不思議な子供心




Img_0029

              佐伯研志郎作

 

 昨日、突然知らせがあったのだけど、小学校三年生の息子の絵が、世界児童絵画展で、各学校の先生が選んで応募された作品10万点からの選考されて、文部科学大臣賞をとったそうな。 

 内閣総理大臣賞1名、文部科学大臣賞5名らしい。日本だけでなく、世界各地で展示会やるようだ。

 文部科学大臣賞なんて賞だから、きっと、絵がうまいとか、そういうことではなく、現代の地球環境とか、人間社会に対する、ある種のメッセージ、という趣旨じゃないかな。

 子供はそんなこと何も考えずに、描いているだけなんだけど。

 

 この絵を見た時、「雨の中」というのが、不思議な設定だなあと思った。

「なぜ雨なの?」と聞いても、「別に・・」としか言わない。

 

 だいぶ前、遊園地に行った時、けっこう夜遅くまで遊んだ帰り際に、噴水があったのだけど、敢えてその近くまで行った子供達が、頭から水を浴びて、キャッキャと、はじけるように飛び回っていた。その時の子供達のハイテンションの顔の記憶が、ずっと頭から離れない。

 私は、その姿をぼんやり眺めながら、何かを感じていたのだけど、いったい何を感じていたのか。

 雨に打たれたり、強い風に吹き飛ばされそうになったり、雷がなったりする時、私達は、なぜか身体の芯が、脈打つような感覚になる。

 あの感覚って、なんなんだろう。

 人間の生活に都合の良い天気と、そうでない天気があるのだけど、都合の悪い天気であっても、人間は、それを身体の芯で、悦びに変えているようなところがある。

 生命現象というのは、基本的に、良し悪しではなく、環境との反応の繰り返しなのだから、どういうことが起ころうと、身体には何かしら電流みたいなものがピリピリと流れるのではないか。

 大人になると、そういう感覚を違和感のように思う。自分の理性が何かを計画し、それを着実にやろうと計っている時に、そういうことが起こると、邪魔者が現れたような感覚になる。

 でも、子供は自然だから、そういう電流の身体反応を、素直に快感として受け止められるのだろうな。

 私の子供が描いた絵は、「家族の和」の象徴みたいな雰囲気があるから選考委員の目にとまったのかもしれないが、子供は、そういう大人の規範で物事を考えているのではなく、雨それじたいに、何かしらの悦びを感じているのだと思う。

 あめあめふれふれ、・・・うれしいな、ピッチピッチ
チャップチャップランランラン♪

*左端が私、白い服を来た小さい子が息子。ふだんは、二人ともメガネをしていないのに(私は時々、老眼鏡)、なぜか、この絵ではメガネをしている。