戦後日本の象徴的な写真〜森永純のドブ川


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 風の旅人 第34号で紹介した森永純さんのドブ川の写真。1964年の東京オリンピックは、高度経済成長の中で、日本が先進国に肩を並べるまでに発展してきたことを象徴するできごとだった。同時に新幹線が開業。首都圏は建設ラッシュにわき、首都高が張り巡らされ、都市の姿が大きく変貌していった。
 東京が、そうした熱気に包まれていた1960年代はじめ、森永純さんは、毎日、東京のドブ川を撮影し続けていた。公害という言葉も、まだ浸透していなかった時代、生活排水や工場排水が流れ込み、汚れきって、ひどい悪臭を放つドブ川。その水面に顔をつけるように覗き込みながら、森永純さんは、いったい何を見ていたのだろうか。

 以下、森永純さんの写真に衝撃を受けたユージンスミスの言葉。

「森永純は、私にとってエキサイティングな写真家である。彼のヴィジョンにしばしば用いられる素材は、われわれ多数にとってはアン・スペクタクルで地味なものではあるが、しかし、それが彼の手を経て写真に表現されると、比類のない彼独特の生命の神秘を息吹かせるところの心理ドラマとなってくる。
 私の純の写真に対する最初の出会いは1961年である。当時、私は日本に滞在中で二人目の助手を探していた。そこへ私の良き友人であり最初の助手でもあった西山雅都が、圏外に慎ましく待機していた若い写真家の作品を携えてきた。それは一時間にも満たない眠りを過ごした夜のあとの朝の仕事のはじめであったので、写真を見ることは思っただけでも嫌だった。うんざりして、この押付けに内心憤慨しながらも、おとなしく座ってそれを見はじめた。汚物と泥の渾然としたイメージ──私が見たつもりのものはこれだった。私は、私自身に対して憤然と唸りの声を挙げた。ーユージン・スミス
 だが、それらのイメージから脱けきらないうちに、この汚物や泥、草や、廃棄物や毀れ物の破片のイメージに深く捲き込まれてしまった。私はひとつのイメージの中の無数のイメージ、それらの中にひそむ感動的な力に愕然とした。私は“男”は泣かないということを承知している──が、私は泣いた。同室のものから顔をそむけ、涙と嗚咽を抑えるのに精一杯だった。私を深く感動させる写真、私の人生を変えてしまう写真は数少ない。森永純の写真はその二つを併せ持っていた。ーユージン・スミス