抽象性と普遍性

 コウ様 勇気づけられるコメント、有難うございます。ココロザシとかスタンスという立派なものではありません。現在、何でもありの様相を呈している世の中で、自分自身が何のために手を動かしたりアタマを使ったりするのか、と考える時、”何でもあり”にバタバタと追随するくらいなら、手も動かさず、アタマも使わず、ぼっ〜と海や山を眺めていたり、森の中を歩いていたり、時々美味しいものを食べて、好きな本を読んでいた方がマシというか、気持がいいじゃないか、という気がするわけです。もちろん食うために稼がなければならないですが、ドロドロした消費欲求や見栄がなければ、仕事の為に魂を売るようなことを、わざわざする必要はないのではないか思うわけです。手を動かし、アタマを使うならば、”何でもあり”は厭。それだけです。
 コウさんのホームページも拝見しました。
 「抽象性と普遍性について」。あまり意識したことはないですが、もしかしたら私が作ってきた「風の旅人」も、そういうポイントを目指しているのかもしれないと思いました。
 ただ、このことに対する糸井重里さんの言葉は、いただけないですね。
「つくったときから、長期保存を計算して、腐らないように普遍的に歌われるようにと作詞された歌も、これまたおもしろいんです。」
 これは彼独特の言い回しなのかもしれませんが、なんか、広告屋の発想が抜けきれないのかなあと思います。
 抽象性と普遍性を結びつける考え方って、長期保存を計算するとか、それを意図するとか、といった処世的な企みではないのでは。
 私の場合、創刊から続いている大テーマが、「FIND THE ROOT」。つまり”根元を求めよ”ということで、これはかなり抽象的なテーマです。
 しかし、その抽象的普遍へのアプローチの真髄は、現実世界の具体性の積み重ねを通して、”普遍”の階段を上っていくところにあります。その象徴的な人物が、私が尊敬し、創刊時から執筆をお願いしてきた故白川静さんです。白川さんの仕事は、まさにそういうスタンスの頂きにあるものです。
 私は、写真家でも執筆者でも、安易にアバウトな抽象性で意味深さを”狙っている”人は大嫌いで、ディティールの積み重ねの重要性を知りつくしている方々にしか掲載を依頼してきませんでした。
 抽象性というのは、計算して狙ったものは、薄っぺらいだけです。
 具体的なディティールの積み重ねの果てに、具体的ディティールにまとわりついてくる「限定された感覚」を無意味化するくらいの抽象でなければならないと私は思います。
 喩えで説明するならば、一人一人が深い井戸を掘っていく時、それは具体的な行為です。そのプロセスの間は、それぞれの穴のなかしか見えません。
 しかし、掘り進むことで地下水脈にぶちあたる。地下の深いところで、全ての井戸をつないでいる水の流れに辿り着く。その水に触れた時、他の井戸を具体的に見なくても、他の井戸の気配や、つながり等、いろいろな関係性が手にとるようにわかる。つまり、井戸を黙々と掘っている時に比べて、視界が変わる。他が具体的に見えていなくても、”わかる”。抽象性というのは、そういうものでなければならないと、私は思っています。
 これは、計算してできることではなく、まずは黙々と井戸を掘っていくしかない。その先に地下水脈がある保証はない。保証があるから掘るのではなく、とにかく掘るしか他に術がないので掘る、というスタンスの延長線上にしか、地下水脈との出会いはありません。
 糸井さんの言う「計算した抽象性」というのは、なんというか、「おいしい生活」のような、ニュアンスで伝える時代感覚、みたいなもので、それは時代の”におい”。限定された時代の中で人々の食欲を刺激し、消化されるもの。広告のキャッチコピーとしての価値はあるでしょうが、長期保存は、あり得ないと私は思います。100年後の人間が見ても、心は動かされないと思います。
 時代を超えた抽象性というのは、100年後の人が見ても、「おいしい生活」という言葉ができたのはどんな時代だろうと時代背景を分析したり考察したり意味を考えたりする必要はなく、その言葉じたいに触れるだけで、何かしらグッと心が動かされるものだと思います。
 意味とか理由とかとセットになって初めて受け入れられるものは、その時代の価値観に照らし合わせて存在価値があるという限定付きのもの。 
 それじたいに触れるだけで、何だかわけがわからないけれど、グッとくるもの。「何だかわけがわからないもの」が抽象芸術であるかのように思われていますが、そうではなく、「何だかわけがわからないけれど、グッとくる」ものが、抽象芸術ではないでしょうか。
 私たちの今日的な意識では計れない永遠性を秘めた芸術というのは、おしなべて、そのように”何だかわけがわからないけれど”見る者の意識に強く働きかけてくる性質を持つ抽象性の産物だと思います。