フェニキア文字革命と、源氏物語 〜「あちら」と「こちら」の境

 建国記念日が、土曜日ということもあって祝日という意識すら持たずに過ぎてしまったが、日本の歴史については、大した知識はなくても、自分の根元に関わることだからいつも気にしてはいる。
 過去のイメージや解釈は現代の思考や価値観を通して作られている。歴史研究においても、学問の為の学問にしたくないという意識が強すぎて、強引に現代社会とつなげて語ろうとする学者もいて、歴史が見直されるたびに、むしろ歴史が歪められているような気がする。
 小学館創立85年記念で発行された「日本の歴史」シリーズの、例えば中世を語る部分も、現在の物質文明や環境破壊、戦乱などと、過去における類似をピックアップして解析している部分が多々あり、現代の思考特性や価値観を最初からなぞっていくスタンスが強く出すぎていて、その時点で、読む気が失せてしまう。
 「こちら側」から「あちら側」を見るのではなく、「あちら側」に入り込んで、「あちら側」の眼差しで、「あちら」と「こちら」を同時に見る眼差し。どんなに歴史的資料を自分のまわりに集めようとも、自分のポジションをこちらに置くか、あちらに置くかによって、見えてくる光景は、根本的に違ってくるだろう。
 そんななかで、網野善彦さんの歴史の捉え方は、たとえ今日の歴史学者のなかで正当と認められない部分が多くあるにしても、そんなことはお構いなしに、「こちら側」の思考の狭い枠組みを超えたところに導いてくれるので、心惹かれるものがある。
 網野さんの著作「日本の歴史をよみなおす(全)」(筑摩書房)などは、私が、風の旅人を通じて顕現化したかった、「あちら側の視点」を歴史的、学問的に伝えてくれていて、とても響き合うものがある。
 神人、寄人、供御人、非人、百姓、水呑百姓などの捉え方を転換させるところはもとより、日本を農民の国としてとらえるのではなく、様々な職能集団とダイナミックな交易国家として中世を捉え直す視点。
 交易や歌垣のような男女の交わりが行われた中洲や河原など、表と裏の世界の境界、俗界を超えた聖なる世界、神仏とかかわる世界は、こちら側の価値観だけに軸足を置いて捉えようとすると、大きく違ってしまう。また、離れ島、半島の先端、山間の村など、耕作地が少ない所を貧しい場所だと決め付けるのは、公的権力が表向きに重視した農業ばかりを中心にした視点であり、農業以外の、鉱物や塩や魚介類や織物など各種の産業のことや、それらの物資を扱う交易を視点のなかに入れていくと、まったく違ったものになっていくということ。
 歴史にかぎらず、現代社会においても、いったいどこに視点を置くかによって、貧しさや豊かさの概念も違ってしまう。大衆マスメディアが一方的に伝える情報や分析ばかりに頼っていると、大きな間違いをおかしてしまう。
 近年、大卒者の商社人気がまた高まっているらしい。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120201-00000003-jct-bus_all (この調査は、調査する媒体によっても違うみたいだが)。一時は、造船、広告産業、銀行という時代もあった。この情報元に書かれている分析は、学生の安定志向、イメージ先行が理由だと分析し、けっこう辛口だが、戦後の日本経済を牽引した商社マンのように、一度きりの人生を世界を舞台に活躍したいと思う若い人が多くいるのも事実だろう。
 日本は島国だ。島国ということで内向き指向であるという分析もある。それもまた一理あるが、海に囲まれた島国で育つと、海を超えたところに行きたい、知りたいという衝動を持つようになると、海辺育ちの一人として、私は実感している。
 一つの環境から一つの人間特性が生まれるわけでなく、正反対のベクトルの人間特性が生まれてくる。日本人は、もともとそういうことがよくわかっている。物事の在りようは、受け止め方一つで違ってくる。だから禍福は糾える縄のごとし、なのだ。
 昨年の震災についても、あれだけの出来事が起こったわけだが、それをきっかけに、守りの心理が強くなった人もいるし、開き直って、攻めの心理になっている人もいるだろう。
 それはともかく、網野さんは、中世の日本を捉えるうえで欠かせない視点として、交易のことをあげている。そして、中世の日本人が、貴族階級だけでなく農民や女性も含め、きわめて高い識字率をほこっていたことを指摘している。
 中世の日本社会は、大量の銅銭だけでなく手形なども用いられて交易が行われているわけで、物々交換ではなく、記号的で抽象的なやりとりが、ごく普通に行われているのだが、それは文字の使用と大きく関係していると思う。鶏が先か卵が先か、思考の記号操作も、文字の使用も、どちらが先かということではなく、相乗的に高まっていったのだろう。
 そして、文字の普及を促進させる大きな力となったのが、ひらがなの使用だ。日本において約千年前に起こった文字革命は、古代地中海世界においては、約3千年前に、フェニキア人によるアルファベットの発明時に起こっている。
 ジュリアン・ジョインズの「神々の沈黙」という著作のなかで、人間の脳のなかの言語領域が、アルファベットの使用によって右脳から左脳に移ったということが書かれていた。それによって、人間の思考特性や意識の在り方が、まるで違ってしまったのだと。だから、フェニキア文字以前の、たとえばクレタ文字、ミケーネ文字、ヒッタイト文字などは、現代人はまるで解読できない。それらの文字が読めるようになった時、現代人が見失ってしまった、もう一つの人間意識の在り方が、わかるようになるだろうと、彼は、本の最後を締めくくっている。
 ジュリアン・ジョインズは、人間意識の転換期を紐解く為に、ホメロスイリアスオデッセイアを重要視している。ホメロスの神話以前は、現代的な思考では捉えようのない世界。以降は、ギリシア哲学が始まった時代であり、現代的な思考の根元がそこにある。
 「万物の源は水である」と唱え、最初の哲学者と言われるタレスは、イオニア(トルクの地中海沿岸)の商人として、当時の先進文明地域であるエジプト、ギリシャメソポタミア等に足をのばしていた。
 「万物の尺度を人間に置く」思考は、そうした哲学の発展から生まれ、ソフィストと言われる多くの詭弁家が生まれ、それに対して、ソクラテスが「無知の知」を解く等、現代人も共有している自己を中心とした自問自答の思考が、その時に始まっている。またヘブライズム(ユダヤ教キリスト教イスラム教)のような個人の救済を説く宗教も、アルファベットの普及による識字率の高まりとおおいに関係している。日本の中世においても、鎌倉仏教の、法然親鸞日蓮、一遍など他力本願を旨とする浄土宗、浄土真宗時宗が、一般の人々に広まっていったが、蓮如上人が書いた「御文」のように、わかりやすい言葉で書かれた教えが、その普及に影響を与えている。
 ただ、ジュリアン・ジョインズも書いているように、扱いやすい文字の普及と、左脳に言語領域が移るにつれ、社会からシャーマンが減っていき、人々は、非常に合理的に物事を捉えるようになる。古代ギリシャなどにおいてもそうだし、中世の日本においては、巫女とかが次第に蔑視され、非人など聖なる領域で重要な仕事に携わっていた人も、差別の対象になっていく。
 ジュリアン・ジョインズは、3千年前のことに注目しているが、ヨーロッパにおける1千年前のことには言及していない。
 ゲルマン人の大移動によって始まった中世ヨーロッパ世界は、農業生産などにおいてローマ時代には鉄器で行われていたものが木器で行われるなど生産性が低下している。それとともに識字率が低下し、キリスト教の布教も、フレスコ画などで行われている。
 中世ヨーロッパは、AD1000年の十字軍の頃に教会の力が絶大になるが、十字軍に負けてから俗界の権力である王侯の力が増していく。交易に関しては、最初は、1000年頃に始まったロマネスクの巡礼のように宗教的な移動から次第に盛んになり、俗界の権力が強まるとともに交易が保護されることでより発展し、フィレンツェなど交易都市の繁栄のうえにルネッサンスが始まる。またルネッサンスの印刷革命によって文字が急速に普及し、聖書による啓蒙が行われ、自己意識が強まって古代ギリシャ精神の復活が行われ、それとともに大航海時代という通商時代になる。それから近代的自我が生まれてデカルトのような近代的思考が現れるわけだから、日本の1000年以降の文字革命後の状況や、3000年前のフェニキアの文字革命以後の状況と重なる。
 あまり単純化するのはよくないと思うけれど、ヨーロッパであれ日本であれ、だいたいの流れは、異なった地域の交流→文字の普及→さらなる交易の発展、俗の権力による交易の保護、俗の権力の優位→聖なる世界の蔑視→自己意識、利己意識、自己救済意識の発展→哲学の発達、娯楽の発達→情報化社会(バビロンの塔以降の言葉の乱れ)→蛸壺化(古代ギリシャソフィスト、中国春秋時代の詭弁家の跋扈、現代の知識階級)、閉塞、停滞→歴史の転換という感じだ。
 ジュリアン・ジョインズは、西欧の世界観を探るうえで、ホメロスを題材にフェニキア文字革命の前後の意識の転換を紐解いていこうとしたわけだが、我々日本人にとって、同じように歴史的な意識の転換期として重要な節目にあたるのは、フェニキア文字に等しく識字率の向上に大いに関係し、異なる地域を結びつける力ともなった仮名文字の普及だろう。
 紀貫之の「土佐日記」や、紫式部の「源氏物語」や清少納言の「枕草子」のような女流文学は、ホメロス神話のように、「こちら側」と「あちら側」の境に存在し、こちら側の思考でも捉えることが可能な文脈で、「あちら側」の世界を記述している。
 「こちら側」というのは、現在という時代に生きている私たちの秩序的思考で整理がしやすい世界。「あちら側」というのは、俗に対して聖という今日的な分別で捉える世界ではなく、現代の秩序的思考では混沌にしか感じられない世界。それが、欧米では、ホメロス以前であり、日本では、源氏物語以前かもしれない。ホメロス以前の諸文明のことは考古学的にはいろいろと発見があるが、その世界の記述は、「こちら側」の秩序的思考や分析によるところが大きい。日本においても、千年前より向こうの「あちら側」は、同じだと思う。
 「あちら側」には、ジュリアン・ジョインズが指摘するように、左脳的思考では捉えにくく、現代も統合失調症の人がそうであるように右脳的思考でないと捉えにくい世界観がある可能性が高い。
 我々のように左脳的思考しか持っていない者は、頭であれこれ分析しても、「あちら側」のことは感じ取れない。しかし、たとえばアボリジニのように、文字を持たず、絵画と語り継がれる物語(ドリームタイムストーリー)によって歴史を伝承してきた人々の生き方に触れる時、私たちでも何かしら感じるものがあるように、「あちら側」のことが、私たちの記憶からすっかりなくなっているわけではない。
 絵画、音楽、舞踊、朗読、口承文学・・、色や形や音やリズムとともに、右脳の奥深くに眠っている言語領域に働きかけてくる表現によって、理屈や論理ではよくわからない「あちら側」の記憶の像が、浮かび上がってくることもある。
 源氏物語を、本で読むのではなく、耳で聞くということも、それに通じるものがある。源氏物語は、もともと女房という語り手が読み聞かせする物語だった。仮名文字が普及していったその時代において、こちら側とあちら側が重なり合いながら展開していく源氏物語を、文字で読むことは、失われつつあった「あちら側」を、さらに遠ざけること。耳で聞く事によって、「あちら側」のリアリティを、より強く感じることができていたとも言える。
 現代も、源氏物語の語り会は、ごく少数であるが行われている。こちら側の秩序世界にがんじがらめになって、ともすれば思考停止状態になってしまった現代人が、もう一度、柔らか頭になる言葉との付き合い方の一つが、”語り”なのだと思う。文字のように固定して、それに縛られてしまうのではなく、その空気感だけを記憶にとどめながら、世界と自由に向き合っていくうえで、”語り合うこと”が、もっと見直されればいいと思う。
 この場に、文字で書いてしまったことも、大学など公的機関の一員として学問をやっている人たちから見れば、無責任な語りにすぎないことは承知だ。
 文字を事物として固定化し、そこに意識を縛られてしまうのではなく、文字にしても伝えることのできない「向こう側」に、指を指す自由。それが語りだ。ブログやツイッターもまた、学術論文とは性質が大きく異なり、文字を使っているけれども、その特性としては語りなのだと思う。
 遠く離れた人々と語り合うために、人々は、ブログやツイッターという手段を持った。しかし、文字による知識や概念それ自体が、世界のごく一部分にすぎないという自覚を持っているかどうかによって、それらのツールとの付き合い方は異なってくる。
 書かれている事実に拘泥して熱くなるか、クールに聞き流したりしながら、引っかかる部分だけを記憶化するか。書かれている事実の正誤にこだわる人は、正しい知識の普及の使命を口にするが、正しい知識の普及者として、自己を権威化したいという欲求も持っている。自らの正しさに胡座をかいて、それを主義主張にまでしたてあげる頑迷さは、変化する環境のなかで、正しさにこだわるあまり思考停止に陥ってしまうことがある。
 新しい環境に応じて柔軟に思考しながら、人としての倫理がどこにあるか真摯に探ることは、日本の歴史を通じて何度も試みられている。そこから生まれた知恵や発想を先人から学んだ方が、アカデミックに権威化された正しい知識を身につけることより、よほどマシだと思う。

 2月18日(土) 19日(日) 明大前のキッドアイラックホール(ともに2時半開場)で、「風の旅人」にも執筆いただいた山下智子さんの、京ことばによる「源氏物語」の女房語りが行われます。
 詳細はこちら。→http://sionblog.sblo.jp/article/53865375.html