カンタ!ティモール(うたえ!ティモール)

 今日、近所に事務所をかまえている田口ランディさんのところに風の旅人の復刊第一号を届けて、豚汁の昼ご飯をごちそうになって、その時、「カンタ! ティモール」というドキュメント映画が素らしい、なんとか東京で上映できる映画館をみつけたいと彼女が言い、デモ用のDVDを貸してくれた。

 夜、さっそく見たのだけれど、久しぶりにドキュメント映画で感動した。素晴らしかった。どう素晴らしいのか言葉にしずらいのだけれど、まずなんといっても東ティモールの人々が素晴らしい。顔の表情も、発せられる言葉も

 20年以上、独立を求めて闘い続け、その間、世界各国が非難するなか、日本が自国の経済的メリットのために経済援助をして、そのお金で武器を買うインドネシア政府によって徹底的に弾圧、虐殺されていく東ティモールの人々。肉親を殺されながらも、東ティモールの人々は、憎悪を闘いのエネルギーにしなかった。

 敵を捕らえても乱暴な扱いはせず、自分達の思いを語り聞かせ、解放し、そうしているうちに、インドネシア内に、東ティモールを支持する声が高まっていった。そうした、まさに修羅場をくぐりぬけ、多くの犠牲者を出して達成した独立。その人々に力を与えているのは、自然の力。昔からそうだったように、自然の前で決して驕らず、謙虚に自分を見つめ、自分のことだけではなく周りの人間全てのことを大事にするという精神が、彼らの独立のスピリットだった。そうした精神の豊かさが彼らの表情や歌に現れている。そして何と言っても、子供達が素晴らしい。その素直さ、明るさ、純真さ。子供は、この独立国の未来そのものだ。

 このドキュメント映画がストレートに心に響くのは、監督が、無心に対象に向き合い続けていることが伝わってきて、こちらも自然に無心になれるからだ。

 監督は、まだ若く経験が浅い。そして、知識もあまりない。でも、自分の知らなかった歴史に直面して、心が大きく動き、その心に素直にしたがって、東ティモールの中に入り込んでいっている。だから、この種のドキュメントによくあるような押し付けがましいメッセージ性がない。最初にメッセージありきの作り方をしていない。その為、このドキュメント映画の中には、監督自身が計算していない、色々な学びや気づきがある。単なる独立戦争をモチーフにした話ではなく、近代というのは本当にいったい何だったのだというところまで向き合わせる力がある。とりわけ、自分は何にも悪い事してしませんという顔をして、近代化に夢中になって、世界の優等生の気分でいる日本って、実はなんてバカなんだろうと思わされるかもしれない。
 世界中で、東ティモールと同じようなことは各地で起こっているチベット、シリア、シェラレオネ・・それらは日本から、地理的にも、関わり具合においても遠く、どこか見知らぬところで酷い事が行われているなあと、日本人は他人事の顔をしていればよかった。しかし、東ティモールにおいては、多くの日本人は知らないけれど、加害者だった。直接手を出すのではなく、インドネシア政府を支援することによる明らかな加害者だった。どこか遠いところで酷い事が・・・ではなく、自分達の繁栄のために、自分達はいったい何をしてきたのか、そして今も何をしているのかを、日本人は問わなければならないのだろう。

 今だって、日本は原発を発展途上の国々に輸出しようとしている。政府がかってにやっているのではなく、日本人の国益のために、政府が動いているということ。その国益には自分も含まれているということ。その事実から目を逸らすのは、実はとても狡いことかもしれない。

http://www.canta-timor.com/