編集も料理も同じ

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 *この水越武さんの写真の良さは、風の旅人の誌面の大画面で見て、より明確に感じられる。

  シャッターは、一度しかきっていない。 

 昨日、写真家が集う忘年会があり、風の旅人に関わりの深い人も大勢来ていた。彼らに、風の旅人の復刊第一号を見せたら、里山とか昆虫の写真で有名な今森光彦さんが、「風の旅人によって救い出された写真ってたくさんある」と言ってくれた。たとえばということで、復刊第一号に掲載されているこの水越武さんの写真。これはヒマラヤを超えていく鶴の群れの写真だが、素材としてあるのは、35mmのポジフィルム。35mmのポジフィルムって、横幅3.5センチ、縦幅2.5センチほどしかない。この写真は、その
小さなサイズの中に、ミクロの点のような鶴が無数に写っている写真なのだが、小さなポジフィルムをぱっと見ただけでは、なんの変哲もない写真に見えて、この良さを見逃してしまう。

 拡大レンズを覗き込んで、鶴の一羽ずつがきっちり写っているかどうか確認しなければならない。そして、仮にこの写真を雑誌とかに掲載しようと決断しても、ハガキサイズくらいの小さな画面では、その良さはまったく伝わってこず、風の旅人のように大きく見開きで見せる必要がある。

 しかし、見開きにするということは、拡大率が大きくなるので、下手くそな写真だと、小さな鶴の一羽ずつがボケしてしまう。焦点が少しでも合っていなかったり、手ぶれをしていたりすると、それだけでもダメ。さらにレンズもクリアでなくてはならないし、露出もよほど絞りこんでいなければ、被写体深度が浅くなるので立体感が出てこないし、これだけ広範囲の被写体となると、ピンの甘い所が出てしまう。撮影者の腕も一級品でないと、このように写らないし、そのように一級品の腕前で撮った写真でも、編集者が丁寧に見なければ、その価値を見逃してしまうし、編集の仕方を間違ってしまうと、その良さを殺してしまう。

 これは写真に限らないのだが、上質なものというのは取り扱いが非常に難しい。化学繊維の衣服は多少乱暴に扱っても平気だが、上質な天然素材はそうはいかない。つまり、生きているものは、それがどう扱われるかによって、より生き生きとしたり、簡単に死んでしまったりする。

 畢竟、編集の仕事というのは、生きた素材を選び出し、決して殺さないように取り扱うこと。その素材の良さを引き出し、受け手に、その命がしみわたるような調理を施し、盛りつけを行うこと。本質的に、料理とまったく同じだと思う。
 復刊第一号→www.kazetabi.jp