無心の遊び

 最近、縄文風土器づくりに没頭している。6月14日に八ヶ岳山麓の尖石縄文遺跡で、生まれて初めて土器作りの簡単な手ほどきを受け、それ以来一ヶ月ほど休日で5つも作った。作るたびに土器が大きくなっている。
 縄文風土器作り用の粘土として野焼き用の粘土をインターネットで30kgほど買った。一つの土器で、だいたい3kg〜5kgの粘土を使う。現在は、ゆっくりと自然乾燥させており、もうしばらく経った後、河川敷か海岸で焚き火を起こして、縄文人のように野焼きをするつもりだ。
 粘土をこねながら土器をつくっている時は、まったく無心で、何時間も没頭している。10時頃から作り始めて、あっという間に夕方になってしまうこともあれば、夜9時頃から早朝の4時頃になってしまうこともある。粘土は乾いてしまうと作業できなくなるので、一日で一挙に完成させなければならない。
 縄文人の世界観は現代人の私にとって彼岸なので、彼らと同じことはできない。あくまでも”縄文風”というにすぎない。
 ただ、縄文土器の文様などは、とても心に響くところがあり、自然とそれに似た風になっていく。デザインをどうしようかなどと頭で考えてしまうと、おかしくなってしまう。あくまでも手の動きに委ねて作るだけで、作業中は、一種瞑想的な変成意識状態に入っているのではないかと思う。
 この感覚は、私の場合、「風の旅人」の編集で、写真を選び、組む時の感覚に似ている。
 編集のために写真家のところに行く時は、いつも独りで写真と向き合う時間を3時間ほどいただく。隣に写真家がいて、あれこれ説明されたりすると気が散ってしまうので、別の部屋にいってもらい、まずは独りで写真と睨めっこしながら手を動かして組んで行き、その後で写真家を呼んで見てもらう。これまで、そういう方法で組んだ写真で、写真家から不満を言われたり、修正を要求されたことはない。左脳とか右脳という言い方がよくされるが、おそらく写真を組む時、私は完全に右脳モードだと思う。頭のなかに言語的理性がまったく入り込んでこない。どちらかというと身体のリズムのようなもので作業を行う。心に負荷がかかっており、その途中は疲れをまったく感じないが、終わった後、ヘトヘトになる。そして、作業中は、時間の感覚はまったくない。
 土器を作る時の感覚は、これに似ている。実用性はまったく関係なく、身体が欲するリズムと形を求めて、目と手を動かし神経を集中するのだ。
 私は、中学校2年生まで、兵庫県明石市藤江の海水浴場から50メートルほどの所に住んでいた。
 夏は、毎日のように海で泳いでいたが、それ以外の季節は、海のなかに身体半分浸かり、長い竹の棒の先に針金で鈎をつくって海中に漂うワカメを探し、狙いすまして引っ掛けたり、波打ち際で、砂の砦を作って遊んだりしていた。
 砂の砦を築く場所は、波から近過ぎるとすぐに崩壊するし、遠過ぎてもスリルがない。微妙な距離の所を選んで、時々襲ってくる大きな波に抵抗するために、砦の前に溝を掘ったり、水が側面に逃げるように水路を作ったり、いろいろ工夫をしながら、砦を高く積み上げていく。それでも、時々強烈な一波がやってきて、全てを砂に還してしまう。そしてまた新しく築く。飽きもせずに。
 ワカメの方も、バケツ一杯になったところで家に持ち帰り、物干で乾燥させ、近所に配っていた。
 ワカメを獲ることより、バケツ一杯の濡れたワカメは手がちぎれそうになるほど重く、それを家まで持ち帰ることが苦痛だった。けれども、どこか誇らしい気持ちもあって、飽きもせずに、それを繰り返していた。
 当時は、中学校受験なんて、どこか異国の出来事で、左脳よりも、右脳を活性化させることに夢中になっていたような気がする。
 波打ち際の砦作りも、ワカメ獲りも、縄文風土器作りも、そして写真を編集する時も、頭の中の状態はよく似ているように思う。
 なんというか、対象を目で愛で、手で慈しむような幸福な時間だ。
 左脳を機能させなければ、社会で生きて行くことは難しい。しかし、左脳というのは、あまり幸福とつながっていないような気がしてならない。
 左脳は、幸福や喜びに至る道をつくるうえで有効な機能なのだろうけれど、喜びそのものを感じ取るのは、別の領域であり、その領域が活性化していなければ、喜びに対する渇きから、左脳の計り事をいつまでも駆使し続けることになってしまう。
 そこそこのことで充分な喜びが得られれば、それが、自分にとっても、環境全体にとっても、よいことなのに、今の自分も含めて、なかなか簡単にはそうはならない。