電子書籍をめぐる国家と大手出版社の思惑


 今朝の朝日新聞の第一面に、電子書籍を国が後押しするために、総額150億円を出資するという記事があった。
http://www.asahi.com/business/update/0329/TKY201203280905.html

 しかし、その投資先は、なんと出版デジタル機構講談社小学館集英社の大手三社を中心とする復数の出版社と、大日本印刷凸版印刷が合計で約20億円の出資をして4月から始動する新会社だ。総額170億円の資本金のうち、90%を、産業革新機構という国家機関が握ることになる。
 さらに、政府が全額出資する日本政策投資銀行が、三井物産東芝NECとともに、凸版グループの電子書籍配信サービス会社「ブックライブ」が行う29億円の第三者割当増資を引き受ける。
 電子書籍の国内市場は、現在、年間600億円ほどだが、スマートフォンタブレット端末の普及で、2015年には年間に2千億円〜3千億円に急成長する見込みを立てているらしく、政府が既存の大手出版社や大手印刷会社や電気メーカと組んで、出遅れ気味の日本の電子書籍市場を活性化させ、アマゾンなどの黒船に対抗するというのが、表向きの理由なのだろう。
 しかし、政府が税金を投入してやるような仕事なのだろうか。
 それ以前に、本を電子データーにするのに、そんなにコストがかかるとは思えない。大手出版社や大手印刷会社が連合して出すお金が20億円なのに、そこに政府が150億円も出資するなんて不自然極まりない。
 産業革新機構の幹部は、「単なる出版業界への投資というより、電子書籍という新しい産業を興すことで需要を呼び起こしたい」と言う。
 しかし、電子書籍というのは、”新しい産業”と言えるものなのだろうか。
 本を電子データーにして売ることは、端末メーカーにとっての需要増につながるが、それは単に家電が一つ増えるだけのことで、新しい産業とは言えない。
 紙の本であれば、紙の製造業、印刷業、流通業などが大きく関与し、一つの大きな産業と言える。しかし、電子書籍になれば、紙、印刷、流通といった産業が縮小する。これまで出版社は、印刷と流通を握っていたからこそ、作家などの才能ある人々を自分の管理下に置くことができた。出版社しか本が作れないのではなく、出版社以外は、本を製造して流通させることが難しかったから、新たな才能も出版社の方を向き、新人賞などに応募してデビューのチャンスをうかがっていた。
 そうした状況のなか、自分の力を引き出してくれる優れた編集者と仕事ができている作家もいれば、編集者に対しては不満はあるものの、本を出版してくれるので仕方がなく(そのことに感謝して)出版社と付き合っている作家もいる。
 電子書籍になれば、作家は、自分一人で仕事をしても構わないし、優秀な編集者と組んで仕事をしても構わない。「出版社」を相手にする必要はない。
 これまで出版社と仕事をしてきた作家は、1800円の単行本を作ってもらって、10%の印税を受け取る。一冊につき180円。電子書籍にすれば、アマゾンは条件次第で作家に70%を還元するらしいから、500円で本を売っても、350円の収入となり、そこから編集者に幾らかを還元することもできる。
 現在、日本の電子書籍が伸び悩んでいるのは、政府のテコ入れがないからではなく、電子書籍のコンテンツが少ないことと、電子書籍の販売価格が高いからだ。コンテンツが増えて、もっと安くなれば、市場は一挙に拡大する可能性があるが、出版社は、十分な中間マージンをとらないと高給の社員を養えないし、紙の本の販売にダメージを与えるような安値をつけるわけにはいかない。
 電子書籍が、こういう構造の中にあるかぎり、大手出版社や大手印刷会社が中心になっている電子書籍会社に政府が莫大な投資したところで、電子書籍の普及につながるとは思えない。
 本気で電子書籍を普及させたいならば、紙の本を発行していない新しい業態の電子書籍会社を立ち上げて、その会社に投資した方が早いに決まっている。今なら、本の著作権は出版社ではなく作家にあるのだから、紙の本の発行元の出版社は無視して作家の了解をとりつけて電子書籍化を推し進めていくことも可能だ。楽天などが展開する電子書籍の方が、よりフレシキブルな舵取りができるので、そういう動きを加速化させることができるし、アマゾンに対抗するためなら、その方がベターかもしれない。
 でも、おそらく、楽天が、経営に政府が関与してくることを望むとは思えない。
 大手出版社が、ビジネスに政府の関与を受け入れるのは、そうすることのメリットがある筈であり、今考えられることの一つは、著作物への隣接権をめぐる駆け引きだ。
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/news/20111221/1039880/
 
 これまで発行してきた出版物を電子書籍化する権利を出版社が持つことは、既存の出版社の優位につながる。アマゾンや楽天等が、直接作家に働きかけて電子書籍化していくことを阻止できる。
 「出版デジタル機構」は、様々な出版社から書籍をあずかり、電子化し、電子取次会社や電子書店に卸売をする役割を担おうとする。電子書籍の値崩れを防ぎながら、日本の出版物を一括管理することを目指している。極端な言い方をするなら、戦前のように、「メディアによる大衆コントロールも可能だ」と、行政が考えたかどうかはしらない。しかし、残念ながら、こうした一元的な管理と流通システムは、紙の本の流通とまったく同じ発想であり、インターネット上の流通はまったく別のものになる。
 大手出版社も、そのくらいのことはわかっているはずだ。インターネット上の電子書籍の流通を牛耳ることなどできないことを。流通は誰が運営しようと構わない。彼らが欲しいのは、作家の本を、作家の了承を得ることなく電子化できる権利と、価格決定権。
 だから、「出版デジタル機構」の実質の経営を行政が握ることになっても困らない。電子化の技術じたいは簡単だし、電子書籍の流通も簡単だから。
 大手出版社は、著作物の隣接権をめぐって、政府と裏交渉をしているのではないか。「出版デジタル機構」に行政が関与することになれば、電子書籍化のいっそうの促進が目指され、その為には、出版社に電子書籍化する為の権利を与えた方がベターだと行政は考えるかもしれない。
 しかし、それらはしょせんバックナンバーの話だ。もし、出版社が行政と組んで、そのように自らの立場を守る為だけの動きを強めれば、作家(特に、これまで出版社に恩義のない新たな才能)は、既存の出版社から離れたところで活動をするようになるだろう。
 行政が、様々な理由をつけて、「電子書籍の販売は、出版デジタル機構を通したものに限る」という暴挙に出ることがなければの話だが、そういうことが起こる可能性もあるのだろうか。
 国家によるメディア規制と、メディアによる情報操作。
 太平洋戦争の時の大政翼賛会も、国際情勢の緊迫化にともなって、日本も強力な指導体制を形成する必要があるという政治的判断から生まれ、それまで対立関係にあった組織も、「バスに乗り遅れるな」と、大政翼賛会内における主導権を握るために、その中に加わっていった。
 そして結果的に、軍部の方針を追認しささえる体制が強固になった。
 現在、国際的にも国内的にも、右往左往する政府と官僚が、強力な指導体制を形成する必要があるという大義名分で、自分たちのやりたいようにできる体制を作りたいと考える可能性も高い。高級官僚など、自分の優秀さを信じて疑わない人々は、特にそうだろう。悪事を行う為ではなく、自らの偏狭な正しさの為に、そうしようとするから、厄介なのだ。
 この道はかつてきた道と同じかもしれないけれど、道沿いの風景が同じならば、誰でも気づくことができる。時代の移り変わりとともに、道沿いの風景がまったく別のものになってしまうから、人間の歴史は、同じ過ちを繰り返してしまうのかもしれない。

 ただ、いずれにしろ、国家の関与を大いに受け入れた大手出版社など旧いシステムの既得権組が牛耳ろうとしている出版デジタル機構は、思考も発想も旧いままで、柔軟な発想で展開できるとは思えず、けっきょく、天下りの受け口になって税金が無駄に費やされるだけではないかな。