終わらせるという始め方

 パパタラフマラのファイナル公演、白雪姫を見てきた。満員だった。去年見たときと随分と内容が変わっていたけど、面白かった。二つ横の席で、小さな子供が見ていたけど、一緒にゲラゲラ笑った。明日が最終日だ。これが最後だと思うと感慨深いなあ。でも30年も、革新し続けて、本当によくやったなあと感心。今回の公演も、一日のステージが終わるたびに修正して、翌日に備えている。その徹底ぶりは、すごい。こちらも、ガンバロウという元気をもらった。
 混沌きわまりない時代だけど、今だからこそ、やるべきことがあるよ。パパタラフマラのように、終わらせるという始め方がある。原発だって同じ。原発に限らず、原発を稼働させる口実になる私達のライフスタイルだって、そういう部分がある。長い間、日本社会は表面上は変わってきたけれど、本質的な価値観のところで何も始まっていない。それは、終わるべきものを終わらせていないからだ。
 現在、様々な知識人が、何をすべきかとか、何を始めるかとか、何をどう解決するかとか、深刻ぶった顔で議論しているけれど、何を終わらせるかを、もっと真剣に考えた方がいいのではないか。終わらせないと始まらない。そして、終わらせた方がいいことって、いっぱいある。ただ駆り立てられているだけの受験や就活、消費、空騒ぎ、他人との比較、虚栄、みっともない保身や執着。長いものに巻かれろの怯懦。
 けっきょく、これさえあればいいというものが、莫大な情報の中で見えなくなっているから、あれやこれや右往左往して、潔くもなれず、何一つケリつけられないのかな。
 パパタラの公演の前、少し時間があったので、日野啓三さんが生きていた頃、よく通った下北沢の日野さんの家まで行き、小説の中でもよくでてきた家の前の踏切のところに、しばらく立っていた。日野さんが亡くなったのは、2002年の10月。日野さんの人生が終わった時に、風の旅人を始めたことを思い出した。
 

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