空即是色〜The Nature Of Nature〜

 まもなく書店に、「風の旅人」第43号が並び始めます。第41号で「The World Itself」、第42号で「生命の全体像」という大きなテーマで編集し、この後にやるべきことで何が残っているのだろうという放心と、昨年の末頃から今年は大きな変化の年になる予感があり、年末年始、高野山にこもりました。
 何十年ぶりかという大雪でしたが、毎朝、暗いうちから、熱にうかされたように奥の院空海廟まで30分かけて足を運び、1200年間途切れたことがないという空海への給仕に参加し、降り積もる雪の気配のなか勤行を聞き続けました。下山してから京都では郊外の神護寺を訪れ、ここもまた雪の気配が残る静閑な場所でしたが、空海に縁のある数日間の旅で、空即是色という言葉が自然と自分のなかに舞い降りてきたのです。
 思えば、昨年の11月に高千穂の夜神楽に行き、10月に白山に登り、8月に西表島に行き、7月には早池峰の神楽に行って山に登り、4月には諏訪の御柱に参加し、また宗像大島に行き、1月の初詣は戸隠でしたから、何かに導かれるように、中央構造線など古代から地下活動が盛んな大断層地帯で聖地になっている場所を訪れていたのでした。
 そして、高野山で得たインスピレーションのまま企画を考え、空即是色〜The Nature of Nature〜というテーマで準備を始めたところ、イスラム世界で次々と民主化運動が起こりました。さらに追い打ちをかけるように、3月11日、東日本大震災が起こりました。
 テレビ映像を通じて巨大津波に飲み込まれる町の様子が次々と送り届けられ、莫大な死者数や行方不明者数が発表されました。さらに追い打ちをかけるように福島原発放射能の恐怖、不安、計画停電、物不足と、これまでの平穏な日常から一転して世界の終末のような不穏な空気が漂いました。
  テレビ、新聞、インターネットなどの情報で脳が支配され、気持ちがふさぎこんでいく状態に耐えきれなくなった私は、お付き合いのある介護会社の導きで、3月27日から宮城県の被災地を訪れました。自分の目で見た被災地の状況と、テレビなどを通じて知らされた状況のあいだには、やはり違いがありました。もちろん被害は甚大でしたが、どんな局面でも、陰が生じれば必ず陽も生じるという摂理が、テレビ映像では感じ取りにくいのです。
 テレビは“事件”を追います。衝撃的な“事件”であればあるほど紹介する価値があるというスタンスで、ニュースが作られています。しかし、人間の生の舞台の大半は、衝撃的な事件で構成されているのではなく、もっとささやかで、いじらしく、何気ないけれども大事なことで詰まっています。
  それらが基礎になっているからこそ、どんなに衝撃的なことが起ころうとも、それによって心が完全に支配されてしまわずに人間は生きていけるのだろうと思います。日本のように震災の多い島国ならば、なおさらのことです。震災後まもなくの被災地で、一階が津波で破壊された家の二階で家族が身を寄せ合って暮らし、近くの川で洗濯をした衣服が二階のベランダに翻っている光景が、当たり前のように存在していました。
  東京にいると、観念の中の世界が全てであるかのように錯覚し身動き取れなくなってしまいます。戦後社会を覆い尽くした「豊かさ」や「成長」のイメージもまた一種の観念でしょう。このたびの大震災は、そうした観念の変容のきっかけとなる可能性があると思います。
  そもそも、日本と欧米では天災など自然環境がまったく違いますが、日本人は、それを無視して欧米型の価値観に追従してきました。これからは、自分の足元をしっかりと見ながら、自分たちに適した人生観や世界観を改めて自分たちの手で作り上げていく時代になっていく。そうしたことを心から願い、今月号の「風の旅人」を作り込んできたのです。

 結果的に、震災後の多くの雑誌が震災の事件性に焦点を当てたものになっているのに対して、「風の旅人」は、そうではなく、日本人の自然との向き合い方の根底に宿る気持ち、「メメント・モリ」すなわち自然の一部であるかぎりは必ず訪れる死を想うことと、「レクイエム」すなわち死という定めを引き受けたうえで、いかにして魂を鎮めていくか、という内容になりました。
 副題のThe Nature Of Nature〜、すなわち「自然の本質」には、色即是空 空即是色であることと、人間としての自然性は、どんなに回り道をしようが、最終的に、メメント・モリと、レクイエムに回帰するのではないかという思いがこめられています。

 ニュースとしての震災ではなく、震災の犠牲となった多くの人を悼むとともに、生き残った人たちが未来に対する希望を持って生きていけることを祈る形が、風の旅人の今回の形に、たまたまなっていった。作ろうとして作ったのではなく、自然とそうなっていった。

 自然にそうなる。そういう感覚が、とくに最近強くなっています。

 そして、風の旅人の第43号の編集を終えた後、再び、この先にやるべきことがあるのかという放心状態になりました。

 しかし、この春は、これまで見た事のない数とスケールの桜を見て、富士山を何度も仰ぎ、樹海に潜り、平泉の中尊寺に足を運び、震災後二ヶ月経った被災地を再び訪れたのですが、そこから一滴の言葉が滲み出てきました。

「人間が 人間を 理解する ために 日本人が 日本人を 理解する ために」

 先の戦争中に木村伊兵衛をはじめ多くの写真家が「国民団結、戦争推進」の写真を撮り続けたのに背を向け、深い祈りと必死の思いをこめて「裏日本」の写真を撮り続けた濱谷浩さんの言葉です。

 次の44号は、この言葉を基底にして、積み上がっていくと思います。