「褒めれば育つ」への疑問

 昨日の報道ステーションで、「褒めれば伸びる」という特集をやっていたのだが、ちょっと引っかかるところがあった。

 褒めれば伸びることが科学的に実証できたと研究者は言う。しかし、実験して結果が出ただけで科学的と言い切るのは大きな間違い。なぜなら、実験方法を考える時点で、視点が偏っているケースがあるのだから。

 「褒めれば伸びる」ことの実証実験は、コンピューターにデーターをインプットさせる作業を通して行われた。褒めたグループの方が作業効率がよかった。ただそれだけのことだ。つまりそれは、決められた事に対して何の疑問も持たず、言われたまま素直にやらせることにおいて、褒めるのが効果的であるという実験にすぎない。

 ”人として伸びる”というのは、その程度のことなのだろうか?

 しかも、テレビで見る限り、実験中の褒め方が機械的で人間的な温もりを感じなかった。機械的に褒め言葉を伝えて、機械的に同じ作業を黙々とこなす。なんだか、ファストフードチェーンの人材教育のようで不気味だ。

 おだてられて、素直にそれに従っていた間、順調に作業効率が伸びた(成績があがった)。人生それでいいと思っていたら、予想外の出来事が起きた。その時、おだてられて育ってきた人間に、耐性はあるのだろうか。パニックに陥ったり、フリーズ状態になりはしないだろうか。

 テレビで、褒めれば育つという科学的実験を紹介した後、コメンテイターの記者が、「自分が若い頃は、原稿を書いてデスクの所に行っても、何も言わずにゴミ箱に捨てられた」とか、キャスターが、「若い頃、オマエ、この世界では通用しないから辞めた方がいいんではないかとしょっちゅうきつく言われた」と発言した。

 つまり彼らは、褒められて育ったのではなく、厳しい対応を受けながら、その道の一人前になっていった。

 それは、一人前になっていくプロセスにおいて、自分で考え、悩み、苦しむ段階が必ず必要ということなのではないか。言われたことを素直にやるだけでなく、言われていないことをやるとか、言われていない方法をみつけ出すとか、ある種の創造性は、褒められて行うというより、むしろ相手を見返したい気持ち、悔しさや反発心みたいなものによって生じることの方が多いと思う。

 高度経済成長の時代のように、自分がやっていることに何の疑問も感じず、言われたことをただがむしゃらにやっていれば、それなりの結果が出た時代ではなく、現在のように、一つの正しい答えがない時代は、一人ひとりが試行錯誤しながら進んでいくしかない。そうなると、誰も褒めてくれない状況が長く続き、挫折も覚悟しなければならない。そういう逆境の状況からの底力こそを、”人としての伸びる”の定義のなかに含めなければならないだろう。コンピューターにデーターを打ち込まさせる実験によって、その力が伸びたかどうか判断できるとは、とても思えない。

「人の能力の伸び方」を計るための実験方法として、実験者は、これが適切かどうか、どうして疑問を覚えないのだろう。その時点で、実験者の頭のなかの「人として伸びること」に対する見識の狭さや、問いを立てる力が弱いことを露呈していないだろうか。それを報道するテレビの見識の狭さは今さら言うまでもないが・・。

 人の能力をデーターのインプットの正確さや速さで判断したい人間は、人を管理する対象として見てしまっている傾向がある。管理というのは、同じ状況を続けていくことが前提になっていて、創造性が育まれない。

 私は、自分の子供をそのように育てたいとは思わない。将来、今よりも日本社会の状況が悪化して、それまで習ったことが通用しない時や、自分がやっていることを誰も認めてくれない時に、自分の子供はその試練を乗り越えていけるだろうか。試練を乗り越えられる子供に育って欲しいと思うから、褒めて育てるとか、子供がやりやすい環境を整えてあげるとか、甘えさせるという発想にはとてもなれない。

 決まりきった答がなく、状況がどうなるかわからず、やりやすいとかやりにくい等と贅沢なことを言っていられない環境世界を生き抜いていくためには、問いを立てる力と、人のサポートを受けられなくても平然としていられるタフさの方がよほど重要だ。

 私は、「人として伸びる」というのは、環境を生き抜いていくタフさを身につけていくことだと思っている。身体、精神、頭脳のタフさ。うまくいかなくても、簡単にめげずに他の方法を考えるタフな頭脳を持ち、人に無視されたり批判されようとも簡単に挫けないタフな精神を持ち、多少の無理をしても簡単には損なわれない体力をもっている状態へと、子供に伸びてほしい。 

 コンピューターのインプットが苦手なのに、おだてられてちょっとだけ上達することに人生を費やすという視野狭窄に陥ることが一番の問題。管理する側には都合がいいかもしれないけれど。

 コンピューターにインプットすることが苦手なら、コンピューターにインプットしなくてもすむ方法を考えだせばいい。それが、人として、ひとまわり成長するということだろう。