使用済み核燃料の問題を避けた原発再稼働の議論はありえない。


 6月22日の東京新聞に掲載された記事が気になっている。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012062202000108.html

 現在、原発の再稼働に対して、各地で反対運動が繰り広げられても、野田首相と政府は、「原発無しでは日本の経済が立ち行かなくなる」の一点張りで、原発の再稼働に向けて、準備を進めようとしている。
 しかし、私は、この東京新聞の記事にあるように、原発再稼働の背後に「核燃料再処理」の問題が大きく横たわっているかぎり、原発を動かすべきではないと思う。当初は、この夏の電力不足を補うためという理由で議論が始まった原発再稼働問題だが、いつの間にか、「原発再稼働なくして日本の経済が立ち行かなくなるのだ」と、首相が正々堂々と口にできる雰囲気になっており、原発再稼働イコール、しばらくの間は原発依存が続くということになる。
 しかし、この記事にもあるように、原子力委員会の報告書によると、2030年時点で原発依存度が0%の場合ならば、現在、日本に残っている莫大な使用済み核燃料は全て直接処分(地中に埋める。アメリカはそうしている)し、六カ所村の再処理工場は廃止、もんじゅの開発は中止するのが適切だと判断されているが、依存度が15%になると、使用済み核燃料が継続的に発生するので、再処理工場は稼働させ、再処理で取り出すプロトニウムの使い道として、高速増殖炉の実現に向けた努力を続けるのが適切、その一環で、もんじゅは一定期間動かす、としている。さらに依存度が20%から25%の場合は、高速増殖炉の開発を積極的に進め、核燃料は全て再処理することもメリットが多いと指摘している。同時に、急激な政策変更(原発廃止、再処理工場廃止)は、再処理工場を受け入れた自治体(六カ所村)との信頼を崩す懸念があると示している。
 つまり、原子力委員会の分析では、原発再稼働は、再処理工場の維持と、もんじゅの存続へとつながっている。しかしながら、再処理工場も高速増殖炉もんじゅ)も、これまで莫大な税金を投入し続けていながら未だ不完全な状態で、使い物になっていない。使い物になるという見通しも立っていない。にもかかわらず、原発依存が続くと、今後も莫大な税金を投入し続けるという可能性が出てくる。しかも、再処理工場も高速増殖炉も、かりに運転にこぎつけても、もし地震やその他の災害、および人為的なミスなどで大事故を起こすと、福島原発の比ではない破滅的な打撃を日本にもたらす。それこそ本当に、外国人は誰も日本に来なくなるし、日本人も多数が海外へ脱出することになるだろう。
 野田首相は、原発の安全性を口にするが、相変わらず、核燃料再処理のことについては何も言わない。
 原発を動かすかぎり、高速増殖炉の実現に向けた努力を続けることが適切であると原子力委員会が指摘するのであれば、その可能性もあることをきちんと国民の前で言明すべきなのだ。もちろん、原子力委員会が指摘することが必ずそうなるということではない。しかし、原子力委員会は、内閣府に設置された行政機関だ。
 原子力委員会は、1)原子力研究、開発及び利用の基本方針を策定する、2)原子力関係経費の配分計画を策定する、3)原子等規制法に規定する許可基準の適用について所管大臣に意見を述べる、4)関係行政機関の原子力の研究、開発及び利用に関する事 を調整すること等について企画し、審議し、決定する。
 ただ、この原子力委員会の構成は、自民党河野太郎氏も指摘しているように、東京電力関西電力中部電力、日立、東芝三菱重工で事務局のポストをしっかり分け合っている。http://www.taro.org/2012/05/post-1208.php
 これら原発関係の人々にとって、原発を動かすことだけではなく、その後の使用済み核燃料の再処理やもんじゅ等の高速増殖炉の研究開発に、今後も継続的に莫大な税金が投入されることを望んでいることは明らかだ。
 話は変わるが、今日のニュースで、アメリカがイランへの制裁を強化したことで、イラン国内の経済情勢が悪化しており、イランが、ペルシャ湾をはさんだカタールサウジアラビアアラブ首長国連邦にある米軍基地に攻撃をしかける可能性があるという空気が広がっており(そういう情報操作が行われている)、それらの国が、慌てて、アメリカ等から大量の武器を購入している。サウジは、F15戦闘機など84機(約2兆2800億円)を、アメリカから購入した。
 イラン危機を煽ることで潤っているのは、アメリカの軍需産業だ。
 日本の原発問題の背後に、アメリカは、どれだけ深く絡んでいるのだろう。ちなみに、日本が、原発で使用する濃縮ウラン235は、ほぼ100%、アメリカに依存している。
 第二次世界大戦で、日本が中国と戦っている時、日本は、石油の60%をアメリカに頼っていた。そのアメリカに制裁を受け、石油の輸出を止められ、資源を求めて、太平洋に進出してアメリカと戦争を始める結果となった。
 私は、現在の原発と、使用済み核燃料の再処理や高速増殖炉の関係は、先の戦争で言えば、中国に対する戦争と、アメリカとの戦争の関係に似ているように思えてならない。

 あの戦争で日本に壊滅的な打撃を与えたのは、アメリカを相手にした戦争(1941年〜)だ。しかし、その前に、満州事変(1931年)を皮切りに中国に侵攻し、中国を相手に戦争を始めたことがきっかけになっている。中国への侵攻がなければ、おそらくアメリカとの戦争もなかった。
 中国との戦争は、現在の原発再稼働の問題と等しく、経済的原因があったと分析する学者もいる。
満洲を切り離した中国本部に対して、日本は、貿易と企業の市場とする方向で臨みましたが、関東州と満洲を除いた中国本部と日本の貿易は、三一年から三七年で半減します。関東州と満洲での増加分を加えてもなお、補いきれないものでした。原因は、満洲国を傀儡国家化した日本に対しての、ある意味、当然のボイコットと、完全に関税自主権を回復した中国が保護主義的関税政策をとったことによる日本製品の不振にありました。重化学工業化を進めていた日本にとって、中国貿易の後退は深刻に受けとめられました。そこで、関東軍支那駐屯軍は、蒋介石の全国統一に妨害を加えることで、国民政府の対日政策を親日的なものに変えようと圧力をかけるようになりました。こうして、華北から、国民党、国民政府中央軍、東北軍(張学良軍)が、まずは日本の軍事力によって駆逐されました。」
加藤陽子「戦争の日本近現代史講談社現代新書、279頁)。

 中国に侵攻する前には、ウォール街の恐慌(1929年)から続く国内経済の大不振があり、その前には関東大震災(1923年)があったことも忘れてはならないだろう。
 経済的原因で、中国を相手に戦争を初め、泥沼化し、その流れで、兵力も資源力も圧倒的に差があるアメリカを相手に戦争をするという最悪の結果へとつながっていった。
 現在も、経済的原因という大義名分で原発を再稼働させると、それだけで終わらず、原発よりも危険極まりない高速増殖炉などの運転へとつながり、福島の事故を超える壊滅的な大事故が起こることだってありうる。
 中国に対して戦争をしかけた時には、誰も、広島と長崎に原爆が落とされるなど思っていなかったのだ。
 原発の再稼働に伴い、継続的に発生し続ける使用済み核燃料の処理のために、事故ばかり起こしている六カ所村の再処理工場を動かす。そして、取り扱いが極めて危険なプルトニウムを燃料とし、大気中の水に触れるだけで発火し爆発、制御不能と言われるナトリウムを冷媒に使わざるを得ない高速増殖炉もんじゅ)を動かすという最悪のシナリオ。
 しかも、原子力委員会は、依存度が20%〜25%の場合、”高速増殖炉の開発を積極的に進めた方がメリットがある”と言う。つまり、もんじゅ一つでは足りず、日本国中に、高速増殖炉をたくさん作るということだろう。
 福島の事故から一年ほどしか経っていないのに、そういうことを言える雰囲気になっているのだ。あと3年経てば、どうなるのだろう。
 今以上に、「日本の経済が立ち行かなくなるから原発を動かす」という主張が当然視される可能性がある。目先の経済的現実への対応という”対症療法”が、説得力を持ってしまうのだ。日本人は、根本的治療ではなく、対症療法(表面的な症状の消失あるいは緩和を主目的とする治療法)に意識が向きやすい。風邪をひいたらすぐ薬を飲む。身体がウィルスと戦う為に身体の熱を上げているのに、薬を飲んで熱を下げる。表面的な緩和にすぎず、身体の中はどんどん弱くなる。そういうことを無自覚にやってしまう。原発問題についても、対症療法を主張する論理が、日増しに声高になってきたようにも思う。
 「原発なくして日本の経済は立ち行かなくなる、原発の安全が確保されたから原発を再稼働させる」という目先の現実論は、中国に戦争をしかけ、そこで発生する新たな現実に表面的に対応する為に、太平洋へ進出していくことになった先の戦争を同じだ。
 その時、アメリカの国力を低く見積もったことと同様(もしくは、自分に都合良く、奇襲など小手先の方法でかわせるなどと、真面目に考えた!?)、原発の危険性や津波地震の力や、そのうえ高速増殖炉の恐ろしさを侮り、自分に都合の良い安全論を打ち立てることで道を進もうとすると、形は違えど甚大な被害が発生し、この道はいつか来た道となる可能性もある。
 一度回りだした歯車は止まらなくなる。原発再稼働は、使用済み核燃料の問題を、より深刻にする。使用済み核燃料の問題を抜きに、原発賛成か反対かという議論をやっても何にもならない。