子供は、未完成ではない。

0009

(撮影/北義昭)


 現代人の多くは、完成と未完成で世界を分別し、未完成なものが完全なる状態に到るために、階段を一つずつ上っていくことが成長であると思っている。そして、子供時代は未完成で、完成だとみなされる大人に一歩一歩近づくものだと教えられている。
 子供が未完成で、大人が完成であるという考えが真実であるなら、適者生存の法則で、進化とともに子供から大人になるまでの時間は短くなっていく筈だ。しかし、人間は、あらゆる生物のなかで最も子供時代が長い。生まれて間もなく駆け出すことのできる馬などに比べて、人間の子供は、子宮内にいる時間が長いわりに、生後しばらく立つことすらできない。
 人間の不確かなる子供時代は、不完全なのではなく、自らの遺伝子のなかに書き込まれたプログラムを書き変える能力を長く保持し続けている有能な状態だと考えることはできないか。子供が親を真似して同じ営みを続けていくだけならば子供時代はできるだけ早く終えた方がいいだろうが、親の世代とは異なる新しい状況を作り出すためには、早い段階で固定してしまわず、柔軟性に富んだ子供時代が長く保たれた方がよい。すなわち人間の子供時代は、世界から多くの新しいことを学び、それに応じて生きていくために自分を変えていく力が優れている期間なのだ。実際に子供の3年は、大人の3年とは比較にならないくらい変化に富み、その経験を自分のものにしていく力は、大人よりも子供の方が長けている。その意味で、子供時代は大人時代よりも、完成度が高いとも言える。

 計画された未来に縛られ、自分の先行きがわかったつもりになった瞬間、人間は、人間ならではの研ぎ澄まされた感覚を劣化させ、人間としての可能性の多くを失っていく。にもかからず、現代社会に生きる大人は、大きな過ちを犯す。生まれながら備えている人間の修正力を尊重せず、安易に、子供を特定の価値観の中に押し込めてしまうのである。人間の最大の武器は、変化に応じて自分を変えていく力とするならば、現代の教育や子供に対する接し方は、ライオンから牙を拔き、鳥から羽を奪うことと同じかもしれない。
 若者に活気がないとか、子供に元気がないなどと、大人は知ったかぶりをするが、自分のやってきたことや、今やっていることを、冷静に振り返ることの方が先だ。とりわけ、自分の矮小な価値観のなかに子供を監禁し、ペットのようにキレイに着飾らせたり、学歴等で箔付けすることしか興味のない親は。
 自分が崖っぷちに立つ覚悟をもって、子供を崖下に落とすこと。そういう親心の発揮が、もっとも難しく、もっともかけがえない。

 この写真は、風の旅人の第38号で紹介した北義昭さんの写真の一つです。
  http://www.kazetabi.com/bn/38.html