電子書籍がもたらす変化!?

 発売されたばかりの電子書籍端末を買って試してみた。最近、裸眼だと小さな字が読みづらいので、字の大きさを変えられる電子書籍端末は非常に便利だ。画面もソフトで、あまり目が疲れない。しかも端末がとても軽くて、複数の本を入れて持ち運びできる。新書とか文庫本は、紙よりも電子書籍端末の方がいいと思う。しかも、青空文庫プロジェクト・グーテンベルク等の本を無料でダウンロードできる。英文でも、ワンタッチで辞書に飛んで意味を調べられるので、片手で全て処理できてしまう。

 私は、自分用と中学二年生の息子の誕生プレゼントとして買った。読書感想文用の夏休みの推薦図書は、もはや書店で文庫本を買う必要はないのではないか。

 電子書籍の文章の読みやすさに関しては、電子メールが登場した時に長文のメールが読みづらくて、いかに簡潔に短くメールを書くかといった啓蒙が行われたが、今ではどんな長文のメールでも苦にならないように慣れてしまえば何の問題もなくなるだろう。
 ただし、一つはっきりと言えることは、新書や文庫本と違って、風の旅人のようなグラビア重視の本は、電子書籍ではなく紙で表現してこそ、その魅力は伝えられるのだとあらためて確信した。今後の本の在り方は、紙か電子かという二者択一ではなく、電子書籍向きのものもあれば、紙向きのものもある。それだけのことだ。
 しかしながら、現在、日本の書店の棚の大半を占めているのは、新書やハウツーやビジネス書や漫画など、どこでも気楽に読める電子書籍向きのものが多い。とすれば、紙の本は今後も残るにしても、書店や日版やトーハン等の書籍流通会社が電子書籍によって大打撃を受けることは間違いない。
 日本の大手出版社は、電子出版社協会を作って、価格などを管理して紙の本との共存をはかりながら共同戦線で自分たちの主導権を守ろうとしている。http://t.co/qtQKhxpP
 既存の書店や書籍流通の代わりに新たに電子の流通を管理しようとしているだけのことであり、その発想は、リアル書店からデジタル出版になったところで同じままだ。大手出版社は、本が紙から電子書籍に変わっても、価格や流通や作家の管理を自分達が行えば、自分達の身は守れるという考えなのかもしれない。
 しかし、電子書籍による変化の本質は、紙か電子かという次元のことではなく、他の産業もそうであったように、”中抜き”なのだと思う。
 アマゾンなどインターネット書店が登場することで、書店や流通会社が中抜きされた。そして今後、電子書籍で中抜きされるのは、書店や流通会社以外に、既存の出版社であり、そのことが社会に流布する情報の状況を変える可能性もある。
 出版社というのは、いったいどういう存在なのかというと、印刷会社や大手出版社が作った書籍流通会社と一体化して、本を出すことを決定する機関だった。本を出したければ出版社に頼らなければならなかった。そして出版社は、各種の賞などを設定し、自分達が出版したい原稿をおびき寄せ、その作者を、自分達の媒体で露出させることで権威付けや売名を行った。昨日まで家で小説を書いていただけの人が、出版社の設定した賞を受賞し、出版社がインタビューしたり写真を撮ったりして、なんだかスターのように演出され、本の売り上げが企まれた。実際にその人の本を読んだ人は、ほとんどいないのに、新進作家として雑誌等で紹介される。そうした一連の出来事は出版界の自作自演であり、その乱発によって、今では誰がどういう賞をとってどういう本を出しているのかさっぱりわからないし、人々に記憶されるものもほとんどない。誰にも影響を与えることなく、新たなムーブメントの起点となることもなく、次から次へと消費されていくばかりだ。
 アマゾンが、今年の暮れまでに日本における電子書籍事業に参入と日経新聞が大きく報道していた。http://t.co/MnN3aq5G 
 書籍化の今後の展開は、日本の大手出版社の思惑と掛け離れたところにあると私は思う。 アメリカでアマゾンの電子書籍が急速に広がり、今年度、アマゾンでは電子書籍の販売が紙の出版物を上回るようになったのは、本を作りたい人が、出版社を通さずにアマゾンのシステムで電子書籍を作って発表して売れるようにしたからだ。http://t.co/gwzUSe7v
 そしてアマゾンには、新人発掘部門があり、それ以外にビジネスや小説など様々な専門部隊があり、出版社部門が育っている。
 プロが書くものとして値段をつけて世の中に送り出していくのなら、それに応じた様々な責任がある。作家個人だけでその責任を担うことは難しく、だからこそ編集者が存在していた。しかし、優れた編集者は、既存の出版社に縛られる理由はどこにもない。これまでは、編集者としての力量があろうがなかろうが大手出版社に所属しているというだけで作家との間に入って仕事をできた人がいたが、今後は、能力のある人が、アマゾンなどに引き抜かれていく可能性があると思う。引き抜かれるまでもなく、出版社が規模縮小し、リストラ等も行われるから、必然的に人材が流動化する。
 ただ、これまで大手出版社の看板で仕事をしていた人たちは、これからはそうはいかない。その人の実力が全てだ。
 また、アマゾンの電子書籍仕組みでは、これまで出版社が行ってきた類の“宣伝”は必要ない。これはと思う書物をサイトの目立つところに持ってくるとか、推奨メールで伝えていけばいいのだ。それを買うか買わないかは、レビューの内容等で判断されていくことになるのだろう。評価者の数ではなく、どういう視点で評価されているかという内実が、判断基準になっていくだろう。
 最近の電子書籍関連のニュースで興味深いのは、アマゾンの件以外に、フェイスブック電子書籍関連の会社を買収したこと。http://t.co/ahpaY0T4 
 フェイスブック電子書籍関連の会社を買収したのは、電子書籍事業を始める為ではなく、フェイスブックのユーザーの利便性の向上の為ということだから、フェイスブックのユーザーが、フェイスブックの中で簡単に電子書籍を作って売買もできるようになるということだろうか。また、フェイスブックの自分のページに自分の好きな本を集めて、こだわり書店だってできるのではないか。
 日本にも電子書籍を作ったり販売できるサイトが幾つかある。http://t.co/M2eKNSXM  これらは現在、小さな存在だが、いつかヤフーとか楽天とかが買収すると、一挙に楽天トラベルとかヤフーのオークションのように、世の中にとって当たり前の存在になってしまう可能性がある。
 つまり電子書籍化によって変わるのは、誰が本を発行する権限を持つか、そして「作家」であることを決めるのは誰か、ということだ。これまでは明らかに出版社が本の発行の権限を持ち、本の内容の価値を判断し、作家を認定する役割を果たしてきた。これからは、それらのことが電子書籍会社にとって代わられるわけではない。楽天トラベルで宿を予約する時に、特定の機関のお墨付きや、宣伝などをあまり判断材料にしなくなったのと同じで、レビューその他の情報を自分で集めて、読者が自分で判断しなければならなくなっていくのだろうと思う。
 ウィキペディアでもリナックスでもそうだったが、既成のシステムのなかで価値判断を行う権限を持っている人達は、そうした新しいシステムに対して、信頼性が今一つとか、レベルが下がる等と言うが、現在、巷に流布しているテレビ、新聞、雑誌、書物などの情報を眺め渡しても、その多くが、もはや真剣に向き合うにふさわしい情報媒体だと思えない。
 さらに出版社が持ち上げている学者や作家よりも優れた書き手や物事に精通している人が世間には隠れていることを私は知っている。風の旅人でも、原稿や写真をお願いしてきた。巷では、出版社が抱え込んでいる作家や評論家を、電子書籍会社に奪われるのかどうかといった議論がなされているが、現在の作家や評論家は、未来においては、無数に存在する書き手の氷山の一角でしかないだろう。
 また、現代社会のなかの書き手だけでなく、時代を超えて読み継がれている本物の作品が電子書籍のなかでは無料で読める。出版社が新刊を売りさばくために強調してきた「新しさ」とか「時代性」の空疎さが、それらの書物の普遍性の前に、明らかになることだろう。
 電子書籍とオンデマンド出版で、もはや、本は出そうと思えば誰でも出せる。出版社が偉かったのは、書籍流通や印刷会社を支配していて、全国の書店の棚に並べる力があったからだ。つまり、書店に並ぶことがデビューであり、それだけで他人から凄いと言われ、優越感が得られた。こうした書籍流通が絶対的な存在ではなく、電子書籍出版とかオンデマンド出版とかと並べられて相対化される。実際にアメリカでは電子書籍から生まれたベストセラー作家が誕生している。
 これまでも、「作家」とか「物書き」とか「文筆業」とか、名刺に刷り込んだ人とたくさん会ってきたが、これからさらに増えて、増えすぎてどうでもよくなってしまうことだろう。
 物事は足らない時は崇められるが、増えすぎると相対的に薄められ、どうでもよくなってしまう。そして、どうでもよいことが増えると、どうでもよくないものが浮かびあがる。自分に肉薄してくるものは、この世にそんなに存在しない。もしそういう出会いがあるのなら、それは逃してはいけない。電子書籍というのは、出版社の都合に応じた宣伝に惑わされることなく、どうでもよくないものと出会う為の回路が、出版社がコントロールするかつての出版流通システムよりも、広く開かれているのではないかと思う。
  新刊本が優先的に並ぶ町の本屋よりも、悪書良書も含めて、新旧問わず膨大な書物が存在する古書街の方が、思わぬ出会いが期待できるように。