宮城県牡鹿半島で感じた、新しい気配

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 (写真/宮城県女川町)
 宮城県石巻市から、牡鹿半島、女川一帯をめぐって戻って来た。
 瓦礫は撤去され、広大な真空地帯が、あちらこちらにできている。
 石巻市は範囲が広く、地域によって状況はまるで異なる。津波が直撃した海岸部は、造成地のように空っぽになっている。町の中は、一階部分が損傷した家々がひしめいている。その中間は、瓦礫が取り除かれた更地の広がりの中に、運良く津波の被害が少なかった家が点在しているが、住民は仮設住宅に移っているために廃墟となっており、よけいに寂寥感が感じられる。
 私を案内してくれた人は、仮設住宅に住みながら、毎日、介護の仕事に精を出しているのだが、建設業者が手一杯のために壊れたまま放置されている自分の家を見たくないので、あまり近寄りたくないと言っていた。仮設住宅の不便さはあるものの、とにかくそこで生活の基礎を整え、毎日、仕事に励むことで、前向きな気持を維持している。
 昨年の3月11日以来、私は今回で6回目の訪問だが、”気配”が明らかに変わってきている。
 少しずつではあるが、”未来”に眼差しを向けて、さてどうするかと考え、話し合い、準備を進めている人も増えている。
 以前の暮らしにも色々と問題があった。しかし、ある程度、安定してはいたので、思い切って変えようとは思わなかったし、できなかった。仮に自分が変えようと思っても、仲間や関係者たちと足並がそろわなかった。しかし、ゼロベースになった今だからこそ始められることがあるのだと、牡鹿半島の先っぽにある小さな漁村で出逢った人は言っていた。
 そうした動きに対して、既得権を持っている人たちが”抜け駆けは許さない”と牽制し、時には妨害することもあると聞き、どの分野においても、変化の時には、そうした攻防があるのだと改めて実感した。
 たとえば漁連などは、個々の漁師を統制し、時には支援するなどして、関係者全体の安定した状態を作り出すために生まれたシステムだ。決して、悪の権化ではない。しかし、そうしたシステムに大勢が従うことがあたり前になると、システムの中に権力者が生まれ、権力をめぐる戦いも起こる。
 権力を持った者は、全体の統制が守られてこその権力だから、それに反した動きは認めたくない。震災前の比較的安定した状態の時は、システムに所属している大勢の者が敢て村八分になることをしたくないので、システムを崩すことは困難だ。しかし、あれだけ大きな震災が起きてしまうと、システムに歪みができる。権力者は、もとの状態に戻るまで待つように言うが、そんな呑気なことは言ってられないと思う人達が、システムに頼らず、自分の頭と身体を使って動き始める。いったん始まった新たな動きは、どんどんと広がり、もはや後戻りはできない。旧権力者が悪あがきをすればするほど、その醜態があからさまになり、人心は離れ、求心力もなくなり、以前のような統制がきかなくなるのは自然のことだ。そのようにして、気配が変わってくる。
 未来は、新しい技術や新しいアイデアからではなく、新しい気配の延長線上にあると思う。
 人がどこを見ているかによって、その人の眼差しは変わり、眼差しが変われば、気配が変わる。
 技術やアイデアは、人の眼差しや、その眼差しがつくる気配に付随するものだ。
 
 このたび、震災後10ヶ月以上が経った宮城県牡鹿半島の小さな漁村で、未来の感性につながってくるであろう話を聞くことができた。
 津波によって、大きな船を失った人、小さな船を失った人、網を失った人、それ以外の道具を失った人など、失った物は人によって様々で、残っている物も様々だ。小さな漁村で、一人ひとりが残っているものを持ち寄って、一歩を踏み出そうという気運があった。一人ひとりでは不完全だけど、お互いに無いものを補完し合うことで、事を起こすことができるのだと。
 20世紀という時代を振り返ると、一人ひとりが狭い枠組みのなかで完全状態を作らなければならないという脅迫観念に囚われていたように思う。自立とか個人主義という旗印のもと、核家族化が進むにつれ、冷蔵庫や洗濯機など様々な家電を、一家に一つ、そして一部屋に一つ持つことがあたり前になり、その流れのうえに消費経済の伸長があった。主に家電業界が大スポンサーだった大衆メディアは、そういうライフスタイルをもてはやし、その流れに乗らないと恥ずかしいという風潮をつくりだした。それは一種の洗脳であったと言ってもいいだろう。
 しかし、現在、若い世代を中心にシェアという価値観が広がりつつある。物を所有することを目的化して自分の世界に閉じこもるのではなく、物をシェアしながら人と交流し、触発され、人生に奥行きと幅を持つことを理想とする人たちが増えているのだ。
 これまでは、何もかも自分で、という強迫観念によって、早々と挫折し、けっきょく何もできないということがあった。
 その結果、他の誰かに依存しなければならないという状況もあった。
 もはや、自分で何もかもできなくてもいいし、何もかも持つ必要もなく、誰か他の人と補完し合えばいい。しかし、自分に欠けているものを誰かに補ってもらうかわりに、自分も何か別のことで誰かを補完できなければならない。そういう具体的な努力をしていかなければ、誰からも相手にされない。
 他の誰かを補完できる力。その力は、能力や運の差ではなく、心構えの差で決まってくる。
 自分を見つめ直すとすれば、自分に能力や運があるかどうかではなく、そうした心構えがあるかどうかだろう。
 補完し合う関係は、人間が相手とは限らない。自然や物が対象の場合も同じだ。日本の伝統的な智恵であり文化でもある”手入れ”という発想は、木々などの自然物や道具などの人工物と、人間が、互いに備わっているものを補完し合うという発想が根底にあると思う。

 今、私の頭のなかにある新しいWEB構想もまた、”補完し合う”という発想を大事にしたい。
 コンテンツにおいても、制作においても、コニュニケーションにおいても。
 そのコンテンツも、写真が中心ではあるが、写真だけのつもりはない。
 風の旅人が、写真を軸に、言葉と補完し合う関係で誌面をつくりあげたように、写真と、他の何かが補完し合うようにして一つの世界を作り上げたいと考えている。
 その軸が、「学び」と「根元」。それは、風の旅人が、創刊の時から掲げていた「FIND THE ROOT」と同じ意味を持つ。
 自分一人では不完全であると自覚しながら、それでも自分の中に備えているものを、自然や人とシェアしていく時、世界や人間は、自分を揺さぶったり、根元を掘り起こす存在として、自分に関係してくる。その感覚は、新鮮さと懐かしさが入り混じったものだ。
 古くもあり新しくもある未来。それは、自分から遠く離れたところからやってくるのではなく、常に自分の記憶の中に潜んでいて、表出の機会を求めている。