能登という折り返しポイント

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 連休のはじめ、能登に行った。能登は、私が20歳の時に、大学を辞めて、海外放浪をしようと決心した場所。
 そして、風の旅人の創刊の時、日本海から吹き寄せる強烈な風と雪のなか、上大沢の間垣の村を取材した。
 私にとって能登は、最果てのイメージがある。そして、行き止まり。行き止まりまで行くと、絶望するのではなく、自分にまとわりついている様々な夾雑物を脱ぎ捨てて、気持を一新して生き直そうという気になる。つまり、行き止まりは、折り返しポイントなのだ。
 今回の能登の旅は、写真家のマスノマサヒロさんと一緒だった。マスノさんとは、少し前、白山にも一緒に登った。白山登山も、稀有なる体験であり、その後の私の活動に大きな影響を与えた。
 今回もまた、そうだった。このたび私が訪れた能登は、日本海の荒波が打ち寄せる場所ではんなく、鏡のように穏やかな凪状態だった。めったにそんなことはないだろう。ほとんど波が立っていないのだ。
 だから、数年ぶりに訪れた上大沢の間垣の村は、まったく異なる印象だった。まさに静謐と清浄なる別世界。
 そして、宿泊したのは上大沢と輪島のあいだの小さな民宿。ここの主人が、高齢ながら定置網の漁師で、幸運に早朝から漁船に乗せてくれるということになった。
 朝2時に起きて、写真家のマスノマサヒロさんと私を乗せた小さな漁船は、静かな海にこぎだしていく。凪状態だからよかったものの、日本海の荒波で、こんな小さな船だと、とても不安だと思った。でも漁師さんたちは、平気な顔。
 それにしても海の男の仕事っぷりは、、カッコいい。みんな、おそらく70とか80こえている筈の爺さん達の足腰は、まことにしっかりとした構えで、年をとっても、こういう風でなければならないと思った。
 その後、獲った魚の行方を追って、朝6時ころ輪島の魚市場に行き、セリの現場を見学。凄腕の婆さんが、大きな鯛とかブリとか競り落としていたのでどうするのかなあと思っていたら、その訪れた輪島の朝市で店を開いていて、大きな鯛は、アイキャッチになって、客足をとめていました。商売も上手な婆さんでした。
 船の上で収穫した鯛やブリが、早朝のせりで売られ、それを買った婆さんが、輪島の朝市で売っているところまで追跡できた。その後、その魚を買った人が、どう料理し、どういう人の口に入るのかまで追跡できると面白いね、とマスノさんと話した。
 また、早朝のセリで、たくさんの魚を強引に競り落として、輪島の朝一で売っていた凄腕の婆さんの普段の生活にも密着したいなあと。

 輪島の朝一の後、20の頃、失恋の痛手とともに訪れた恋路海岸、そして、かつてはイルカ漁で活気に満ちていただろうと想像できる真脇の縄文遺跡を訪れた。そして、UFOで有名な羽咋にある宇宙科学博物館。辺鄙な場所に、凄いものがあります。この博物館に展示されている月面着陸機やボイジャー探査機は、全て本物。高野誠鮮という宇宙人みたいな発想をする逸材が、多くの自治体が、うさんくさい代理店に仲介させて、莫大な出費で偽物ばかり買わされているを尻目に、自らアメリカやロシアを相手に直談判を行なって、格安で本物を手に入れてきたのだ。
 多くの博物館にある高額なイミテーショーションのロケットなどは、鉄製のため、保守管理にも莫大なお金がかかるらしいが、本物は、チタンなど宇宙空間でも劣化しない素材を使っているので、保守管理も非常に楽らしい。すばらしい。
 日本の自治体が、もう少し賢くお金を使えるようになれば、日本の状況もかなり改善出来るはず。でも、愚かなお金の使い方をしてもらった方が儲かるという人が、後ろで糸を引いていることが、問題を複雑化させているのだろう。
 いずれにしろ、能登は、プリミティブであり、根元であり、それでいて、未来に開かれている土地だと思う。だから、私は、人生の折り返し時点で、能登に行く。