうことをやるかは、だいたいイメージができている。
 問題は、その前の、「時」の最後にあたる第36号だった。
 この節目の号は、「時と転」というテーマにすることが、それまでの流れから決まっていたが、いったいどのようにすればいいか、熱が出るまで、よくわからなかった、
 でも、私自身が高熱状態になったことそのものが、まさに「転」を体感することだった。